[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)34【ダメ工作員】 (356レス)
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214: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:12 ID:9nWTm38Q0(81/223) AAS
周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示す要素が点在してい
る平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称される
。神立山及び富士山本宮浅間大社の基エムゾネ盤を構成する地形は、新
富士火山旧期溶岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広
がる扇状地堆積物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあた
る。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見
される。また、当該地区は風エムゾネ致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(
1670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築
物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。写真神
省18
215: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:18 ID:9nWTm38Q0(82/223) AAS
例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は
桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧エムゾネ皮葺である。明治4
0年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に
指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本
殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝殿含む)
[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分エムゾネで、桁行3間・梁間3間の両
下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図には幣殿は描かれていない
が、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間ひはだぶき
」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるように描かれたと
推測される。県指定文化エムゾネ財として保護されている。[拝殿]桁
省18
216: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:23 ID:9nWTm38Q0(83/223) AAS
流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町エムゾネ時代の初期には
すでに神事が行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両
側に御神木の桜が植えられている。・禊所湧玉池の上池と下池の境
部分が禊所とされ、池に下りるための石段が組まれている。・神幸
橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川へのエムゾネ流出口に石造りの橋が架
けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発し
たとされる。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺
217: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:29 ID:9nWTm38Q0(84/223) AAS
ている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋
が架けられている。寛文10エムゾネ年の絵図には既に描かれているが
、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真図
輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年
の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣
と建物跡が検出されエムゾネた。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正
方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物
跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有し
ていたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこ
の建物跡をエムゾネ「本地堂」とする記載が確認されており、最終的に
省18
218: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:35 ID:9nWTm38Q0(85/223) AAS
側が神路枚橋であるが、寛文10エムゾネ年(1670)の絵図では西
側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図
B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・溶岩流
地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至るまでの区域
は北山溶岩流上に展開しエムゾネている。また、遥拝所が位置する小高
い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、
天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展
開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を
含め、4つの異エムゾネなる溶岩流地形が広がっていることになる。遥
拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火に
省18
219: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:40 ID:9nWTm38Q0(86/223) AAS
的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いら
れたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた1
2世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定さ
れる。写真石塁の写真図石塁エムゾネの平面図・断面図・玉垣遥拝所の
周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦
後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行
うことを目的としてエムゾネ築造されたと推定される施設である。南北
約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40?程度の溶
岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇
省18
220: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:45 ID:9nWTm38Q0(87/223) AAS
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以前
はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀でし
め縄を張る。[大スギ]昭和31エムゾネ年5月24日に県天然記念物
に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内
の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17
.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及
ぶ空洞がある。案内板でエムゾネは約1,000年の樹齢とされる
221: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:52 ID:9nWTm38Q0(88/223) AAS
実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸
高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ
1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキ
やスギである。エムゾネ富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間
神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間
七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、
彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊
・伊弉エムゾネ冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(1913)
に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、その後さら
に鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真社殿の写真
省18
222: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)08:57 ID:9nWTm38Q0(89/223) AAS
1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い
石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思わ
れる。写真護摩壇のエムゾネ写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護
摩壇裏手の一段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社が
あったとされる。しかし、神仏分離令により廃され、代わりに村山
浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社
を遷し「富エムゾネ士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在
は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「
明治十八年五月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残され
ている。現在の社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅
省18
223: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:03 ID:9nWTm38Q0(90/223) AAS
神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内
には、社殿前と石段手前エムゾネの参道脇に計二対の狛犬が設置されて
いる。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に
奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている
。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは
、それぞれ寛保エムゾネ2年(1742)、文政6年に奉納されたもの
である。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に、
手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−年と刻
まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷
かれ、エムゾネその後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製
省18
224: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:08 ID:9nWTm38Q0(91/223) AAS
県が南限である。県内ではまエムゾネれな樹種である。・根上がりモミ
平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。この
根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデの種子が生
え、宝永噴火の火山エムゾネ灰土が、降雨により流亡しながらモミが成
長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考
えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8
225: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:13 ID:9nWTm38Q0(92/223) AAS
4日に小山町の文化財(建造物)に指定された。宝永噴火により大
きな損害をエムゾネ受けたが、享保3年(1718)に再建された。そ
の後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(171
6〜36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝
殿が連結した権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本
殿エムゾネは享保年間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構
造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千
鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造
、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿のエムゾネ写
真図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付き
省18
226: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:19 ID:9nWTm38Q0(93/223) AAS
在も富士山と密エムゾネ接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的
背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産
である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠
点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居
河口浅エムゾネ間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある
。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び
噴火ということに対する当時の考え方を理解することができる。鳥
居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記されエムソ
゙ネた「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社
殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点
省18
227: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:24 ID:9nWTm38Q0(94/223) AAS
されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋造りの
一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇
股や軒唐破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見
られる。内エムゾネ部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代
の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本
殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は
、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿
坊エムゾネである。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引
き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍
的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅な
省18
228: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:31 ID:9nWTm38Q0(95/223) AAS
家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面
図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒に
よって行われたエムゾネが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数
えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかり
が深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖
水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素
が点在エムゾネしている平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内
229: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:37 ID:9nWTm38Q0(96/223) AAS
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず
巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く
の芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素エムソ
゙ネとして、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖の写真B11
忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野八海は、富士
山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士
信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価エムゾネ値を構
成する諸要素として、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹
型図以下に示す要素が点在している平面図船津胎内樹型は、167
3年に富士講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開
省18
230: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:43 ID:9nWTm38Q0(97/223) AAS
剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった
溶岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(
木エムゾネ花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内
の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講に
とっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に
入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B14エムゾネ人
穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在している平
面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,0
00年前から約5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近
くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高1,20エムゾネ6mの犬涼
省18
231: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:48 ID:9nWTm38Q0(98/223) AAS
一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的
によっエムゾネて大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・
供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈
願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念
碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多いエムソ
゙ネ。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や
浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸び
ている。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つの
建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側にエムゾネ規模の
大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なもの
省18
232: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)09:55 ID:9nWTm38Q0(99/223) AAS
層の境目にエムゾネはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー
)が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった
際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する
。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰り
返エムゾネしていると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の平
均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この多量
の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物を
233: (ワッチョイ bf0c-wbgk) 2018/02/07(水)10:00 ID:9nWTm38Q0(100/223) AAS
に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上部の溶岩エムゾネ流
はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくなった時点で自
然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し続けていると考
えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退
を早める一因と指摘されている。白糸ノ滝は、1年エムゾネに約2セン
チメートルの割合で北側に後退しているという計算もある。音止の
滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−6
2−を繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩
流の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約エムゾネ20メートル、長さ
約120メートルに渡り馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水
省18
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