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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】 (335レス)
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/
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299: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 09:48:03.61 ID:nhLYBjhR0 士スバルラインや富士山スカイラインなどの観光道路をはじめ てとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建 築物及び工作物が存在している−74−ア富士山山体及び登山 道A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道とし ての役割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブルドーザー が使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意表示板が 設置されている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山 道6合目以上では、登山者の安全確保のため、登山道に沿って 鉄杭、ロープ等が設置されている。A3須山口登山道須山御胎 内から幕岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を 示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿 場口との合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文 字で統一された登山道案内標識が設置されている。この標識は 富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統 一されている。A4須走口登山道登山者の安全確保のため、登 山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されている。須走口登山道 は、茶色地に赤色の帯が入り、白い文字で統一された登山道案 内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総 合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。吉田口登 山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加わる。 A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿 ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている 。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖 西側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製 造所の工場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖 発電所のものである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の 南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車 場が整備されている。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車で きる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けら れている。−75−B3村山浅間神社境内地西端に、参詣者用 の駐車場が整備されている。B4須山浅間神社裾野市と須山振 興会によって、須山口からの登山道の案内図が設置され http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/299
300: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 09:54:19.79 ID:ncJKes9f0 回する形で復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約1 60種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域 には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には 、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物 に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息 するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息 数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口登山 道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴。開口 部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数名が立つ ことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,959mの 側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど離れた 場所にある。延暦19年(800)とそれに続く噴火により形成 されたとされている。須走口5合目から高低差の少ない小富士遊 歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺は針葉樹林( シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部分はス コリアに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東の眺望が楽し める。小山町観光協会によるコンクリート製の標識と、大正13 年(1924)に扶桑教によって建立された祠がある。祠内部に 仏像が三体あったというが、現在は残っていない。・鳥類相富士 山域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない 。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺 乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されている ニホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる 。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生 息できる環境が限られ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6 北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側 ・南側の山は御坂層基盤により構成されている。北側から西側に かけては、標高1100m〜1300m前後の山が連なっている 。また南側には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰 B1富士山本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源と する神田川が、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつ ては禊所より下流(下池)の部分も含めて御手洗川と呼ば http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/300
301: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 09:54:45.73 ID:ncJKes9f0 側に、村山水道の完成を記念する碑が建てられている。昭和33年に建立された。 ・説明板(富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登山道と、途中のポイン トとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山公会堂の北側に設置されてい る。B4須山浅間神社・御胎内説明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が、 富士山須山口登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・洞窟内説明板「須 山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に設置されている。・梯子須山御胎内 の北西側入口に、ジュラルミン製の梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須 山御胎内から登山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル1台 が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、木製の蝋燭台が設けられ ている。・標識須山御胎内から幕岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎 内を示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流点 より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登山道案内標識が設 置されている。この標識は富士山における標識類総合ガイドライン(仮称)に沿っ たデザイン案で統一されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が 建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で使用される神輿の格 納庫が建てられている。・あずまや祖霊社の北側には、あずま屋が建てられている 。・神橋(太鼓橋)県道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられ ている。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の概要等を記した説 明板、参拝路を表示した案内板等が立てられている。・駐車場社務所東側には、参 拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝 者用のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間の杜内には、散策する際に 休憩するためのベンチが、6基置かれている。・社務所・記念資料館参道入口脇に 、神社を管理し社務を取り扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料 を保管する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役から太平 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/301
