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500: 2018/01/28(日)08:12 ID:0(500/694) AAS
ヒラリー・ホワイトホール・パトナム
女みたいな名前だが、男だ。
かの高名なるクワインの弟子。
論理学みたいな哲学をやっていた。
501: 2018/01/28(日)08:13 ID:0(501/694) AAS
認識論の分野では、パトナムは「水槽の脳」という思考実験で知られている。これは認識論的懐疑論を批判するものである[7]。
形而上学においては、形而上学的実在論と呼ばれる立場を当初擁護していたが、のちに転向し、みずから形而上学的実在論に対する最も辛辣な批判者の一人になった。
まず彼は「内在的実在論」と呼ぶ考えを採用したが[8]、あとになってこの立場も捨て、
プラグマティストに触発されて直接的実在論に与した。パトナムの「直接的実在論」とは、
心的表象や感覚与件といった、心と世界の間を繋ぐ媒介的概念を用いずに、
人々が現実的に世界を経験する仕方で形而上学の研究をおこなおうとするものである[9]。
哲学以外では、パトナムは数学や計算機科学の領域でも業績がある。
マーチン・デービスとともに、ブール代数の充足可能性問題を解決するためにデービス・パトナムの
アルゴリズムを開発し[10]、ヒルベルトのいわゆる第10問題が解決不能であることが証明される一助となった[11]。
政治活動に積極的だった時期があり、特に1960年代後半から70年代はじめにかけては進歩労働党(Progressive Labor Party、略称PLP)の活動に大きく関わった[12][13]。
502: 2018/01/28(日)08:14 ID:0(502/694) AAS
パトナムは、数学・論理学だけでなく、数学でも有名だ。
あとは、「水槽の脳」の思考実験で有名。
503: 2018/01/28(日)08:17 ID:0(503/694) AAS
パトナムは、1926年、イリノイ州シカゴに生まれた。
彼の父、サミュエル・パトナムは、アメリカ共産党の機関紙である
デイリー・ワーカー紙に寄稿していた
ジャーナリストであり翻訳家だった。母リーバはユダヤ人であったが、
父が共産主義に傾倒した結果、パトナム自身は非宗教的に育てられた。
パトナムの一家は1934年までフランスで暮らし、その後アメリカ合衆国に戻り、
フィラデルフィアに居をかまえた[1]。
パトナムは、ペンシルベニア大学で数学と哲学を学び、
修士号を得、Philomatheanソサエティのメンバーとなった。
これは合衆国で最も古い文学協会である。
省8
504: 2018/01/28(日)08:18 ID:0(504/694) AAS
パトナムは、論理実証主義を学んで、それを拒絶した。
数学者としても論理学者としても有名。
505: 2018/01/28(日)08:19 ID:0(505/694) AAS
後、彼の妻もバト・ミツワー(女性の成人式)の儀式を受けた[14]。
パトナムはハーバード大学の人気教師であった。また両親の影響を受けて
政治活動にも積極的で、1960年代から1970年代前半まで公民権運動擁護と
アメリカのベトナム派兵への反対のために積極的に発言した[13]。
1963年にはマサチューセッツ工科大学に初めて教授陣と学生が共同で運営する
反戦のための委員会を組織した。デイヴィッド・ハルバースタムのベトナム戦争報道に
憤激したこともある。パトナムは、アメリカ軍が枯葉剤を散布したことが
ベトコンから南ベトナムの農民を「守る」ことになったとハルバースタムが主張していると
思ったのである。
また、1965年のハーバード大学への移籍以降も、キャンパス内で抗議運動を
省11
506: 2018/01/28(日)08:19 ID:0(506/694) AAS
ヒラリー・パトナムは、哲学者としても数学者としても論理学者としても有名だが、
左翼の活動家としても有名。
ベトナム反戦運動で大活躍した。
507: 2018/01/28(日)08:20 ID:0(507/694) AAS
多重実現可能性[編集]
多重実現可能性の図解。M は心的なものを、Pは物理的なものを表す。
一つ以上のPが同じ一つのMの具体例になりうる。しかし、逆は真ではない。
