おっぱいぱい (9レス)
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(1): 19/02/19(火)18:18 ID:l9Q(1/5) AAS
【リバタリアニズムとは?】
リバタリアニズムとは、最大限度の自由の尊重を至高の価値として位置付ける政治思想である。ここにおける"自由"とは、「他者の自己所有権を侵害しない範囲内での自己所有権の尊重」と定義できる。
自己所有権とは、読んで字の如く"自己の身体は自己の所有物である"という権利のことを指す。これは、19世紀の功利主義者として名を馳せるJ・S・ミルが著した「自由論」の影響を色濃く受けている。
この自由の適用範囲は、かつてジョン・ロックが提起した私有財産権に至るまで拡張される。各人が労働によって獲得した財産は労働者にとって固有の所有物となり、自己所有権へと自動的に組み込まれる。
それゆえ、国家による徴税は自由に対する簒奪行為と見なされ、リバタリアンによる非難の対象となる(なお、後述の通り完全なる国家の排斥を望むリバタリアンは少数派であり、多くの場合は国家による徴税を必要悪として是認している)。

リバタリアニズムの思想的な基盤が確立されたのは19世紀のことである。当時の欧米世界では、王権や重農主義に対する疑心感と強硬な反骨心が民衆の間に広がっていた。
また、キリスト教の絶対的な権威がニーチェを筆頭とする実存主義や科学的合理主義の台頭に伴い、緩やかに形骸化しつつある時代だった。
それに変わる価値基準として、従来の虚構的な権威から"個人"の優位性が着目されるようになったのである。
直接的な源流はアメリカの独立戦争に遡る。
イギリスによる高圧的な植民地支配に耐えかねた市民が一斉蜂起した戦いは、すなわち重税に対する開放運動であった。ボストン茶会事件に端を発する彼らの"私有財産権"を巡る闘争は、リバタリアニズムの思想的な醸成に多大なる影響を及ぼした。
省2
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(1): 19/02/19(火)18:21 ID:l9Q(2/5) AAS
【分類】
さて、一口にリバタリアニズムといっても、それぞれが重視する理論的背景によって様々な分類が可能である。前述の通り、自由を最大限に尊重することはあらゆるリバタリアンに通底する根本的な理念であるが、その根拠たる発想により、学派を区分することが出来る。
ここでは、オーストリアのリバタリアンであるアスキューが考案した分類法を基礎として、代表的なタイプを簡略的に概説していく。

まずは、「いかなる国家までを正当と見なすか」という論点を用いて分類していこう。

@リバタリアンの中で、最も急進的な主張を展開しているのが『アナルコ・キャピタリズム』である。彼らの主張は無政府主義(アナーキズム)とも呼ばれ、あらゆる国家の廃絶を訴えている。その極端なまでの過激さゆえに、支持している学者は少数派である。
代表的な論客としては、マレー・ロスバードが挙げられる。ちなみに、ホリエモンの愛称で知られている堀江貴文氏の言説もこれに近い。

A次に、国家が担うべき責務として、市場を保護・運営するための治安維持や国防、そして司法制度の運用を認めている立場が、『最小国家主義』である。
代表的な論客としてロバート・ノージックが認められる。

Bそして、公共財のみならず、最小限度の福祉政策を容認する立場が『古典的自由主義』である。リバタリアニズムにおける最も穏健的な学派と位置付けられており、橋下徹氏をはじめとした日本の政治家にも同様の主張を展開する論者は多い。
代表的な論客としては、経済学者のミルトン・フリードマンや、おーぷん2chのコテハンとして活躍中のスレイマン一世が挙げられる。
省6
3: 19/02/19(火)18:23 ID:l9Q(3/5) AAS
【福祉政策】
リバタリアン(ここでは便宜的に古典的自由主義の主張を扱う)が理想とするのは可能な限りの行政機関の縮減であり、福祉政策の簡便化である。その観点から、北欧的な高福祉社会を痛烈に指弾しており、いわゆる"小さな政府"を熱烈に支持している。
オーストリア学派のハイエクが著した「隷属への道」は、高福祉社会に潜むナチズムとの本質的な類似点と、ソ連の社会主義に通じる危険性を暴くことで、資本主義社会に警鐘を鳴らすことを意図した一冊である。
貧困対策に関しては、市民の生存権を保証することが国家の役割であると捉えており、絶対的貧困の救済には概ね肯定的である。一方で、相対的貧困の是正を目指した過度な累進課税制度に対しては、市場の縮小に繋がると考えるため、これを否定する。
さらに説明を付け加えると、リバタリアンは機会の平等を重んじ、人が生得的に備えている要素(人種や性別等)を根拠とする差別的な諸権利の迫害を許さない。その領域において、ジョン・ロールズが『正義論』で論じた「第一原理」に通じるものがある。
しかし、同じくロールズが提起した「第ニ原理」の妥当性に関しては、リバタリアンは強く反発する。なぜなら、富裕層から貧困層への所得移転は、彼らが重んじる私有財産権への侵害に繋がるためである。
さらに、第二原理を達成する上で、社会全体の衰退がほぼ避けられないと懸念する。福祉政策を拡充するためには潤沢かつ持続的な財源の確保が必須であり、豊富な地下資源に恵まれた国や地域を除き、増税に伴う市場規模の縮小やキャピタルフライトに繋がると疑問を呈している。
リバタリアンが推進する代表的な福祉政策として、ベーシックインカムが有名である。ベーシックインカムとは、政府が供給する福祉政策の一元化を実施した上で、全国民に一律一定額の給付を行う制度のことである。
煩雑な行政手続きが大幅に単純化されるため、制度の透明化を目指すリバタリアンが好む傾向にある。
なお、日本における実現可能性を思案した場合、行政組織や高齢者による強硬な反発が予想されるため、現時点におけるドラスティックな改革は困難であると言わざるを得ないだろう。
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(1): 19/02/19(火)18:25 ID:l9Q(4/5) AAS
【国民国家】
政府による特定民族に対する優遇処置を認めず、ナショナリズムを国政に反映させることに懐疑的である。
当然ながら、リバタリアンは思想情念の自由を最大限に尊重する思想であるため、諸個人が自らの意思で国粋主義的な活動を行うことには寛容である。しかし、それは民間による自助努力によって完遂されるべきであり、国政は介在すべきではないと考える。
リバタリアンにとっての国家とは、あくまで市民に奉仕するための無機的なシステムであり、多様な価値観を一元的なイデオロギーの元に統合させる権限が与えられることはない。諸個人が愛着をもち、精神的に帰属する集団は、個々が自由に決めることが許されている。
なお、自らの意思が反映されたものであれば、愛国心を否定することも無い。
5: 19/02/19(火)18:40 ID:l9Q(5/5) AAS
【経済政策】
民間の利潤追求を源泉とした競争原理による自浄作用と、裁定取引の有効性を高く評価する。それを促進させるため、政府による市場介入を極力廃した経済政策を提唱している。
リバタリアンの主張として特徴的なのは、公的機関が提供するサービスに対する根強い不信感である。

ノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンをはじめとした多くの経済学者がリバタリアン的な論陣を張っているのだが、ここではあえて日本人の代表的なリバタリアンとして名声を得ている森進一の主張を引用する。
彼は自身の著書「自由はどこまで可能か」において、次のように述べている。
『一般的に、政府の役人には自分の部局の予算や権限を拡大しようという動機はあるが、公有財産や予算を効率的に使わなければならないというインセンティブに乏しい
(中略)市場は万能ではないが、政府はそれ以上に万能ではない。市場の失敗だけではなく、「政府の失敗」にも目を向けるべきである』。
彼は公営事業が必然的に背負うことになる非効率性を問題視し、積極的な民間企業への事業委託(いわゆる"民営化"である)を進めるべきと提言する。

おーぷん2ch屈指の論客として名を馳せるスレイマン一世は、政府による市場介入がもたらす様々な弊害をTwitter等で力説している。その具体的な事例の一つとして、我が国の労働市場を挙げている。
彼が行っている独自の研究によれば、日本が陥っている問題の多くは厳しすぎる解雇規制に伴う"市場の歪み"に原因があるという。解雇規制を緩和して労働市場を流動化させることによって、正規雇用が増加し、ブラック企業が淘汰されるとしている。
省6
6: 19/02/19(火)23:12 ID:XTX(1) AAS
>>4
【国民国家】
リバタリアンが理想とする国家とは、あくまで市民に奉仕するための無機的なシステムであり、最小限の公共財と福祉サービスの提供に役割は制限される。
国家規模と法規制の範囲は出来る限り縮小されることが望ましく、一元的なイデオロギーによって国民の思想が強制的に統合されることを忌避する。
しかしその一方で、リバタリアンは思想情念の自由を最大限に尊重する政治哲学であるため、諸個人が自らの意思で国粋主義的な活動を行うことには寛容である。自らの意思が反映されたものであれば、人々がもつ愛国心や郷土愛を否定することも無い。
そして、家族や職能集団をはじめとした共同体が、人々が幸福に生きる上でかけがえのない重要性があることを認め、諸個人が愛着をもち、精神的に帰属する集団は、個々が自由に決めることが許されている。
しかし、それらの活動は民間による自助努力によって完遂されるべきであり、国政は介在すべきではないと考える。国政はあくまで中立的な立場を堅持するべきであり、特定集団に対する優遇処置は認めない。

また、リバタリアンは政治におけるナショナリズムの採用に否定的な見解を崩さない。よって、「民族自決」や「民族統一」といった主義主張にも反対する。それらのスローガンは、強制を伴う民族に対する忠誠心を促し、国民の自由を脅かす恐れがあると捉えるからである。

民族や歴史や文化からも切り離された無味乾燥なシステムとして、市民社会の維持に必要最小限の機能を満たすことを希求する。それこそがリバタリアンの国家観である。リバタリアンが関心を注ぐのは、国家ではなく諸個人なのである。

修正版
7: 19/02/20(水)08:50 ID:Qu5(1) AAS
>>1
リバタリアニズムの思想的な基盤が確立されたのは19世紀のことである。当時の欧米世界では、王権や重農主義に対する疑心感と強硬な反骨心が民衆の間に広がっていた。

この箇所の「重農主義」を「重商主義」に変更
8: 19/02/21(木)08:59 ID:wep(1) AAS
>>2
ここでは、オーストリアのリバタリアンであるアスキューが考案した分類法を基礎として、代表的なタイプを簡略的に概説していく。

この箇所の「簡略的」を「簡易的」に訂正
9: 20/02/09(日)16:08 ID:yUy(1) AAS
はえー
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