302: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 09:55:04.21 ID:nhLYBjhR0 。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車 6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間 神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には、御師住 宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板が設置 されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船 津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備された トレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造物の分 布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要 素も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山 道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古 くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道 」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神 社)2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側 に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有してい たと考えられる。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、 曽我橋、滝見橋等がある。また、それらの付属施設がある。危 険を伴う区域には、護岸や落石防護ネットが整備され、また、 立入禁止の札が立てられている。県道沿い及び芝川本流左岸等 には駐車場があり、管理小屋等の付帯施設がある。また、県道 沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺望C三保松原−76 −なし(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素構成資産 の周辺には、山並み、河川をはじめとする各種自然地形が存在 している。また、統一感のある山並み景観を構成している天然 林及び施業林からなる森林が存在している。ア富士山山体及び 登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士山の景観を特色 付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永4年(17 07)に発生したテフラの爆発的噴火により、白い灰のデイサ イト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新第三紀の基盤岩類 、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録によ れば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の 流下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の可能性があ る。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2,4 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/302
303: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:00:12.03 ID:ncJKes9f0 た。現在、護岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護 岸として整備されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間神 社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口浅間 神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河 口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の主体とな る地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物によ り構成)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体となる地形・溶 岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物により構 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/303
304: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:00:39.84 ID:ncJKes9f0 に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている。B6河口浅間神社B7冨士御室 浅間神社B8御師住宅旧外川家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗 資料等を展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講などに関する理 解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船 津胎内樹型船津胎内樹型の管理を行う施設として河口湖フィールドセンターがある 。溶岩樹型に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室という研究機 関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環境の保護、入洞者の安全確保 に寄与している。B13吉田胎内樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・富士 吉田市教育委員会により設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社) ・説明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文化財であることを記した説 明板、碑塔群や洞穴内の危険に対して注意を促す旨の案内板が4本建てられている 。B15白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしC道路とその他人工物構成資産の土地 には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路や、富士スバルラインや富士山 スカイラインなどの観光道路をはじめてとして、電柱、看板、誘導標識などをはじ めとする各種の建築物及び工作物が存在している−74−ア富士山山体及び登山道 A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道としての役割を持つ道路等 の施設である。搬送には、ブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁 止柵・注意表示板が設置されている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山 道6合目以上では、登山者の安全確保のため、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設 置されている。A3須山口登山道須山御胎内から幕岩までの登山道脇に、須山口登 山道及び須山御胎内を示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御 殿場口との合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一された登 山道案内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総合ガイドライ ンに沿ったデザインで統一されている。A4須走口登山道登山者の安全確保 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/304
305: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:00:58.43 ID:nhLYBjhR0 付近にかけて展開する約927haの保護林である。富士山の 国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維 持、動植物の保護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図るこ とを目的として設定されている。富士山独特の地形・地質を持 つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公 園富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合 目以上の火山高原を主体とした山頂部までの区域である。富士 山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の秀麗な山 容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信 仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察さ れた鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺 乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生 息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホン カモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。ま た、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息 できる環境が限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道・幕 岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富士 火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。 岩肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリ アが一面に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図にも 記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述さ れることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、こ の地で修行したという言い伝えが残っている−77−(日本霊 異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側火山登 山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高1, 926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの 側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火により 須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で 復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種で ある。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、 6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特 別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/305