状態間の因果関係は、(M1からM2に向かっているなどの)矢で表現されている。
パトナムの仕事は多岐にわたるが、中でも心の哲学についてのものはよく知られている。彼のこの分野へのもっとも有名な独創的貢献は、多重実現可能性仮説の説明のために1960年代後半に発表された数点の基本的論文で行われている[17]。
これらの論文でパトナムは、かのタイプ同一説の主張に反対して、
「痛みはC繊維の発熱に等しい」というのは必ずしも真ではない、と論じた。
パトナムの論文に従えば、痛みは、様々な生物の神経系の全く異なる物理的状態に
対応(英: correspond)しうるが、そのいずれの生物であってもなお「痛い」という
同じ心的状態を経験する。
508: 2018/01/28(日)08:21 ID:0(508/694) AAS
パトナムはこの命題を例証するために動物界に例を求めている。いったい、様々な種類の動物の脳構造が、
痛みやその他の心的状態を同じやり方で了解するなどということがありうるだろうか、というのが彼の問いである。
(同じタイプの心的状態は同じタイプの物理的状態によって実現されなくてはならないとして)
もしそれら様々な種類の動物が同じ脳構造をもっていないならば、それらの動物は同じタイプの心的状態や性質を抱くことができない
(しかし、異なる種の動物は同じ脳構造を持っていないにもかかわらず、
痛みやその他の精神状態を共有しているように思われる)。この難問への答えは、
痛みやその他の心的状態は(同じタイプの心的状態であっても)異なる種においては異なるタイプの物理的状態によって了解されている、
というものでなくてはならない。パトナムはここで議論を一歩先へと進め、
異星人、人工知能ロボット及び珪素生命体についても同様のことを言えるだろうか、と問うている。パトナムの主張によれば、
これらの仮定の存在者が人間と同じ神経化学作用を持っていないというだけでは、
省4
509: 2018/01/28(日)08:22 ID:0(509/694) AAS
パトナムといえば、心の哲学だ。
「水槽の脳」の思考実験をやった人だ。
パトナムによれば、痛みとは、神経に対する神経物質の作用などではない。
それは、心の状態なのである。
510: 2018/01/28(日)08:24 ID:0(510/694) AAS
さらにパトナムは、彼が「機能的同型性」(英: functional isomorphism)
と呼ぶものに基づいて補足的な議論を展開している。機能的同型性とは、
「一方のシステムの諸状態と他方のシステムの諸状態の間に機能的な関連を維持するような対応があるとき、
二つのシステムは機能的に同型である」とするものである。コンピュータの場合、
一方の機械における状態間のシーケンスのつながりが他方の機械における状態間の
シーケンスのつながりを正確に反映しているとき、またそのときのみ、
二つのマシンは機能的に同型である。それゆえに、シリコン・チップ
でつくられたコンピュータと歯車でつくられたコンピュータは、機能的に同型でありうるが、構成上は異なる。
機能的同型性は、多重実現可能性を含意している[18]。この議論は、
時々「アプリオリ論法」(英: a priori argument)として参照される[17]。
省10
511: 2018/01/28(日)08:26 ID:0(511/694) AAS
機械状態機能主義[編集]
チューリングマシンは、「状態」ごとに決定される作業選択に応じて
ひとつずつ書き込み又は消去することのできるスロットの並ぶ無限の長さの
テープとして、視覚化することができる。パトナムの機械状態機能主義によれば
心的状態という概念は、純粋なコンピュータにおける状態概念とまったく同じもの
なのである。
こうした機能主義理論の最初の定式化はパトナム自身によって行われた。
この理論は現在では「機械状態機能主義」(英: machine-state functionalism)と
呼ばれているが、パトナムなどによって注目された、
心とはどんなアルゴリズムでも計算することのできる理想的チューリングマシンのようなものだ、
省12
512: 2018/01/28(日)08:27 ID:0(512/694) AAS
【哲学】現実は「水槽の中の脳」が見ている夢だった!
デカルトとカントも唱えた「シミュレーション仮説」の真実性とは?
