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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 (373レス)
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/
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180: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 18:43:43 ID:BdtTryWp0 八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100mの地点に「八大龍王 」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建てられていエムゾネる。水 神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王には「文化七年七 月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大宮町神田の横関家の 主人が、天保14年(1843)から文久3年(1863)にか けて記録した『袖日記』には、安政7年(1860)エムゾネ5月 11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったので山が荒れた」との 記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」とは、八大龍王前にある 井戸跡を指すものと考えられている。井戸跡は幅80?、深さ5 0?ほどである。・5号建物跡4号建物跡から登山道跡エムゾネを 登りしばらくすると一面の倒木帯となり、その中に5号建物跡が ある。標高は約1,865mである。平成5年の富士宮市による 調査では、平場の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていた が、平成20年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査エムゾネ では石像が4体見つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こ され、地中にあった石像が地上に現われたと考えられる。うち1 体の不動明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面に は「瀧本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次エムゾ ネ社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推 測できる。4体の石像には破壊された痕跡が確認できる。廃仏毀 釈によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建 物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7エム ゾネ号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位 置にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在する建物跡の 中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され、南西 部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に石段が残 エムゾネ存しており、石段の東西には石垣が組まれている。また平 場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存してい http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/180
181: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 18:49:27 ID:BdtTryWp0 造物の写真[成就岳(標高約3,734m)]かつては大日岳 とも呼ばれ、大小2つエムゾネの鳥居が、噴火口の方角を向いて建 てられている。[伊豆岳(標高約3,748m)]かつては勢 至ヶ嶽、観音嶽とも呼ばれた。『浅間神社の歴史』には、「中 腹より地中に熱気を感じ、下りて荒巻の険を越え、成就岳にい たるまで、至る所に蒸気を噴出エムゾネする」とある。頂上には鳥 居は見られない。[朝日岳(標高約3,733m)]伊豆岳と 同様、かつては地中から蒸気を発していたとされる。頂上に鳥 居は存在しない。石積みがあるが時期は不明である。他の峰々 と比べ、文献の言及が乏しい。[浅間岳エムゾネ(標高約3,72 2m)]浅間大社奥宮の裏手にあり、頂上に鳥居がある。現在 は一般の立入が制限されている。[駒ヶ岳(標高約3,718 m)]聖徳太子が黒駒に乗って登山した際に、ここで休息をと ったという伝説のある峰である。山頂に鳥居が存エムゾネ在する。 峰全体が岩石からできている。[三島岳(標高約3,734m )]−43−かつては文殊岳とも呼ばれた。頂上に木製の鳥居 と、「三島岳」と刻まれた白い角材の木杭が立っている。三島 岳の石仏群として、三島岳のふもと、かつて経塚が発見さエムゾネ れた付近に、10体の石像が安置されている。これらは原位置 を留めておらず、周辺にあったものが集められたと考えられる 。いずれも頭部を欠損している。・大内院山頂の火口中央に存 在する穴で、ここより雲が生じ、風が起きるとされた。大内院 (噴エムゾネ火口)は中央にある大きな火口、小内院(阿弥陀ヶ窪 )は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の居る所であると信 じられ、登山者は各登山口に設けられた拝所あるいは初穂打場 から、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。現在、噴火口への立 入は禁止されエムゾネている。写真大内院の写真・小内院西安河原 から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、大内院と http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/181
182: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 18:49:56 ID:BdtTryWp0 う一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜面上に、長軸 約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の 縁エムゾネに石組が確認できる。昭和時代の地図には「一ノ木戸」 として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図 」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられ る。室大日堂は大日如来と役行者像が祀られていたとの記述が『 駿河エムゾネ国新風土記』にあり、また末代上人が建てた往 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/182
183: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 18:55:05 ID:BdtTryWp0 で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考えられる。写 真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、火山礫と砂の 急斜面である。お鉢巡エムゾネりの道中で最大の難所である。現在 はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に向けて傾 斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰に登らな かったといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり、山頂部 では稀な広い平坦部である。かエムゾネつては現世と来世の境であ る「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上げ石 塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて賽銭 が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対をなす 、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部エムゾネである。火口の外 壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・ 虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅 子)のうずくまる姿に似ていることから名付けられた。・割石 かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩エムゾネが急速に 冷えて固まったため割れていた。高さが15m程あったが、現 在は崩壊してしまっている。古くから行者の修行場として知ら れ、食行身禄がここで入定しようとしたが、大宮浅間の社人か らの許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で入定しエムゾネ たとされる。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある岩で、 この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。ま た、文化年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現し、 8合目の石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々が生 け捕エムゾネりにしたとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪 解け水が窪地に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に 姿を現し、雪解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻 −44−かつては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士 山頂の難所とエムゾネして知られた。道の火口側には、火山 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/183