306: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:06:58.29 ID:ncJKes9f0 14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)なしB15白糸ノ滝なしウ 眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の周辺地域の地下には 、関連の遺構、遺物が良好に残されている区域があり、それらは 文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地として周知されている。 また、かつて登山者に利用された御師の家並みなど、文献史料に 記載された多数の伝承地や名所等が存在している。ア富士山山体 及び登山道−79−A富士山なしA1山頂信仰遺跡なしA2大宮 ・村山口登山道・馬頭観音1村山浅間神社脇の舗装された道を登 って南西から北東に進んでいくと、舗装道が大きく北西方向にそ れていく。村山口登山道跡はここを北西に行かずに、直進し北東 方向へ進む。その交差点に馬頭観音の碑が建っている(標高約5 90m)。昭和8年(1933)に上原伸郎によって建てられた ものである。・馬頭観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所 にある。ここはやや道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈 曲した経路の2つが存在する。前者については明治以降に木材の 切り出し・運搬に使われた木馬道であると推測される。ここで以 前に馬が死んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられ ている。・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡 堂跡手前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡が あるとされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』では、「 道の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも平らな場 所がある」と報告している。平成20年の調査では平場らしき地 形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異なっており、両 者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写真図建物跡の図 面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線が交差する地点 から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだらかな傾斜の天 然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しになった岩石には 一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱の方形の石列が あり、その北東側に小さなくぼみを確認した。『富士山村山口登 山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所跡としている。写真 建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡富士山スカイラインと 村山登山道が交差する地点から北北東の方角に約600m http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/306
307: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:07:24.22 ID:ncJKes9f0 、登山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されている。須走口登山道は、茶色地に赤 色の帯が入り、白い文字で統一された登山道案内標識が設置されている。この標識 は富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。吉 田口登山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加わる。A5吉田口登 山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案内標 識等の整備が進められている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9 本栖湖湖西側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製造所の工場 群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖発電所のものである。イ信仰B 1富士山本宮浅間大社指定地の南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置し た第1駐車場が整備されている。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車できる駐車 場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けられている。−75−B3村山 浅間神社境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている。B4須山浅間神社裾 野市と須山振興会によって、須山口からの登山道の案内図が設置されている。B5 須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6台分が設けられている。 B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入 口には、御師住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板が設置され ている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型河口湖フィー ルドセンターの開設に伴い整備されたトレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩 道には石造物の分布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要素 も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山道の「中ノ茶屋」から 、吉田胎内本穴に向かうものである。古くから富士講の信者等に利用され、「甲斐 国誌」には「胎内道」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神 社)2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡 と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有していたと考えられる。B15白糸ノ滝 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/307
308: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:07:41.82 ID:nhLYBjhR0 指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息 するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生 息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口 登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴 。開口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数 名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1, 959mの側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600 mほど離れた場所にある。延暦19年(800)とそれ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/308
309: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:12:48.90 ID:ncJKes9f0 にある。登山道の西側には日沢が南北に走っており、北側と東側 には斜面が迫る。周辺は天然林で、下草にスズタケが生い茂って いる。平場は東西約8m、南北は約6mで、南側の縁には一部石 組が確認された。南側中央部には石段が確認された。『富士山村 山口登山道遺跡調査報告書』はここを「矢立・新小屋」にあたる としているが、後世まで木の切り出しなどの休憩小屋として使わ れていた可能性をも指摘している。・6号建物跡5号建物跡から 北北東に約450mの位置(標高約1,985m)にある。周囲 は西向きに傾斜するやや急な斜面である。登山道の西側は、日沢 に向けて急激に落ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12 m、南北約10mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、 登山道を挟んで東西12mにわたって延びている。平場の北側の 斜面にも石組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者から の伝法で村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う 富士峯修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、高所 にある洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ること が多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年 (1602)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、宝 永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言われている 。また、文化13年(1816)〜天保5年(1834)に執筆 された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家のような板 葺きの建物があり、登山者の休憩所であったことが記されている が、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建立古帳面写」では 「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂室が消失している と推測される。その後、岩屋不動の所在は不明となっていたが、 平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確認した。不動沢を標 高約1,820mの地点まで登りつめ、地上から7mほどの高さ の場所にある。洞穴の内部は、高さ2m、幅6.4m(最奥)、 奥行9mを測る。洞穴内は人が立つことのできる程度の高さがあ り、内壁は全体的に赤みがかっている。中央部向かって右側から 入口付近に向けて崩落した大岩が多く転がり、入口は半ば塞がれ たような状態である。最奥の向かって左側については人工 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/309
310: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:13:12.36 ID:ncJKes9f0 私道等の道路、階段、曽我橋、滝見橋等がある。また、それらの付属施設がある。 危険を伴う区域には、護岸や落石防護ネットが整備され、また、立入禁止の札が立 てられている。県道沿い及び芝川本流左岸等には駐車場があり、管理小屋等の付帯 施設がある。また、県道沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺望C三保松原− 76−なし(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素構成資産の周辺には、山 並み、河川をはじめとする各種自然地形が存在している。また、統一感のあ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/310