513: 2018/01/28(日)08:28 ID:0(513/694) AAS
昨今、我々の現実はコンピュータシミュレーションに過ぎないと唱える
「シミュレーション仮説」が盛んに議論されている。
トカナでも以前、英・オックスフォード大学のニック・ボストロム教授や
フューチャリストのレイ・カーツワイル氏といった科学者が同説に賛同していると
お伝えした。
また、科学分野のみならず、「スペースX」社CEOであるイーロン・マスク氏も、
人間は現実とVR世界の区別がつかなくなっていくだろうと予言しているように、
今後シミュレーション仮説に関する話題は増えていくものと考えられる。VR元年といわれる今、
改めて「シミュレーション仮説」の可能性を哲学的・理論的にガッツリ考えてみたい。
514: 2018/01/28(日)08:29 ID:0(514/694) AAS
ご登場いただくのは、アメリカの哲学者ヒラリー・パトナム(1926-2016)。
民主党大統領指名候補ヒラリー・クリントンと同じ名前だが、パトナムは男性。
哲学の中でも特に英語圏で支配的な「分析哲学」や「科学哲学」で活躍した、
20世紀を代表する哲学者の1人だ。その影響は、英語圏にとどまらず、
分析哲学とは犬猿の仲と噂されるドイツやフランスを中心とした「大陸哲学」
にまで及んでいる。残念なことに、パトナムは今年3月に亡くなったが、
彼の著作は第一級の哲学書として今後も読まれていくだろう。
さて、パトナムは多くの洞察に富んだ「思考実験 (thought experiments)」
を残している。その中でもひときわ有名なものが、主著『理性・真理・歴史―
省9
515: 2018/01/28(日)08:30 ID:0(515/694) AAS
驚くのはまだ早い、なんと「水槽の中の脳」の元ネタは17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトと
18世紀ドイツの哲学者イマニュエル・カントだと言われている。
どうやら哲学者は何百年も本気で「仮想現実」に取り組んできたようだ。
一体この2人の大哲学者はどのような「シミュレーション仮説」を唱えていたのだろうか?
まずは、デカルトの思考から見ていこう。
516: 2018/01/28(日)08:30 ID:0(516/694) AAS
デカルトといえば、「われ思う、故にわれ有り(Je pense, donc je suis)」という言葉が有名だが、実はこの言葉が暗に示しているものこそ「シミュレーション仮説」だといわれている。
デカルトは、このことを説明するために、パトナムに負けず劣らずの奇抜な思考実験を試みている。
みてみよう。
「もし全知全能の悪魔が私を欺いているとしたら、本当は1+1=5であるのに、
『1+1=』と私が思考するたびに、悪魔に欺かれて『2』を導き出してしまっている可能性」
があるとデカルトは考える。つまり、われわれが現実だと思っているものは、
全て悪魔に欺かれた結果に過ぎず、“本当の現実”は全く別物であるかもしれないというのだ。
このデカルトの思考実験も「シミュレーション仮説」にそっくりではないだろうか? つまり、「われわれの通常の現実は嘘で、“本物の現実”はわれわれの知らないところにある」という点が共通している。それでは、次にカントをみてみよう。
517: 2018/01/28(日)08:31 ID:0(517/694) AAS
カント哲学は難解な上、カント自身が認めているように“悪筆”極まりないので、カントの言葉はなるべく使わず、簡単に説明したい。
カントによると、我々が見ている世界は、生のデータの寄せ集めではなく、生まれつき備わった鋳型で加工されたもの(=表象)にすぎないという。
そのため、“本当の世界(物自体)”を我々が知ることはできない。
だが、知ることはできないが“本当の世界”は存在するとカントは言う。
なぜなら、未加工の生データがなければ加工もできないからだ。誤解を恐れずにいえば、
我々が普段見ている現実と“本当の現実”の間にはズレがあるということだろう。
このように、「シミュレーション仮説」と同型の議論がカント哲学でも展開されている。
518: 2018/01/28(日)08:32 ID:0(518/694) AAS
カント哲学をイメージしやすくモデル化したものが、パトナムの「水槽の中の脳」だと考えることもできる。
しかし、その帰結は両者で少々異なる。
カントは“本当の世界”の存在を肯定したが、パトナムは「水槽の中の脳を見ることはできない」と考える。どういうことだろうか?
我々の現実が全てコンピュータによるシミュレーションであるとしたら、
たとえ「私の脳を見つけたぞ!これが私の現実だ!」と言ったところで、
それは「シミュレーション」の中での発言であることをどこまでいっても否定し切れない。
つまり、“仮想現実”と“本物の現実”を分けることはできないというのだ。
もう少し噛み砕いて説明してみよう。
519: 2018/01/28(日)08:33 ID:0(519/694) AAS
クリストファー・ノーラン監督の映画『インセプション』では、「夢の中の夢」や
「夢から覚めても、また夢」というように重層化された夢の世界が描かれている。
この世界観を念頭におくと、パトナムの言っていることが理解し易い。
つまり、「私の脳を見つけた(夢から覚めた)」としても、
結局「シミュレーションの中にいる(また夢を見ている)」だけなのだ。
以上、デカルトから『インセプション』まで横断しつつ「シミュレーション仮説」への
哲学的アプローチを見てきた。ややもすると「シミュレーションの外(水槽の中の脳)」
が実在すると主張しがちな科学者たちへの反論(?)のような結論になってしまったが、
哲学と科学がそれだけ異なるアプローチをとっていることがご理解頂けたかと思う。
どちらの立場もありうると筆者は考えるが、読者はどう思われただろうか?
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