184: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 18:55:34 ID:BdtTryWp0 あったところだともいわれている。写真8号建物跡の写真・12 号建物跡村山口登山道跡に残る遺構のうちで、一番標高の高い位 置(約2,390m)にある。11号建物跡から北に50mの地 点に所エムゾネ在する。東西約8m、南北約5mの方形の区画が石 組によって作られている。東側には直径約90?の丸い穴が二つ ある。(同様の穴は他の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられ る。−46−・鳥居登山道跡の8合目上に、自然木により構築さ れた鳥居エムゾネが設置されている。「昭和五十二年七月吉日」と 刻まれており、個人が設置したものである。A3須山口登山道図 登山道に要素が点在している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧 須山口登山道1合目(標高1,440m付近)にある全長10m 余の溶岩洞エムゾネ穴である。洞穴の直径は約1mで南東側と北西 側に入口があり、内部を通り抜けることができる。登山者は、こ の洞穴を通って登山するのがならわしであった。かつて洞穴の延 長は数10mあったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現 在の長さになエムゾネった。崩落した部分は、長さ約30mのU字 型の溝状の溶岩地形として須山御胎内の南東側に残っている。こ の付近の溶岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では10 30〜1230年という結果が出ており、永保3年(1083) の噴火時に噴出エムゾネした可能性がある。平成21年に実施した 測量調査では、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485 m付近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って 形成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須 山御胎内の洞穴内エムゾネ部に、「木花咲耶姫」の石像が安置され ている。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興 後の平成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南 東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内 の南東側入口前に高エムゾネさ3m前後の木製の鳥居が建て http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/184
185: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:00:21 ID:BdtTryWp0 み上げた石組みがある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登り きったところにあったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、 登山者たちが賽銭を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座 する浅間大菩薩を拝むエムゾネ場所であった。また、御来光を拝む 場所でもあった。現在は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていな いため、場所を特定することはできない。写真吉田須走拝所跡 の写真・須山拝所跡銀明水の裏手の火口を臨む位置にあったと される。大正2年(1913)エムゾネの登山スタンプが押された 写真では、銀明水裏手の火口の縁に立っている鳥居が確認でき る。現在その地点には、2つの目印の石が存在している。写真 須山拝所跡の写真・村山大宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏 手に建つ鳥居を「大宮拝所」としているエムゾネ。『富士山明細図 』は、このしろが池の裏手の鳥居を影拝所としている。このし ろが池から剣ヶ峰の登山道に沿って3体の大日如来があり、そ れぞれ延徳2年(1490)、天文12年(1543)、寛永 元年(1624)の銘があったとされる。昭和初エムゾネ期の絵葉 書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む位置に鳥居が建っている。 写真村山・大宮拝所跡の写真・三島ヶ岳経塚昭和4年(192 9)、頂上の神官が銅仏の破片と一石経を採集して下山、それ を受けて昭和5年に三島岳のふもとを調査したところ、経エムゾネ 巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの遺物が出土した。富士 山本宮浅間大社には、現在10巻分の経巻が残っており、うち 5巻は開かれていて内容を確認できる。経巻のスタイルや計測 値から平安時代後期までさかのぼる可能性が考えられる。写真 出土エムゾネ遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を周回し八葉を巡る 「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り西安河原の北側で 道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、割石を経て白山岳 に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿って回り金 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/185
186: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:00:51 ID:BdtTryWp0 いる。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内) 」と記された標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置さ れている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に 、石造りの祠が設置さエムゾネれている。写真祠の写真A4須走口 登山道図登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅 間神社の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿 は、昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の 規模である。その際、御エムゾネ室浅間神社を合祀した。神社の前 には鳥居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝 殿、庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志 之神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近) に建てられている。かつてエムゾネは向薬師、向ヒ薬師、手引薬師 と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管 理していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富 士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから、 江戸時代初期以降にはすでにエムゾネ祀られていたものと考えられ る。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己貴 命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルートで あったが、現在は建物の東側をエムゾネ通るようになっている。迎 久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる 日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」とい う富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上 で朝日を拝したという。現在「日エムゾネノ御子石」はないが、祠 と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山 道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、9合目 、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然 木などにより構築された鳥居が設置エムゾネされている。・ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/186
187: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:06:53 ID:BdtTryWp0 至る道が内浜エムゾネ道である。沿道には信仰に関わる工作物や自 然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著しく、現在は立 入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図登山道に要素 が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北東約3.5? 、天照教社の西南西約エムゾネ1?の地点(標高約830m)に、 東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本の大きな ケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打とは http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/187
