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30: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 10:14:53.94 ID:OFvIEban0 お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間 大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図 八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰 、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の 石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写 真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m )]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ れている。頂上には鳥居が立ち、また二等三角点が存在する。[ 久須志岳(標高約3,725m)]かつては薬師岳ともエムゾネ呼 ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他の峰々と比べ傾斜 はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方向に向けて建てられ ている。頂上付近には石造物が残存し、首から上と手首から先が 欠損している。台座正面に「食行」「身禄」の
文字が確認エムゾネ できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就岳(標高約3,73 4m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小2つの鳥居が、噴火口 の方角を向いて建てられている。[伊豆岳(標高約3,748m )]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社のエムゾ ネ歴史』には、「中腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を 越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸気を噴出する」とある。 頂上には鳥居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)] 伊豆岳と同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。エム ゾネ頂上に鳥居は存在しない
。石積みがあるが時期は不明である 。他の峰々と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳(標高約3, 722m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現 在は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3, http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/30
31: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 10:37:24.86 ID:OFvIEban0 、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名 付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、 溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮 浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で 入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側に http:/
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32: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 10:49:35.42 ID:OFvIEban0 で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。 また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出 現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々 が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解 け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を 現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻 −44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた 石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者 たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間 大菩薩を拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった 。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特 定することはできない。写エムゾネ真吉田須走拝所跡の写真・須山 拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2 年(1913)の登山スタンプが押された写真
では、銀明水裏手 の火口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、 2つの目印の石が存在していエムゾネる。写真須山拝所跡の写真・ 村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮 拝所」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の 鳥居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿 って3体の大日如来があり、そエムゾネれぞれ延徳2年(1490 )、天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があっ たとされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む 位置に鳥居が建っている。
写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ 岳経塚昭和4年(1929)、頂エムゾネ上の神官が銅仏の破片と 一石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片な http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/32
33: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:03:31.64 ID:OFvIEban0 物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が 残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。 経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性 が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回 し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河 原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割 石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作 物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在 は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山 道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3 .5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830m)に、 東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きなケ ヤキの巨木があり、ここが札打場であったエムゾネ。札打とは、自 分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛 んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を
行った。昭和30 年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られたという写 真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡エムゾネ)村山口登山 道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に約50 0mの地点に位置する。標高は約1,280mである。東側を走 る沢から一段上がった平坦面に所在している。平坦面は2段あり 、上−45−段には小さな祠が建てられているエムゾネ。また下段 には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸時代には馬返 しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、ここからは女人 は登山道を登ることを許さ
れず、駒立小屋は女人堂として使われ た時期もあったと考えられる。下段平坦面の南側エムゾネには溝が 東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡をたどれなくな る。木馬道である可能性が指摘される。写真中宮八幡堂の http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/33
34: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:10:10.89 ID:OFvIEban0 八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王 」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水 神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七 月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の 主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月 11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある 井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80p、深さ5 0pほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを 登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による 調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ され、地中にあった石像が地上に現われたと考
