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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 (373レス)
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/
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218: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 20:37:31 ID:BdtTryWp0 達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端エムゾネに針を刺 して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の 信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られて いたといわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和 31年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間エムゾネ 神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で 最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/218
219: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 20:37:59 ID:BdtTryWp0 33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から 本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛 犬楼門前参道の両側に、富士塚が築かれ、そエムゾネの上に狛犬が 置かれている。・富士講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富 士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数多く 富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰 の証としたもので、境内地の西側部分裏参道周エムゾネ辺に、多く の碑塔が建てられている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑 群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在している平 面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を 契機に、北麓でも浅間神社が建てられることになエムゾネったが、 その神社である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた 宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語 る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構 成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿エムゾネなどの 建造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は 、平安時代の865年に遡る可能性がある。建立目的は富士山の 噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対 する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1エムゾネ69 7年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「三国第 一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図 社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在してい る平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉エムゾネ田 口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に 祀られた最初の神社であるとする文献もある。二合目本宮(もと みや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現 在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿エムゾネ も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行や登拝 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/219
220: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 20:43:50 ID:BdtTryWp0 1m、樹高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞があ る。案内板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはお よそエムゾネ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高 直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジ イ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹された ヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されている。 ・浅間神社社エムゾネ殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって 境内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命 、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴 (天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿 は大正2年(1913エムゾネ)に改築されたものだが、幣殿と拝 殿は老朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造 に建替えられている。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂( 興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜1318)に、末代 上人の流れをくむ頼尊が村山にエムゾネ興法寺を開いたと伝えられ ている。その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山 の本尊である大日如来を主尊とする。現在の建物は、部材の状 況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造と考えられる が、外壁は波鉄板板張りに変えられていエムゾネる。桁行5間・梁 間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面 と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。写真社殿の写真図 社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富士登拝の道 者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.エムゾネ5m、奥 行き約4mの長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を 敷きつめ周囲は石積みとなっている。造成年代は不明。水垢離 場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋で 落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修エムゾネ 行のときの主尊とされる不動明王の石像が安置されてい http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/220
221: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 20:44:16 ID:BdtTryWp0 た様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、 土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた。顕著な 普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合エムゾ ネ目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御 室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭 神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708 )に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/221
222: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 20:50:03 ID:BdtTryWp0 真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明 王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5 .3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石 にはエムゾネ、「干時安政四年九月」と刻まれ、安政4年(185 7)造立と考えられる。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石 組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているものと思 われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55− 護摩壇裏手のエムゾネ一段高くなったところに末代上人を祀る大棟 梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令により廃され 、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登ったと ころに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大己貴命)」と して祀られた。現在はエムゾネ「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集 落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉再建冨士 大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成 15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途 中に、石鳥居が建てられているエムゾネ。昭和28年(1953) に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守社 )へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年 の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢) 村山浅間神社へと続く参道入口の左側にエムゾネ、手水舎が設置さ れている。明治16年(1883)に設置されたものである。 ・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大 日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5 年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されてエムゾネいる。B 4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢 樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高3 7m、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体 が市指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜エム http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/222
223: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 20:50:31 ID:BdtTryWp0 ゾネいう。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して 、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰 拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の 信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161 エムゾネ2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次に よって桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から 明らかにされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは 9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻な どエムゾネにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。 内部の色彩も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこ の時期の遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真 図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士 講徒エムゾネの案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼 宿坊である。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引 き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普 遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住 宅などエムゾネがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入 り形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設さ れたものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型 」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前 の御師住エムゾネ宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、 富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあ るなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、 御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的な 御師住宅にエムゾネ比して独自の構成を有している。写真主屋等の 写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部 二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背 面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/223
224: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 20:56:10 ID:BdtTryWp0 ・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に 駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の 記録として社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524 )と記された修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年( 18エムゾネ23)に再建されたとされている。写真社殿の写真図 社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を 納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内に は、社殿前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されてい る。社殿前のエムゾネ一対は平成12年に、参道脇の一対は平成1 3年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建て られている。登り口のものは平成13年に、階段を登ったとこ ろにあるものは、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に 奉納されたものであるエムゾネ。・手水舎石段に至る参道の脇と、 社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そば には、文政7−56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参 道鳥居から10mほどは石畳が敷かれ、その後社殿の位置する 高台へ登るためにコンクリートエムゾネ製の階段が続いている。・ 鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられ ている。昭和41年(1966)に奉納されたものである。・ 石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を受けていたことを示す碑 が建てられている。・古宮神社八坂大神エムゾネ、八幡大神、愛鷹 大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中に あり、旧本殿と推測される建物である。B5冨士浅間神社図以 下に示す要素が点在している平面図・社叢(浅間の杜)社殿周 囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参エムゾネ道南側の 部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大 樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1963)2月1 9日に静岡県の天然記念物に指定された。根回り約6m http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/224
225: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 20:56:40 ID:BdtTryWp0 11.8m、エムゾネ奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面 北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建 つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋 をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設がみら れるほか保存がエムゾネよく、富士講御師の住宅としての形態を、 屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家 の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現 状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平面図富士 山周辺の湖を巡っエムゾネて修行する内八海巡りが多くの富士講徒 によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数 えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形 (湖水)などがあるエムゾネ。写真山中湖の写真B10河口湖図以 下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行 する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時 代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地 でもあり、多くの芸術エムゾネ作品とゆかりが深い。顕著な普遍的 価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写 真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している 平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それ ぞれに八大竜王を祀る冨エムゾネ士信仰に関わる巡拝地(霊場)で あった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形( 湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在して いる平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である 村上光清により発見され、エムゾネ富士講の開祖である長谷川角行 が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普 遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている 地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/225
226: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:01:50 ID:BdtTryWp0 り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北エムゾネ 23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木 で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか 見当たらないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマ ザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された 。樹エムゾネ齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75 m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/226
227: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:02:20 ID:BdtTryWp0 承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に 所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、 そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物 群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見 され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神 誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無 事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名 付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整 備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価 値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空 間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴 火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本 穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の 胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本 穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である 木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅 間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流 人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5 ,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端部近くに位置 している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴 出し、西方に約5?、標高差にして約700mの扇状地をつくる 溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/227