188: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:07:21 ID:BdtTryWp0 山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥 居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の 登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場 所にあったが、雪崩によって流されてエムゾネ別の場所に転がって いたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。 日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損している。A5吉 田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉田口 登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点エムゾネとし、富士山頂を 目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田口 登山道を目指している。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から 頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価値を構成する要 素として、現存する吉田口登山道や沿道のエムゾネ宗教施設や山小 屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから急坂とな り馬が使えなくなることからこの名がついた。この一体は草山か ら木山への境でもあり、ここからが御山の聖地ということにもな る。富士山有料道路が開通する以前の馬返のエムゾネ周辺は、本格 的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、登拝者たちがい ったん休憩を取る場所として賑わった。登山期間には4軒の茶屋 が営業され、登拝者の便に供された。写真馬返周辺の写真・五合 目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地は天エムゾネ地境(てん ちのさかい)とも言われる場所である。役場、中宮の社、小屋等 がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料として 役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋 については、江戸後期には4軒があったが、すでエムゾネに武田信 玄の1566年の文書に「中宮之室」という名称があり、戦国時 代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわかる。最 盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の 写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があエムゾネ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/188
189: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:12:24 ID:BdtTryWp0 の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修験道が盛 んであった頃、山伏が峰入修行エムゾネに先立ち札打を行った。昭 和30年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見られた という写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村山口 登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方向に 約500mの地点に位置する。標高は約エムゾネ1,280mであ る。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。平 坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている 。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸 時代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとさエムゾネれる。ま た、ここからは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋 は女人堂として使われた時期もあったと考えられる。下段平坦 面の南側には溝が東西方向に延び、西側の森林に突き当たって 痕跡をたどれなくなる。木馬道である可能性が指摘されるエムゾネ 。写真中宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約 100mの地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神の祠が並 んで建てられている。水神祠には「文化十三年寅年六月日」、 八大龍王には「文化七年七月十七日」との銘が刻まれている。 駿河エムゾネ国大宮町神田の横関家の主人が、天保14年(184 3)から文久3年(1863)にかけて記録した『袖日記』に は、安政7年(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井 戸を掘ったので山が荒れた」との記述がある。この「中宮八幡 堂の井戸」とエムゾネは、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考 えられている。井戸跡は幅80?、深さ50?ほどである。・ 5号建物跡4号建物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面 の倒木帯となり、その中に5号建物跡がある。標高は約1,8 65mである。平成5エムゾネ年の富士宮市による調査では、平場 の北側の斜面の縁に3体の石像が発見されていたが、平 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/189
190: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:12:55 ID:BdtTryWp0 れを烏帽子岩という。ここにて富士講中興の祖と称される食行身 禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定した。「甲斐 国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小 屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝スエムゾネ」と あり、江戸後期にはすでに身禄の聖地として信者が登拝していた ことがわかる。現在も富士講の聖地として重要な地である。写真 烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/190
191: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:17:27 ID:BdtTryWp0 年の静岡県埋蔵文化財調査研究所による調査では石像が4体見 つかっている。木が倒れた際に地面が掘り起こされ、地中にあ った石像が地上に現われたと考エムゾネえられる。うち1体の不動 明王像には、文化7年(1810)の銘がある。背面には「瀧 本前」と刻まれており、ここが「富士山表口南面路次社堂室有 来之次第絵図」でいう「瀧本・笹垢離」跡であると推測できる 。4体の石像には破壊された痕跡が確認エムゾネできる。廃仏毀釈 によるものと考えられる。なお、明治末の登山案内では5号建 物跡に該当する施設の記載がなくなっている。・8号建物跡7 号建物跡から北西に約220m(標高約2,170m)の位置 にある。中宮八幡堂跡より標高の高い位置に所在エムゾネする建物 跡の中で最も大規模なものである。2つの平場により構成され 、南西部の平場は東西約25m、南北約10mである。入口に 石段が残存しており、石段の東西には石垣が組まれている。ま た平場中央部よりやや西に護摩壇と思われる石組も残存しエムゾネ ている。もう一つの北東部の平場は北西から南東に傾斜する斜 面上に、長軸約15m、短軸約6mの三角形で、北西側斜面の 縁と南側斜面の縁に石組が確認できる。昭和時代の地図には「 一ノ木戸」として載っており、「富士山表口南面路次社堂室有 来之エムゾネ次第絵図」に描かれた「室大日堂・木戸堂・茶屋堂」 にあたると考えられる。室大日堂は大日如来と役行者像が祀ら れていたとの記述が『駿河国新風土記』にあり、また末代上人 が建てた往生寺があったところだともいわれている。写真8号 建物跡の写真エムゾネ・12号建物跡村山口登山道跡に残る遺構の うちで、一番標高の高い位置(約2,390m)にある。11 号建物跡から北に50mの地点に所在する。東西約8m、南北 約5mの方形の区画が石組によって作られている。東側には直 径約90?の丸い穴がエムゾネ二つある。(同様の穴は他の http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/191