えられる。うち1 体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推 測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀 釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建 物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位 置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の 中で最も大規模なものであ
る。2つの平場により構成され、南西 部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残 エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平 場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存してい http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/34
35: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:16:50.28 ID:OFvIEban0 う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸 約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の 縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」 として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図 」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『 駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往 http:/
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36: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:23:49.65 ID:OFvIEban0 あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12 号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位 置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地 点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石 組によって作られている。東側には直径約90pの丸い穴が二つ ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ
れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と 刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図 登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧 須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m 余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西 側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延 長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現 在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長
さ約30mのU字 型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10 30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083) の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した 測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485 m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って 形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須 山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され ている。地元在住の彫刻家
、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興 後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南 東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内 の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建て http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/36
37: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:30:41.49 ID:OFvIEban0 いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内) 」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に 、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口 登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅 間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿 は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の
規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前 には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝 殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志 之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近) に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師 と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管 理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富 士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、 江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られてい
たものと考えられ る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴 命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎 久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる 日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上 で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠 と鳥居が建てられている。
写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山 道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目 、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然 木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/37
38: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:38:35.84 ID:OFvIEban0 山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥 居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の 登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場 所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。 日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉 田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口
登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を 目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口 登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から 頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要 素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小 屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエム
ゾネ周辺は、本格 的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋 が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合 目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等 がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として 役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋 については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信 玄の1566年の文書に「中
宮之室」という名称があり、戦国時 代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最 盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の 写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/38
