第二次大戦で枢軸国側が勝っていたら… (161レス)
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1: 2013/09/01(日)16:54 ID:agN8rkA5a(1) AAS
どうなってたろう?
142: 2015/04/12(日)20:17 ID:yIX(6/12) AAS
>>140
一番強硬に対ソ戦を煽っていたのは、松岡洋右外務大臣なんですけどね。
外務省が強硬で、軍部が「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて」とやっている構図。
143
(1): [age] 2015/04/12(日)20:21 ID:h5e(10/13) AAS
>>138

指摘しているのは情報を派遣軍各国は知っていたが、ベルリンの大島大使は知りようがなかった、と言う点だよ。
144: 2015/04/12(日)20:21 ID:yIX(7/12) AAS
「陸軍はロシア=ソ連を仮想敵国としてきた」とよく言われる。
だが、「ミイラ取りがミイラ」になったのか、ソ連=共産主義シンパと思われる軍人がやたらと多かったのもまた事実である。

庄内鶴岡が生んだ天才、石原莞爾も、満州国の経営はソ連型の五カ年計画を見習って、統制経済で満州開発を行うようにしているし、
統制経済シンパは、同じく満州国で大活躍した岸信介や松岡洋右など、多くの人々の脳味噌を汚染していた。
結果的に、統制経済への親近感から、ソ連への親近感まで示す陸軍軍人まで現れるようになる。
こうなると本末転倒である。
145
(1): 2015/04/12(日)20:24 ID:yIX(8/12) AAS
>>143
むしろ、大島浩駐ドイツ大使の方が、ドイツから色々、様々な情報を引き出していたと思うのですが。
大島浩に対する評価も、納得出来ませんね。

まぁ私の祖父は、大島浩に直接会ってますし、彼と協力して情報工作をやっていたので、好意的に見ているのですが。
146
(1): [age] 2015/04/12(日)20:25 ID:h5e(11/13) AAS
後付けで議論しても意見が分かれるとかwww

こりゃ、リアルタイムで、国策が漂流したのも頷けるわい。
147: 2015/04/12(日)20:26 ID:yIX(9/12) AAS
外部リンク:www.amazon.co.jp

大島浩については、この本を読んでいただきたい。
大島浩は、ハッキリ言って戦後日本で誤解されている最たる人間の一人である。
148: 2015/04/12(日)20:30 ID:yIX(10/12) AAS
>>146
全くその通りで、東京裁判で、
「1928年から1945年にかけて、この28人は共同謀議して侵略戦争に邁進した」
なんて言われて裁かれましたが、あんなのまるっきり嘘だった事がこれでも解りますね。
一年に一回は内閣が交代していた迷走状態の日本が、「世界征服を企んでいた」だの、「共同謀議」だの、『お恥ずかしいくらいのもの』です。

『共同謀議なんて言うがとんでもない話だ。軍部は進むと言い、政治家は困ると言い、北だ南だと全く意見統一出来ないまま戦争になってしまった。それを共同謀議などとはお恥ずかしいくらいのものだ』
(東京裁判被告 賀屋興宣)
149
(1): [age] 2015/04/12(日)20:30 ID:h5e(12/13) AAS
>>145

誤解されています。
私は大島大使に好意的に申し上げたつもりで、氏の置かれた物理的環境では、最善の対応をなされた、と言う推測を補強する意味でカキコしました。

所が、東京の本省はイタリアやルーマニアの大使からも情報が入手出来る訳で、それをどう分析したか、と言う問題定期です。
150: [age] 2015/04/12(日)20:31 ID:h5e(13/13) AAS
問題定期 X
問題提起 ○
151: 2015/04/12(日)20:38 ID:yIX(11/12) AAS
>>149
まず、東條英機と大島浩は友人関係でした。
従って、まず陸軍は大島浩の情報を最重要視し、大島情報に反対するような情報は過小評価されるか、無視されました。

外務省は、外務省非出身者である大島浩ドイツ大使など白目で見ていましたので、大島浩情報などは疑ってかかっていました。

ここでキャスティングボートを握っていたのは海軍なのですが、
海軍も独自に情報を獲得していたのですが、
「沈黙の海軍」にして「無責任海軍大臣」の及川古志郎が海軍大臣だったが為に、
どっちとも立場を鮮明にせず、ただひたすら戦争準備に邁進するという姿勢を取ります。

伊藤博文や山縣有朋のような、政治と軍事、統帥(参謀本部・軍令部)と軍政(陸相・海相)を一致させるだけの豪腕を持っている政治家が居れば良かったのですが、
唯一その可能性が有ったのは近衛文麿だけでした。
152: 2015/04/12(日)20:42 ID:yIX(12/12) AAS
日本の海軍に限らず、海軍というのは厄介な代物です。
一度、戦争準備を固めてしまうと、もう戦争するしか道は無くなるのですから。