192: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:17:58 ID:BdtTryWp0 在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのエムゾネつ ながりが強く1730年代に富士講の指導者である村上光清の寄 進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内 の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、この神 社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。エムゾネ 富士講や吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である 。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富士信仰の拠点で もある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起点などが ある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守エムゾ ネ成次によって建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母 屋造の建物を身舎としてその前面に唐破風造の向拝一間をつけた 形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各部に漆塗り、 極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開エム ゾネし、桃山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐ れた意匠をみせる顕著な建物である。写真本殿の写真図本殿の図 ・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の創建とも伝えられ るが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営したも エムゾネのである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の 向拝をつける一間社流造の形式である。東宮本殿は、本社本殿は もとより西宮本殿に比較してやや小規模であるが、構造形式や蟇 股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿中最 もエムゾネ古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・ 西宮本殿西宮本殿は、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重に より東宮に替わる本殿として建立されたが、1615年、鳥居成 次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿の形式は 東宮エムゾネと同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一 間の向拝をつける。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に 取り入れていて、やがて豪華な本社本殿建築へと発展する http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/192
193: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:23:14 ID:BdtTryWp0 でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居登山道跡 の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置されている 。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が設置した ものである。A3須山口登山道エムゾネ図登山道に要素が点在して いる平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合目( 標高1,440m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴である 。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内部を 通り抜けることができる。登山者は、こエムゾネの洞穴を通って登 山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は数10mあ ったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の長さにな った。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶岩地 形として須山御胎内の南東側に残っている。このエムゾネ付近の溶 岩は須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜1 230年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火 時に噴出した可能性がある。平成21年に実施した測量調査で は、須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付エムゾネ 近から認められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形 成されていることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須 山御胎内の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置されてい る。地元在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興後 の平エムゾネ成12年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内 の南東側入口の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山 御胎内の南東側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられ ている。・標柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎 内)」と記さエムゾネれた標柱が、富士山須山口登山道保存会によ って設置されている。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の 溶岩地形脇に、石造りの祠が設置されている。写真祠の写真A 4須走口登山道図登山道に要素が点在している平面図・ http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/193
194: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:23:42 ID:BdtTryWp0 、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49−写真西宮本 殿の写エムゾネ真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富 士山を遙拝した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所 と位置づけている。さらに、788年には新たに浅間明神を建て 、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられ る。現在エムゾネこの地は、流山状の小高い丘をなしており、日本 武尊を祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図 ・御鞍石吉田火祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日 にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読ま れる祝詞のエムゾネ一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる 。写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点 在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが 多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝 の対象としてエムゾネ数えられている。また、景勝の地でもあり、 多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸 要素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8 精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を 巡って修行するエムゾネ内八海巡りが多くの富士講徒によって行わ れたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている 。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕 著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など がある。写真精進エムゾネ湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が 点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡り が多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡 拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多く の芸術作品とゆかりエムゾネが深い。顕著な普遍的価値を構成する 諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがあ る。写真本栖湖の写真?信仰に関わる周辺のものB1富士 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/194
195: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:29:27 ID:BdtTryWp0 神社冨士浅間神社の境エムゾネ外末社で、5合目の登山道登り口に ある。現在の社殿は、昭和54年(1979)に建立され、間 口九尺、奥行九尺の規模である。その際、御室浅間神社を合祀 した。神社の前には鳥居がある。かつては3000坪の境内地 を持ち、本殿、拝殿、庁舎を備エムゾネえていたという。写真古御 岳神社の写真・迎久須志之神社冨士浅間神社の境外末社で、9 合目(3,570m付近)に建てられている。かつては http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/195