228: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:07:33 ID:BdtTryWp0 をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南 限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3 年5月1日にエムゾネ小山町の天然記念物に指定された。樹齢約3 00年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m 。この根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデ の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しなが らモミが成長したためエムゾネ、根が爪を立てた状態で生育し、根 上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。 ・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造物)に指 定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年( 1718)に再建された。そのエムゾネ後蟻害や老朽化により改修 したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが今な お使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権現造 である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の 遺構を残した流造りとなっている。−5エムゾネ7−構造は、拝殿 が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風 付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、 向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真 図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層のエムゾネ周囲に高 欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随 神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破し ており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された 当時に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間エムゾネ 一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に 組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入 口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束に は「不二山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納 されエムゾネた。・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/228
229: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:08:00 ID:BdtTryWp0 穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千 日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶 岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端 が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱が http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/229
230: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:13:42 ID:BdtTryWp0 入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両 側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士 講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された 記念碑が多くエムゾネ残されている。多くは、数多く富士登山が成 就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証とした もので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てら れている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B 6河口浅間神社図以下エムゾネに示す要素が点在している平面図河 口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機 に、北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社 である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行 事を行っており、歴史的背景とエムゾネ相俟って、富士山信仰を語 る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を 構成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建 造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は 、平安時代の865年に遡る可能性があエムゾネる。建立目的は富 士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火という ことに対する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1 697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「 三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされエムゾネる。写真 社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要 素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀 初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ 、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあるエムゾネ 。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、9 58年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二 合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている 。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/230
231: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:14:10 ID:BdtTryWp0 全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考 えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生 )人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため 、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭 和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建 材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等 は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者 が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が 刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文 4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分 類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑 供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人 の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3 種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61 −写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社 社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている 。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の 大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34 m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の 石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道 跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地 の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出され http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/231
232: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:20:03 ID:BdtTryWp0 れるエムゾネ二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体と なって機能してきた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素とし ては、信仰拠点である二合目や本殿などがある。・吉田口二合 目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御 室浅間神社はエムゾネ木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかで ないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが 最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には 浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一として 広く知られていた。冨エムゾネ士修験の信仰拠点は南口の村山であ るが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者 堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐 国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築様 式の神社建物に再建されたことエムゾネが棟札から明らかにされて いる。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋 根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも彫刻 を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当 初のものを良く残しており、建築年代のエムゾネ確実なこの時期の 遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿 の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒 の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面エムゾネして引き 込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普 遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家 住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り 形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建エムゾネ 設されたものであることが判明している。また、主屋は「平面 座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立さ れる以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/232
233: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:20:29 ID:BdtTryWp0 。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺 構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部 エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている 。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富 士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状 礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩 流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、 白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境 目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達 している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収 縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白 糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を 繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の 平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この 多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物 を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上 部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し 続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食 に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ 滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同 様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の 滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/233
234: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:25:47 ID:BdtTryWp0 は、富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限 りがエムゾネあるなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられ る。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上 吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写 真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、 蔵主屋は一部エムゾネ二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面 北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/234
235: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:26:17 ID:BdtTryWp0 に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は 、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に 透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降 った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を 流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が 湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時 に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸 の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖 面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白 糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石 」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。 ・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指 定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相 がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆 盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸 の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白 糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を 行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が 建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や 、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等 がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/235
236: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:31:34 ID:BdtTryWp0 居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南 寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は 主屋台所の前方に建つエムゾネ。土蔵造りであるが、東西に庇を付 けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は 、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師 の住宅としての形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。 全国でも比較的少ない社家の一エムゾネ遺例として重要である。写 真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に 示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行す る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時 代も変わらず巡拝の対象として数えられエムゾネている。また、景 勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍 的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある 。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素が点在して いる平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八エムゾネ海巡りが 多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡 拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多 くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸 要素として、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖のエムゾネ 写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍 野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに 八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕 著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湧水)が あるエムゾネ。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在してい る平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である 村上光清により発見され、富士講の開祖である長谷川角行が洞 穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普遍 的価値を構成エムゾネする諸要素には、宗教的な意義付けが http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/236
237: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:32:00 ID:BdtTryWp0 ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音 止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写 真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景 とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻 狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行 ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前 は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/237
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