39: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:47:08.01 ID:OFvIEban0 れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身 禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐 国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小 屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真 烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要 http:
//matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/39
40: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 11:56:25.11 ID:OFvIEban0 在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄 進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内 の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神 社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ 富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である 。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母 屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた 形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、 極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図 ・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の
創建とも伝えられ るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の 向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇 股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最 もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・ 西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成 次の本殿建立により現在地
に移され西宮となった。本殿の形式は 東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一 間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に 取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/40
41: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 12:12:03.19 ID:OFvIEban0 エムゾネ富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静 岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と 、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。 標高3776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、そ のエムゾネ優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られ ている。数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与 えただけではなく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与
えている。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され 、そエムゾネの山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。古来霊峰とされ、特 に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視された。噴 火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信 仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人に より修エムゾネ験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が 行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、 村山修験や富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山 麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズ
ンには富士登山が 盛んであエムゾネる。日本三名山(三霊山)、日本百名山、日本の 地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)に は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。その後、1952年 (昭和27年)に特別名勝、2011年(平成23年)に史跡、 さらに20エムゾネ13年(平成25年)6月22日には関連する 文化財群とともに「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」の名で世 界文化遺産に登録された。日本の文化遺産としては13件目であ る。富士の山とは詠んだとしても、「ふじやま」という呼称は誤 りであり、愛エムゾネ媛県大洲
市柚木にある冨士山(とみすやま) とは字も呼び方も異なる。富士山についての最も古い記録は『常 陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている 。他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/41
42: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 12:18:47.83 ID:OFvIEban0 古文献もある。エムゾネまた、『竹取物語』における伝説もある。 「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と 称されたという説もある。近代以降の語源説としては、宣教師・ バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フ ンチヌプリ」に由エムゾネ来するとの説を提示した。しかし、これ は囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」から きた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として http://m
atsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/42
43: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 12:24:48.17 ID:OFvIEban0 語説・マオリ語説・原ポリネシア語説等がある。明確に「富士山 」と表記されるに至エムゾネるにおいては駿河国富士郡に由来する とするものがあり、記録としては都良香の『富士山記』に「山を 富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。富士山に因む 命名富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各地に 「富士」の付く地名がエムゾネ多数存在している。富士山の麓とし て静岡県に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・富
士河口湖町・富士川町があるほか、よくあるものとして富士山が 見える場所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見市)、富士 山に似ている山(主に成エムゾネ層火山)に「富士」の名を冠する 例(信濃富士など)がある。日本国外に移住した日本人たちも、 居住地付近の山を「○○富士」と呼ぶことがある。詳細は「富士 見」および「富士街道」を参照また、全国各地には少なくとも、 321座を超える数の富士エムゾネと名の付く山があり、それらを 郷土富士と呼ぶ。詳細は「郷土富士」を参照なお、地名以外にも 「富士」を冠した名称は多く存在する。詳細は
「フジ」を参照ま た、異名として芙蓉峰とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上 の富士山富士山周辺の地形図エムゾネ富士山の構造図地質学上の富 士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特有の美しい稜線 を持つ。現在の富士山の山体は、大きく分けて下記の4段階の火 山活動によって形成されたものだと考えられている。先小御岳( せんこみたけ)火山小御岳(こエムゾネみたけ)火山古富士(こふ じ)火山新富士(しんふじ)火山この中で先小御岳が最古であり 、数十万年前の更新世にできた火山である。東京大学地震研究所 が2004年4月に行った
ボーリング調査によって、小御岳の下 にさらに古い山体があることが判エムゾネ明した。安山岩を主体と するこの第4の山体は「先小御岳」と名付けられた。古富士は8 万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/43
44: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 12:30:58.75 ID:OFvIEban0 降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝 永火口の北側1〜2kmのところにエムゾネあったと考えられてい る。2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動 が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのこ とである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士 宮市−富士吉田市間で約2cm伸びたエムゾネ。これはマグマが蓄 積している(活火山である)現れとされている。プレートの観点
からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレート又は オホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に糸魚川静 岡構造線)に南からフィリピン海プレーエムゾネトが沈み込む位置 であり(ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マリ アナ島弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(三 重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでいる フィリピン海プレートのさらに下に太平洋エムゾネプレートが沈み 込んでおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に 太平洋プレートに由来するものである。富士山
の火山上の特徴は 、日本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であること、日本 の火山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出エムゾネしているのに 対し、富士山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山が非常 に多いことがある。富士山頂山頂火口を上空より山頂火口山頂に は火口(お鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むよう にして8つの峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火エムゾネ口の南西側 に最高点の剣ヶ峰があり二等三角点(点名は、富士山。標高37 75.51m2014年4月1日改算)、火口の北側には二等三 角点(点名は、富士白山。
標高3756.23m2014年4月 1日改算)が設置されている。火口の構造は、国エムゾネ土地理院 によると、最深部の標高が3538.7m、火口の深さは約23 7m、山頂火口の直径は780m、火口底の直径は13 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/44
45: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 12:37:35.50 ID:OFvIEban0 る。登山道を除く8合目より上は、富士宮市にある富士山本宮浅 間大社の私有地であるが、県境と市町村境界は未確エムゾネ定であ る。2014年1月の富士山世界文化遺産協議会後の記者会見で も静岡県知事の川勝平太と山梨県知事の横内正明は県境を定めな いことを明言している。国土地理院がインターネット上で公開し ている地形図では2013年10月から地図上の地点エムゾネを指 定すると住所、緯度・経度、標高が表示される機能が加わったが
、帰属未確定の地点の場合には近くの帰属が確定している住所が 表示されるという設定になっているため、富士山頂(剣が峰)を 指定すると静岡県富士宮市として表示されることが山梨エムゾネ県 などから指摘され、これを受けて富士山頂の住所表示については 非表示になるよう変更された。宝永山宝永山と宝永噴火口宝永山 (ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生 した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置しエムゾネ 標高は2,693mである。宝永山の西側には巨大な噴火口が開 いている。これらを間近で見ることができる登
山コースも整備さ れている。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活動富士山の噴 火詳細は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了した約1エムゾ ネ万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量 に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富 士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に 顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,エム ゾネ500〜2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大 規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。新 富士の山頂から溶岩が噴出
していたのは、約1万1千年前〜約8 ,000年前の3,000年間と、約4,500年前〜約3,2 エムゾネ00年前の1,300年間と考えられている。山頂部から の最後の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/45
46: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 12:44:49.99 ID:OFvIEban0 噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的 に発生している。延暦19年−21年(800年−802年)に 延エムゾネ暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出し た貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707 年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4c mの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の 山体エムゾネに宝永山が形成された。その後も火山性の地 http://m
atsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/46
47: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 13:00:57.19 ID:OFvIEban0 辺から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ流下 、山体崩壊の発生原因は不明。1331年の元弘地震に伴い発生 。1891年濃尾地震に伴い発生。災害対策火山噴火予知連絡会 (気象庁)−富士山のエムゾネみを限定するものではないが、日本 の火山活動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表 するが、噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年 3回実施されるが、噴火時には随時開催される。2000年10
月に富士山の低周波地震エムゾネが増加した際は、ワーキンググル ープが設置され、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視 体制の検討、火山情報発信の方法などが集中的に検討された。富 士山ハザードマップ検討委員会(内閣府防災担当)−噴火時の広 域避難のために必要なハザエムゾネードマップの作成が、検討委員 会を通じて進められている。富士直轄砂防事業(国土交通省)− 大沢崩れを源にして発生する大規模な土石流から、下流の保全対 象を守る砂防事業を実施中。山梨県は2015年6月11日、「 富士山噴火時避難ルートマッエムゾネプ」を作成
した。「静岡市市 長の田辺信宏は2016年1月22日の定例記者会見で、市消防 航空隊が2013年、富士山で滑落した登山者を救助中にヘリコ プターから落下させ、この登山者が死亡した事故を受け、再発防 止策として、市消防局がヘリでエムゾネ救助できる山の高さに32 00メートルと上限を設けたことを明らかにした。」。地殻変動 の観測国の機関(防災科学技術研究所、気象庁、国土地理院、産 業技術総合研究所)及び大学(東京大学地震研究所)などにより 観測が行われている。国土地理院エムゾネ:地磁気観測点が、鹿野 山測地観測所、水沢測地観
測所および江刺観測場に設置されてい る。また、山頂にはGPSの電子基準点。気象庁観測所:地震計 (山頂、御殿場口8合目、吉田口6合目、鳴沢塒塚東、太郎坊) 、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎エムゾネ坊、上井出) http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/47
48: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 13:10:26.19 ID:OFvIEban0 (太郎坊)、望遠カメラ(萩原)防災科学技術研究所:火山活動 可視情報化システム(VIsualizationsystem forVolcanicActivity)噴出物災害などへの 対策国土交通省、富士砂防事務所:静エムゾネ岡県、山梨県と連携 し火砕流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐための調査・ 検討を実施しハザードマップが作成されている。しかし、山体崩 壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成である。富
士山と気象気候山頂は最暖月の8月でもエムゾネ平均気温が6℃し かなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上10 ℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1月 や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ10 を占める。観測史上最低気温は−38.0エムゾネ℃で最高気温が −30℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃を上回る ことがない1日というのは北海道でも例がない。富士山での気象 観測かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置してい た気象官署が富士山測候所である。現在は富エム
ゾネ士山特別地域 気象観測所となっており、自動気象観測装置による気象観測を行 っている。詳細は「富士山測候所」を参照気象現象山体に強風が 吹くと砂が巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。20 10年12月15日には、神奈川県の西部からエムゾネ南部にかけ て黒い砂が積もり、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西 風に乗り降り積もったと考えられると報道された。富士山北麓の 一部農地(現在の山梨県富士吉田市など)では、富士山の標高2 600m付近に現れる農鳥(鳥の形に見える残雪エムゾネ)の出現 する時期によって、農作物が
豊作になる・凶作となるという言い 伝えがある。富士山では山岳波が発生することもあり墜落事故も 起きている(英国海外航空機空中分解事故など)。富士山麓の自 然環境富士山麓の天然記念物として、「富士山原始エムゾ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/48
49: 底名無し沼さん (ワッチョイ 1b0c-slG6 [175.177.5.53]) [sage] 2018/02/21(水) 13:20:17.66 ID:OFvIEban0 青木ヶ原樹海」(天然記念物:1926年2月24日指定、20 10年3月8日追加指定・名称変更)、「富士風穴」(天然記念 物:1929年12月17日指定)などがある。伏流水白糸の滝 (静岡県)富士山に降った雨や雪は、長い年月をかけエムゾネ伏流 水として地下水脈を流れ湧き出てくる。最も高い地点から湧き出 す湧水として確認されている例は標高1670m(富士宮口二合 目付近)とされ、その他山麓を帯状に分布している。富 http://
matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1505904686/49
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