196: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:29:56 ID:BdtTryWp0 浅間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿の 北側にある丘陵地一帯エムゾネは神立山と称される。神立山及び富 士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩 流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積 物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため 指定地内の一部では溶岩エムゾネ礫が露出し、縄状溶岩も散見され る。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿 いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(16 70)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物 が描かれ、発掘調査で石畳エムゾネや護摩堂跡が確認されている。 写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池」 は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降 った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層 間を流れ、溶岩流末端で湧出エムゾネして池になったものである。 禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、 下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で 心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池 であった。現在も富士山山開きエムゾネの7月1日には、湧玉池で 禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢神立山 表層部は約3万8千?にわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が生 育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の 生息に適した環境でもあり、「野エムゾネ鳥の森」碑が建てられて いる。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大社は、社 伝によれば大同元年(806)に造営されたという。かつての駿 河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として 崇められている。現在の社殿は、慶エムゾネ長9〜11年(160 4〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社殿全体の写 真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財である。 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/196
197: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:35:18 ID:BdtTryWp0 、向ヒ薬師、手引薬師と呼ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ 冨士浅間神社の神主が管理していた。元エムゾネ禄16年(170 3)−47−の文書「大宮司富士信安等返答下書」に「前薬師 之小屋」の記述があることから、江戸時代初期以降にはすでに 祀られていたものと考えられる。道者はここで薬師に線香を手 向けたという。廃仏毀釈によって仏像は山を降ろエムゾネされ迎久 須志神社と改められた。祭神は大己貴命と少彦名命である。以 前は登山道が建物の西側を通るルートであったが、現在は建物 の東側を通るようになっている。迎久須志神社の直下には、「 日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれる日の出を遥拝する場エムゾネ 所があり、江戸時代には「日ノ御子石」という富士山型の石が 置かれていた。富士講の講中が大きな平石の上で朝日を拝した という。現在「日ノ御子石」はないが、祠と鳥居が建てられて いる。写真迎久須志之神社の写真・鳥居登山道の浅間大社東北 奥宮エムゾネ(久須志神社)前(登山道終点)、9合目、本8合目 、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社前に自然木などに より構築された鳥居が設置されている。・狛犬登山道終点の鳥 居前に狛犬2体が設置されている。この場所は「鳥居御橋」( とりいおはしエムゾネ)と呼ばれていた。・石碑7合目付近の登山 道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標高の高い場所 にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転がっていたも のを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置したという。日付 は「七月吉日」とあるエムゾネのみで、上部が欠損している。A5 吉田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・登山道吉 田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を 目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道者が吉田 口登山道を目指している。しかエムゾネも、古道としては唯一徒歩 で麓から頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/197
198: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 19:35:45 ID:BdtTryWp0 造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。 1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟エムゾネ造、2階上層は桁行 3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。明治40年( 1907)5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定 され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿 全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平エムゾネ面図(幣殿・拝殿 含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/198
199: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 19:40:59 ID:BdtTryWp0 構成する要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教施設 や山小屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここから 急坂となり馬が使えなくなることからこエムゾネの名がついた。こ の一体は草山から木山への境でもあり、ここからが御山の聖地 ということにもなる。富士山有料道路が開通する以前の馬返の 周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、 登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わエムゾネった。登 山期間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。写 真馬返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこ の地は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役 場、中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古エムゾネ くは中宮三社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は 登山切手改め所となった。小屋については、江戸後期には4軒 があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室 」という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ− 48エムゾネ−ていたことがわかる。最盛期には18軒が所在した と伝えられている。写真五合目周辺の写真・烏帽子岩七合五勺 に烏帽子の形をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここに て富士講中興の祖と称される食行身禄が、1733年に31日 間の断食修行エムゾネを経て入定した。「甲斐国志」にも「享保十 八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ身禄ノ木像 ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはす でに身禄の聖地として信者が登拝していたことがわかる。現在 も富士講の聖地としてエムゾネ重要な地である。写真烏帽子岩の写 真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している 平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1 730年代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境 内の建造物群の修復工事が行わエムゾネれ、現在にみる境内 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/199
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