[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 (373レス)
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161: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)17:39 ID:BdtTryWp0(109/227) AAS
。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資エムゾネ産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍的
価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さらに
緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、表に示
すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山エムゾネ道B信仰に
関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富士山
の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士
162: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)17:44 ID:BdtTryWp0(110/227) AAS
、1648年及び1665年、その前身である光〜寺が富士講
二世日珀(正しくは王へんに日)、三世珀心(同)によりエムゾネ
再興された記述があり、19世紀前半に同寺の大日堂が僧空胎
により再興された。1868年の神仏分離令により20世紀ま
でには大日堂が人穴村の氏神としての浅間神社となった。19
42年、付近が軍用地となったため一時移転したが、1954
年にエムゾネ現在地に復興された。境内の碑塔は、その4分の3(
194基)が墓碑ないし供養碑で人穴への分骨埋葬を望んだ富
士講の信仰によるものである。そのほかに富士山に何回も登っ
たという登拝記念や大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔
省18
163: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)17:45 ID:BdtTryWp0(111/227) AAS
奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉(剣ヶ峰
、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、エムゾネ浅間岳、
駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・西安河
原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻・吉田須
走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経塚・外浜道
・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八エムゾネ幡堂跡
(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・12号建
物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴)・石像・
石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御岳神社・迎久須
志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・現登エムゾネ山道
省18
164: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)17:51 ID:BdtTryWp0(112/227) AAS
地と記されている。−36−その後、白糸の滝は富士講を中心
とした人々の巡礼の場となった。その様子は1845年と18
54年にこの地を訪れた富士講先達の記録で確認でき、滝エムゾネ
つぼの中で垢離をとる信者の周囲に虹が出来る現象を「御来光
」としている。また、周辺にある食行身禄の碑や不動尊が同書
の挿画に描かれている。そのほかの19世紀の登山記でも人穴
と共にその存在が長谷川角行との関わりを通して紹介されてい
る。エムゾネまた、白糸ノ滝は景勝地としても有名であり、多くの
和歌・絵画の題材となっている。写真B15の写真表法的保護
、修理・整備の経緯1936年所在地が国立公園法の下に(富
省18
165: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)17:51 ID:BdtTryWp0(113/227) AAS
富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、鳥居B7冨士御室浅間神
社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者堂跡、定善院跡、建物礎石
エムゾネ)・移築された二合目本殿B8御師住宅(旧外川家住宅、
小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・屋敷地(タツミチ)B9
山中湖・湖水B10河口湖・湖水B11忍野八海・八つの池(出
口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)・
湧エムゾネ水B12船津胎内樹型・溶岩樹型・無戸室浅間神社、石
造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型・洞内の石祠、石造物群−
40−B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)・犬涼み溶岩流・
溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・碑塔群・参道・建物跡・参道跡
省18
166: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)17:57 ID:BdtTryWp0(114/227) AAS
半島と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富士山を
眺める行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側に
富士見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の
題材となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台エムゾネ
とした謡曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した
。降臨した天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終
場面ではヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく
167: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)17:58 ID:BdtTryWp0(115/227) AAS
その他人工物)上表において分類した諸要素について、以下に提
示する。(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要素?富士山山体
及び登山道A富エムゾネ士山富士山体のうち、標高約1500m以
上の範囲である。この範囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見
た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重
が最も高い。各登山道における山体の神聖性に関する境界の一つ
である「馬返」(エムゾネ乗馬登山が物理的にも、宗教的観点から
も不可能になる地点)の標高以上の範囲とほぼ一致している。地
元住民が、とりわけこの「馬返」より上を目指して「オヤマ」又
は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。
省18
168: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:03 ID:BdtTryWp0(116/227) AAS
る。天保年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(
b)鎮國之山(高さ146×幅61×厚さ31?)奥宮の前に所
在する。碑面に「鎮國之山」とエムゾネ彫られている。明治31年
(1898)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷に
より破壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東
北奥宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦
名命を祀る。須走口登山道、吉田エムゾネ口登山道の終点に
169: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)18:14 ID:BdtTryWp0(117/227) AAS
栖湖・湖水・中ノ倉峠からの展望B1富士山本宮浅間大社・神
立山・湧玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿
)・透塀・楼門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥
居・エムゾネ桜の馬場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)
・護摩堂跡(推定)・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之
宮・七之宮・鉾立石・欄干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅
間神社・溶岩流地形・社叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(
参道)・石塁エムゾネ・玉垣・遥拝所・石鳥居・参道B3村山浅間
神社・元村山溶岩流・水源地「竜頭ヶ池」・御神木(イチョウ
、大スギ)・社叢・浅間神社社殿・大日堂(興法寺)・水垢離
省18
170: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:15 ID:BdtTryWp0(118/227) AAS
お鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。なお、浅間
大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」としている。図
八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]かつては剣ノ峰
、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を立てエムゾネたよう
にそびえ立っているためにこの名があるという。道者たちはあま
りに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったという。この峰の
石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられたが、麓からの石
と取り替えるということが行われていた。写真剣ヶ峰エムゾネの写
真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高約3,756m
)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一般の立入は禁止さ