311: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:13:28.77 ID:nhLYBjhR0 噴火により形成されたとされている。須走口5合目から高低差 の少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる 。周辺は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われて いるが、頂上部分はスコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・ 箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協会によるコンクリ ート製の標識と、大正13年(1924)に扶桑教によって建 立された祠がある。祠内部に仏像が三体あったというが、現在 は残っていない。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16 0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域 には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に は、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記 念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマ も生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限ら れ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間 神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側・南側の山は御 坂層基盤により構成されている。北側から西側にかけては、標 高1100m〜1300m前後の山が連なっている。また南側 には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富士 山本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神 田川が、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつては 禊所より下流(下池)の部分も含めて御手洗川と呼ばれていた 。現在、護岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護 岸として整備されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間 神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口 浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B 10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の 主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と 火砕物により構成)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体と なる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物 により構成)B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)なしB1 5白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の 周辺地域の地下には、関連の遺構、遺物が良好に残され http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/311
312: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:18:57.88 ID:ncJKes9f0 削された可能性が残る。写真岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A 3須山口登山道なしA4須走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざ みライン沿いの標高1,830m付近にある。冨士浅間神社の末 社で、かつては中宮小室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須 走口登山道で女性が登山できるのはこの場所までであった。祭神 は瓊々杵命と木花開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合 祀された。国土地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和 50年代に倒壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関 連する工作物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体 も残っていない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅 間神社の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入った自衛 隊東富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内のため 、許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名 されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られているこ とから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄3年(169 0)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ、成立年代は江戸時 代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって被害を受 けたが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神は大日要命 (大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて間口二間、奥行き二 間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていたとされる。古絵図 (小山町史)では、須走口登山道から脇道にそれた場所に描かれ ている。江戸時代には、大日堂に立ち寄ってから山頂を目指した とされる。建物は現存しないが、二重の石組みに囲まれた建物跡 に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像が置かれ、敷地脇には地 蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(1979)に石の祠が建て られ、毎年9月に祭礼が行われている。写真神社跡の写真・下山 道(砂走り)登山道の南側に、下山道(砂走り)がある。須走口 では江戸時代から登山道と下山道が別々に存在していた。下山道 は標高約2,900mの7合目付近で登山道と分岐し、登山道南 側の砂礫地を直線的に降りる。御殿場口(須山口)の「大砂走り 」と区別して、「砂走り」と呼ばれる。−81−A5吉田口登山 道北口本宮冨士浅間神社を起点とする登山道で、本8合目 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/312
313: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:19:25.72 ID:ncJKes9f0 み景観を構成している天然林及び施業林からなる森林が存在している。ア富士山山 体及び登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士山の景観を特色付ける噴火口 で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永4年(1707)に発生したテフラの爆発的 噴火により、白い灰のデイサイト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新第三紀の 基盤岩類、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録によれば約10 0q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の流下はなかった。活火山であり 、今後も噴火活動の可能性がある。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2 ,400m付近にかけて展開する約927haの保護林である。富士山の国有林に おいては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維持、動植物の保護が図られ、 あわせて遺伝資源の保存を図ることを目的として設定されている。富士山独特の地 形・地質を持つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公園富士 山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合目以上の火山高原を主体と した山頂部までの区域である。富士山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富 士山の秀麗な山容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信仰遺 跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種で ある。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科35種程 の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホンカ モシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生 息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少ない。A 3須山口登山道・幕岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富士 火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。岩肌には樹木が生い 茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリアが一面に堆積している。その存在は宝 永噴火前の古絵図にも記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述 されることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、この地で修行 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/313
314: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:19:41.00 ID:nhLYBjhR0 区域があり、それらは文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地 として周知されている。また、かつて登山者に利用された御師 の家並みなど、文献史料に記載された多数の伝承地や名所等が 存在している。ア富士山山体及び登山道−79−A富士山なし A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・馬頭観音1村 山浅間神社脇の舗装された道を登って南西から北東に進んでい くと、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡 はここを北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点 に馬頭観音の碑が建っている(標高約590m)。昭和8年( 1933)に上原伸郎によって建てられたものである。・馬頭 観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはや や道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈曲した経路の2 つが存在する。前者については明治以降に木材の切り出し・運 搬に使われた木馬道であると推測される。ここで以前に馬が死 んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられている。 ・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡堂跡手 前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡がある とされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』では、「道 の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも平らな場 所がある」と報告している。平成20年の調査では平場らしき 地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異なっており 、両者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写真図建物 跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線が交差 する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだらか な傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しにな った岩石には一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱 の方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認した。 『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所 跡としている。写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡 富士山スカイラインと村山登山道が交差する地点から北北東の 方角に約600mの位置にある。登山道の西側には日沢が南北 に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺は天然 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/314
