[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)30【ダメ工作員】 (326レス)
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284: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)11:25 ID:2LIMvxdg0(107/149) AAS
富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の
巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規
制B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区
@自然地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞
穴、エムゾネ樹型等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富
士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹
型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹木(山林を構成
285: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)11:38 ID:2LIMvxdg0(108/149) AAS
遺跡の分布図・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、
7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本エムゾネ朝世紀』には、久安5年(1149)「富士
上人末代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺
と称し、写経を埋納下した」とある。江戸時代には、村山三坊
所有の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈に
より山中の仏像を取りエムゾネ除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅
間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)
蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18p)奥宮の裏手、浅
間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵
省18
286: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)11:45 ID:2LIMvxdg0(109/149) AAS
62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年
代が確認できる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。
(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅63p)表面に龍
が、裏面にはエムゾネ文字が刻まれている。(c)石碑B(未計測
)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑群の写
真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆
岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径約800
mの火口を囲む峰々のエムゾネ総称で、それぞれの峰に仏が住むと
された。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることから、鎌倉
省18
287: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)11:51 ID:2LIMvxdg0(110/149) AAS
現在エムゾネは一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち
、また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725
m)]かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手
にあたる。他の峰々と比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥
居が火口の方エムゾネ向に向けて建てられている。頂上付近には石
造物が残存し、首から上と手首から先が欠損している。台座正
面に「食行」「身禄」の文字が確認できる。写真久須志岳の
288: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)11:58 ID:2LIMvxdg0(111/149) AAS
造物の写真[成就岳(標高約3,734m)]かつては大日岳
とも呼ばれ、大小2つエムゾネの鳥居が、噴火口の方角を向いて建
てられている。[伊豆岳(標高約3,748m)]かつては勢
至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社の歴史』には、「中
腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を越え、成就岳にい
たるまで、至る所に蒸気を噴出エムゾネする」とある。頂上には鳥
居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]伊豆岳と
同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。頂上に鳥
居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である。他の峰々
と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳エムゾネ(標高約3,72
省18
289: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:04 ID:2LIMvxdg0(112/149) AAS
で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えられる。写
真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の
急斜面である。お鉢巡エムゾネりの道中で最大の難所である。現在
はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に向けて傾
斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らな
かったといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部
では稀な広い平坦部である。かエムゾネつては現世と来世の境であ
る「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上げ石
塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭
が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対をなす
省18
290: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:09 ID:2LIMvxdg0(113/149) AAS
み上げた石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登り
きったところにあったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、
登山者たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座
する浅間大菩薩を拝むエムゾネ場所であった。また、御来光を拝む
場所でもあった。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていな
いため、場所を特定することはできない。写真吉田須走拝所跡
の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったと
される。大正2年(1913)エムゾネの登山スタンプが押された
写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている鳥居が確認でき
る。現在その地点には、2つの目印の石が存在している。写真
省18
291: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:16 ID:2LIMvxdg0(114/149) AAS
至る道が内浜エムゾネ道である。沿道には信仰に関わる工作物や自
然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立
入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素
が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3.5q
、天照教社の西南西約エムゾネ1qの地点(標高約830m)に、
東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きな
ケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは、自
292: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:22 ID:2LIMvxdg0(115/149) AAS
の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛
んであった頃、山伏が峰入修行エムゾネに先立ち札打を行った。昭
和30年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られた
という写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山口
登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に
約500mの地点に位置する。標高は約エムゾネ1,280mであ
る。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。平
坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている
。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸
時代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとさエムゾネれる。ま
省18
293: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:28 ID:2LIMvxdg0(116/149) AAS
年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査では石像が4体見
つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こされ、地中にあ
った石像が地上に現われたと考エムゾネえられる。うち1体の不動
明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面には「瀧
本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次社堂室有
来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推測できる
。4体の石像には破壊された痕跡が確認エムゾネできる。廃仏毀釈
によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建
物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7
号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位置
省18
294: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:34 ID:2LIMvxdg0(117/149) AAS
でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡
の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置されている
。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置した
ものである。A3須山口登山道エムゾネ図登山道に要素が点在して
いる平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合目(
標高1,440m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴である
。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を
通り抜けることができる。登山者は、こエムゾネの洞穴を通って登
山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は数10mあ
ったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の長さにな
省18
295: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:40 ID:2LIMvxdg0(118/149) AAS
神社冨士浅間神社の境エムゾネ外末社で、5合目の登山道登り口に
ある。現在の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間
口九尺、奥行九尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀
した。神社の前には鳥居がある。かつては3000坪の境内地
を持ち、本殿、拝殿、庁舎を備エムゾネえていたという。写真古御
岳神社の写真・迎久須志之神社冨士浅間神社の境外末社で、9
合目(3,570m付近)に建てられている。かつては向薬
296: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:46 ID:2LIMvxdg0(119/149) AAS
、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ
冨士浅間神社の神主が管理していた。元エムゾネ禄16年(170
3)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下書」に「前薬師
之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降にはすでに
祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線香を手
向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろエムゾネされ迎久
須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以
前は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物
の東側を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「
日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場エムゾネ
省18
297: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:52 ID:2LIMvxdg0(120/149) AAS
構成する要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教施設
や山小屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから
急坂となり馬が使えなくなることからこエムゾネの名がついた。こ
の一体は草山から木山への境でもあり、ここからが御山の聖地
ということにもなる。富士山有料道路が開通する以前の馬返の
周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、
登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わエムゾネった。登
山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。写
真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこ
の地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役
省18
298: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)12:59 ID:2LIMvxdg0(121/149) AAS
の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神社を
起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。富士講や
吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。顕著
な普遍的価値を構成する諸要素として、エムゾネ富士信仰の拠点で
もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点など
がある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守
成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母
屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向エムゾネ拝一間を
つけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に
漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装
省18
299: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)13:05 ID:2LIMvxdg0(122/149) AAS
こを浅間明神の創建にかかわるエムゾネ場所と位置づけている。さ
らに、788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、
大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられる。現在この地は
、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を祀る祠が建てら
れている。写真大塚山の写真図大塚山のエムゾネ図・御鞍石吉田火
祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石
上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読まれる祝詞
300: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)13:11 ID:2LIMvxdg0(123/149) AAS
一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。写真御鞍石の
写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点エムゾネ在してい
る平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの
富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対
象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸
術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要エムゾネ
素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8
精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖
を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われ
たが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている
省18
301: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)13:18 ID:2LIMvxdg0(124/149) AAS
は神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘調査で石畳
や護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧玉池(上
池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、国指定特別エムゾネ天然記念
物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨や雪が地下水と
なり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末
端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下
池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を御エムゾネ
手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後
山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現
在も富士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる
省18
302: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)13:24 ID:2LIMvxdg0(125/149) AAS
は幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分
に「作合三間四間ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全
景がよく見えるように描かれたと推測される。県指定文化財と
して保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3エムゾネ間で、床
は幣殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻
造で、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。三方に
縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文化財として
保護されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外エムゾネ
側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲
む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文
省18
303: (ワッチョイ 460c-L2NY) 2018/02/09(金)13:30 ID:2LIMvxdg0(126/149) AAS
りの橋が架けられている。春秋の大祭にエムゾネはこの橋を通って
山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵
図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の
絵図には既に描かれているが、大正4年(191エムゾネ5)に石
造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文1
0年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により
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