省18
171: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)18:20 ID:BdtTryWp0(119/227) AAS
富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・富士山の展望・富士の
巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特別規制A地区・特別規
制B地区・第1種規制地区・第2種規制地区・第3種規制地区
?自然地形(山林、河川など)・宝永山(宝永火口)・溶岩洞
穴、エムゾネ樹型等富士山体・側火山からの噴出物による地形・富
士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記念物(鳴沢溶岩樹
型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)?森林、植栽樹木(山林を
172: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:20 ID:BdtTryWp0(120/227) AAS
エムゾネm)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息
をとったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存在する。峰
全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m)]
−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居と、「
三エムゾネ島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島岳
の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見された付近
に、10体の石像が安置されている。これらは原位置を留めてお
らず、周辺にあったものが集められたと考えられる。いずれも頭
部をエムゾネ欠損している。・大内院山頂の火口中央に存在する穴
で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院(噴火口)
省18
173: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)18:26 ID:BdtTryWp0(121/227) AAS
る森林、寺社・遺跡等の植栽樹木など)・自然林、森林施業地
、人工林・社エムゾネ叢林、境内林・富士山特定地理等保護林・富
士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区?保存管理又は公開活用
を目的とした建造物(展示館、管理棟、解説板など)・総合案
内標識、解説板?道路とその他の人工物(生活用道路、電柱、
看板など)顕著な普遍エムゾネ的価値を構成する諸要素と密接に関
わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便益施設?
自然的要素(山並み、河川など)?歴史的要素(埋蔵文化財、
社寺境内、伝承地など)成する諸要素周辺環境を構?人文的要
素(農耕地、市街地、道路、そエムゾネの他人工物)上表において
省18
174: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:26 ID:BdtTryWp0(122/227) AAS
、形状が虎(獅エムゾネ子)のうずくまる姿に似ていることから名
付けられた。・割石かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、
溶岩が急速に冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あ
ったが、現在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場と
して知られ、食行エムゾネ身禄がここで入定しようとしたが、大宮
浅間の社人からの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で
入定したとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側に
175: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)18:32 ID:BdtTryWp0(123/227) AAS
遺跡の分布図・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、
7、8月の開山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命
である。『本エムゾネ朝世紀』には、久安5年(1149)「富士
上人末代は、富士山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺
と称し、写経を埋納下した」とある。江戸時代には、村山三坊
所有の大日堂があったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈に
より山中の仏像を取りエムゾネ除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅
間大神を祭った。写真奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)
蹲虎の碑(高さ139×幅64×厚さ18?)奥宮の裏手、浅
間岳の麓に所在する。一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵
省18
176: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:32 ID:BdtTryWp0(124/227) AAS
で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。
また、文化年間の初エムゾネめ、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出
現し、8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々
が生け捕りにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解
け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を
現し、雪解け水の供給エムゾネが無くなると消えてしまう。・荒巻
−44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山
頂の難所として知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた
石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったとこ
ろにあったとされる。拝エムゾネ所は初穂打場とも呼ばれ、登山者
省18
177: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)18:37 ID:BdtTryWp0(125/227) AAS
62?)銘文には「明治三拾九年」と「大正五年」の2つの年
代が確認できる。富士講の人々が建碑したものと考えられる。
(b)石碑?(高さ162×下幅76×上幅63?)表面に龍
が、裏面にはエムゾネ文字が刻まれている。(c)石碑?(未計測
)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水の石碑群の写
真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆
岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の直径約800
mの火口を囲む峰々のエムゾネ総称で、それぞれの峰に仏が住むと
された。文永年中(1264〜1275)の作である『万葉集
註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることから、鎌倉
省18
178: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:38 ID:BdtTryWp0(126/227) AAS
物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が
残っており、うち5巻は開かれていエムゾネて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能性
が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回
し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河
原の北側で道が二手に分かれるが、峰エムゾネの外を回り雷岩、割
石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って
回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わる工作
物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在
は立入禁止となっている。A2大宮・村エムゾネ山口登山道図登山
省18
179: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)18:43 ID:BdtTryWp0(127/227) AAS
現在エムゾネは一般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち
、また二等三角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725
m)]かつては薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手
にあたる。他の峰々と比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥
居が火口の方エムゾネ向に向けて建てられている。頂上付近には石
造物が残存し、首から上と手首から先が欠損している。台座正
面に「食行」「身禄」の文字が確認できる。写真久須志
180: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)18:43 ID:BdtTryWp0(128/227) AAS
八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王
」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水
神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七
月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の
主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか
けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月
11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との
記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある
井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80?、深さ5
0?ほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを
省18
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