海軍は、戦争が予想されると、装甲を強化する為に、船体の鉄骨を増やします。
これは船体を傷つけ、寿命を減らす事を意味します。
従って、ひとたび戦争準備を整えてしまうと、
海軍としてはもう後には引けなくなるのです。
153
(1): [age] 2015/04/13(月)16:26 ID:pgS(1/3) AAS
海軍ってさ、見敵必戦主義を英国から学んでおきながら、何で艦隊保全主義に傾斜しまくったのかね。

ミッドウェー攻略作戦の時も打撃部隊を囮に敵の空母を誘き出す方針に徹しておれば、日本の四隻は無事、ヨークタウンのみ沈没、と言う結果になっていたと思うぞ。
戦艦はやられただろうけど。
154
(1): [age] 2015/04/13(月)16:31 ID:pgS(2/3) AAS
レイテ湾突入の時に突如、気が変わってUターンとか、何処が見敵必要戦主義なの?
155: [age] 2015/04/13(月)16:33 ID:pgS(3/3) AAS

見敵必要戦主義 X

見敵必戦主義 ○
156: 2015/04/14(火)11:18 ID:EXR(1) AAS
>>153
一番考えられるのは、山本五十六が臆病者だったから。
一説には、賭博士の山本は、最初っから勝負を投げていたから、真珠湾から自分の死まで、いい加減に戦争指揮を取っていたのだとか。
>>154
それについては同情の余地がある。
栗田艦隊は、『北方に敵の大艦隊見ゆ』との報告に接して北に反転していったという話だ。
まぁそのまま突入して、敵輸送船を潰してもらった方が陸軍としては助かったろうが。
157
(1): @おーぷん 2015/04/23(木)15:12 ID:S3C(1) AAS
英ソ滅ぼして日本健在だとユーラシア連合状態だな
アメリカでも厳しいかも
158: 2015/04/23(木)15:26 ID:Twe(1) AAS
>>157
というか、アメリカは当時モンロー主義だったから、それでも困らない。
むしろ、そのユーラシア連合から国益を引き出す道を探すだろ。
アメリカの食い込める余地は沢山有ったし、日本も己に出来ない事まで己でやろうとしてアメリカを締めだそう、独り占めしようとするほど狭量でもなかったろう。
159: 2015/06/05(金)10:57 ID:UKR(1/2) AAS
東京裁判中、本物の「ハル・ノート」を見せられた東條英機は、

『これが手渡されていたのなら、日米間は戦争になど至らなかったものを……』

と慨嘆したと言う。

よく誤解されているが、コーデル・ハル国務長官は「反日」の政治家ではない。
(取り立てて「親日」という訳でもないが、少なくともゴリゴリの日本人差別主義に凝り固まっていたルーズベルトなどよりは格段にマシであった)

ハルは、所謂世間で言われる「ハル・ノート」よりも、もっと穏健で、日本も交渉に応じやすい内容の物を用意していた。
(正直に言えば、アメリカの軍備が整うまでの一層の時間引き延ばし策であったのだが)
省20
160: 2015/06/05(金)10:58 ID:UKR(2/2) AAS
さて、この強硬案を押し通した、ハリー・デクスター=ホワイトなる人物は何者か?
なぜ、「財務省」の人間が、日米関係の外交に嘴を挟めるのか?

公開されたヴェノナ・ファイルによれば、ホワイトは「ソ連のスパイであった」とされている。
ルーズベルト政権の中枢に、ソ連贔屓の共産主義者たちが多く集っていたのは有名な話で、
のちのマッカーシーのアカ狩りによって多くの元政府関係者たちが逮捕されている。
そもそも、ルーズベルト本人が、スターリンやソ連に薔薇色の憧れを抱く人物であった。

『我々はソ連に与えられる物は全て与え、彼らから見返りを求めるような真似をしなければ、スターリンは我々の言う事を聞くだろう』

こんな事を言っていたのがルーズベルトであった。
日本にとって不幸なのは、この時期、このタイミングで、こんな共産キチガイの大統領と外交折衝を行わなければならなかったという事である。

ホワイトもその共産主義者のスパイの一人であり、大統領補佐官のロークリン・カリー(共産主義者)を介してルーズベルト大統領に己の強硬案を提出したと考えられている。
省9
161: 2017/07/22(土)11:04 ID:cbG(1) AAS
>>139
外務省の見通しでは、
「独ソ間は、来年には五分五分となり、再来年にはドイツが負け始める」
と見通していた。
だが結局開戦になった。
最早あの状況では止めようが無い。
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