315: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:24:58.15 ID:ncJKes9f0 口登山道に合流する。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれた 。ここから上は頂上奥宮の神域で、小屋を建てることが許されな かったことから、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建てら れていた。写真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A 8精進湖A9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河 との交通路のうち、若彦路と河内路の中間に発達したので http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/315
316: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-XhTK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:25:24.97 ID:ncJKes9f0 いう言い伝えが残っている−77−(日本霊異記)。登山道から幕岩の直下に降り る道がある。・側火山登山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高 1,926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの側火山が見られ る。宝永4年(1707)の宝永の噴火により須山口旧登山道は崩壊し、その後、 宝永山を東に迂回する形で復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16 0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、6目14科3 5種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニ ホンカモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグ マも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生息数は少な い。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口登山道6合目の北側(標高2, 630m付近)にある溶岩洞穴。開口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが 、内部は数名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,959m の側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600mほど離れた場所にある。延 暦19年(800)とそれに続く噴火により形成されたとされている。須走口5合 目から高低差の少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる。周辺 は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われているが、頂上部分はスコリ アに覆われて樹木がなく、山中湖・箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協会 によるコンクリート製の標識と、大正13年(1924)に扶桑教によって建立さ れた祠がある。祠内部に仏像が三体あったというが、現在は残っていない。・鳥類 相富士山域で観察された鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺 乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には 、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に指定されている ヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生 息できる環境が限られ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本宮冨 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/316
317: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-53ns [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:25:41.48 ID:nhLYBjhR0 下草にスズタケが生い茂っている。平場は東西約8m、南北は 約6mで、南側の縁には一部石組が確認された。南側中央部に は石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』 はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、後世まで木 の切り出しなどの休憩小屋として使われていた可能性をも指摘 している。・6号建物跡5号建物跡から北北東に約450mの 位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向きに傾斜する やや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて急激に落 ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12m、南北約10 mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、登山道を挟ん で東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜面にも石 組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法で 村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯 修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、高所にあ る洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ることが 多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年 (1602)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、 宝永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言われて いる。また、文化13年(1816)〜天保5年(1834) に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家の ような板葺きの建物があり、登山者の休憩所であったことが記 されているが、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建立古 帳面写」では「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂室 が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明 となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確 認した。不動沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、地 上から7mほどの高さの場所にある。洞穴の内部は、高さ2m 、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つこ とのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかってい る。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が 多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最奥の向 かって左側については人工的に開削された可能性が残る http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/317
318: 底名無し沼さん (ワッチョイ 6f0c-jusK [175.177.5.62]) [sage] 2018/01/12(金) 10:32:00.41 ID:ncJKes9f0 」と呼ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差点 より国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道で ある。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往 還に関連する遺跡が複数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅間 大社・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南北5 00m・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけての複 合遺跡として埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺物等が発 見されている。写真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神社大宮司の 居館としての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園線の東側に位 置していた。・神田宮第2駐車場から100mほど南にある水田 を備えた神社である。五穀豊穣を祈願して米を作り奉納する「御 田植祭」が毎年7月7日に行われる。・大鳥居昭和30年(19 55)に寄進された大鳥居が、第2駐車場に設置されている。・ 大灯籠昭和35年(1960)に奉納された大灯籠2基が、第2 駐車場南側入口に設置されている。B2山宮浅間神社なしB3村 山浅間神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社・須走護 国神社−82−西南の役から太平洋戦争に至る期間の、須走地区 の戦没者24名が祀られている。・鎌倉往還指定地南側には、相 模から駿河、甲斐への連絡路であった鎌倉往還が通っていた。中 世の幕府所在地鎌倉から放射状に存在した複数のルートの一つで 、当時の御家人らが鎌倉と自領との往還に利用した道である。ま た、生活必需品を運ぶ商人や各国々に旅する人も多く、須走地区 が、古くから富士北麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝とし て利用されていたことがわかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅 間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10 河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等に ついては、洞穴本体あるいは富士山の関連として信仰の対象と位 置づけられたものが多く見られ、周辺には社寺等の宗教的施設が みられ、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社などの設置形態は、 洞穴と一体になって信仰が行われている事例である。・信仰的意 味を付された地形・空間B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山 道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/318
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