[過去ログ] 【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 (373レス)
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204: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)19:53 ID:BdtTryWp0(152/227) AAS
石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・
欄干橋(神路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けら
れているエムゾネ。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、
寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられている。
写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石
鳥居から参エムゾネ道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流
上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子
省18
205: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)19:58 ID:BdtTryWp0(153/227) AAS
一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。写真御鞍石の
写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点エムゾネ在してい
る平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの
富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対
象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸
術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要エムゾネ
素として、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8
精進湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖
を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われ
たが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている
省18
206: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)19:58 ID:BdtTryWp0(154/227) AAS
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘
陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしく
は戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約4
5m四方が石塁により方エムゾネ形に区切られている。青沢溶岩流
の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む
土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと思われ
る土師器が出土しているため、それらが用いられた12世
207: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:03 ID:BdtTryWp0(155/227) AAS
は神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘調査で石畳
や護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧玉池(上
池、下池)本殿東側の「湧玉池」は、国指定特別エムゾネ天然記念
物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨や雪が地下水と
なり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末
端で湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下
池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、下池から下流を御エムゾネ
手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心身を清めた後
山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現
在も富士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる
省18
208: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:04 ID:BdtTryWp0(156/227) AAS
15世紀、もしくは後の時エムゾネ代に築造されたものと推定され
る。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲
にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後
に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門
扉が取り付けられている。・エムゾネ遥拝所富士山を直接拝礼し、
祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施設である
。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、30〜40?
程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む
方向に祭壇が位置し、祭壇に向エムゾネかって左側に祭儀を行う際
の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供
省18
209: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:08 ID:BdtTryWp0(157/227) AAS
は幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分
に「作合三間四間ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全
景がよく見えるように描かれたと推測される。県指定文化財と
して保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3エムゾネ間で、床
は幣殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻
造で、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。三方に
縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文化財として
保護されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外エムゾネ
側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲
む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文
省18
210: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:09 ID:BdtTryWp0(158/227) AAS
はウロの中に大日如来が祀られていたといエムゾネわれ、現在でも
祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然
記念物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木であ
る。境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張
り東西17.5m、南北31m、樹高47mエムゾネもある。中心
部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の
樹齢とされるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される
。・社叢境内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。ア
カガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見られエムゾネるが、裏山
の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹
省18
211: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:14 ID:BdtTryWp0(159/227) AAS
りの橋が架けられている。春秋の大祭にエムゾネはこの橋を通って
山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(1671)の絵
図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向
かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の
絵図には既に描かれているが、大正4年(191エムゾネ5)に石
造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文1
0年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査に
212: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:14 ID:BdtTryWp0(160/227) AAS
は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離場へは社エムゾネ
叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で落とし垢離
を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊と
される不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・
護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像が祀られエムゾ
ネている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組
となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時安政四
年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周
囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られエム
ゾネ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
省18
213
(1): (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:19 ID:BdtTryWp0(161/227) AAS
護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出
された。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっエムゾネ
ている。また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎
石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有して
いたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌で
この建物跡を「本地堂」とする記載が確認されており、最終的
に護エムゾネ摩堂から本地堂へ造作し直された可能性がある。写真
護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身像
慶長19年(1614)2月に建立された。背銘には、左側の
像は「甲州河内下山住番匠石川清助作」、右−52−側の像は
省18
214: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:19 ID:BdtTryWp0(162/227) AAS
叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3
7m、目エムゾネ通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢
全体が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・
渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河
国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録と
して社殿のエムゾネ存在が確認できるのは、大永4年(1524)
と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年
215: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:25 ID:BdtTryWp0(163/227) AAS
す要素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥
居から参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展
開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶エムゾネ
岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二
子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する
。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含
め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝
所のエムゾネ基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の
噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部
分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。
省18
216: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:31 ID:BdtTryWp0(164/227) AAS
る。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土して
いるため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もしく
は後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図
石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリーエムゾネ
ト製の玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられた
ものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付
けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うこと
を目的として築造されたと推定される施設である。南北約15
.2エムゾネm、東西約7.6mの長方形で、30〜40?程度の
溶岩を用いて石列等によって組まれている。富士山を拝む方向
省18
217: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:31 ID:BdtTryWp0(165/227) AAS
指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.
75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m。別
名をオオヤマザクラと称するエムゾネヤマザクラの北方型で、静岡
県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平
成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約30
0年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m。こ
の根上り群は約150年生のモエムゾネミの根本にブナ、イヌシデ
の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながら
モミが成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりに
なったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成
省18
218: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:37 ID:BdtTryWp0(166/227) AAS
達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端エムゾネに針を刺
して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の
信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られて
いたといわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和
31年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間エムゾネ
神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で
最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、
219: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:37 ID:BdtTryWp0(167/227) AAS
33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛
犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が
置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富
士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く
富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰
の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く
の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑
群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を
省18
220: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:43 ID:BdtTryWp0(168/227) AAS
1m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞があ
る。案内板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはお
よそエムゾネ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高
直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジ
イ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹された
ヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されている。
・浅間神社社エムゾネ殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって
境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命
、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴
(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿
省18
221: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:44 ID:BdtTryWp0(169/227) AAS
た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、
土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ
ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御
室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭
神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708
)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社
222: (ワッチョイ 560c-EzTQ) 2018/01/29(月)20:50 ID:BdtTryWp0(170/227) AAS
真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明
王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5
.3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石
にはエムゾネ、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4年(185
7)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石
組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思
われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−
護摩壇裏手のエムゾネ一段高くなったところに末代上人を祀る大棟
梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令により廃され
、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったと
省18
223: (ワッチョイ 560c-KRCF) 2018/01/29(月)20:50 ID:BdtTryWp0(171/227) AAS
ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に
よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から
明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは
9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な
どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。
内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ
省18
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