[過去ログ] 【無限小】柄谷行人を解体する80【偏微分∂】 (1002レス)
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781: 2024/11/22(金)08:11 ID:0(781/1000) AAS
Here, as constantly elsewhere, generality from the first, though it may
require more thought at the start, will be found in the long run to economize
thought and increase logical power.

ー Russell, Bertrand. Introduction to Mathematical Philosophy ー
782: 2024/11/22(金)08:12 ID:0(782/1000) AAS
AA省
783: 2024/11/22(金)08:12 ID:0(783/1000) AAS
これもラッセルが挙げている例だが、関係Rを先祖-子孫関係であるとすると、
AはBの先祖であり、BはCの先祖であり、Cは、Dの先祖になる。AはZの
先祖になることも分かるだろう。だが、上の英文はこうした先祖-子孫関係、
つまり順序関係が左側を祖先とする

-1, -½, -¼, -⅛, … ⅛, ¼, ½, 1.

という級数では成立しないことをラッセルは述べているのである。なぜなら、
この数列は、正負それぞれの方向から項の値を半分にしていく数列なので、
例えば、−⅛ を ⅛ の祖先と仮定しても、この数列は0 に向かって無限に
半分になっていく級数となるので、最初の祖先である(-1)と最後の子孫である
(1)がいつまで経ってもつながって来ないからである。同様の理由から、
省1
784: 2024/11/22(金)08:13 ID:0(784/1000) AAS
AA省
785: 2024/11/22(金)08:13 ID:0(785/1000) AAS
正の項同士と負の項同士であれば、先祖-子孫関係が作れそうだが、
正負の間に無限の級数が横たわるので、そこではこの関係Rが作れない、
ということになりそうである。

また、ラッセルが提示したこの数列は、無限小の概念にも関連する要素が
あると言える。無限小は、ゼロではないが、任意の正の数より小さい数と
して定義されているからである。ラッセルの数列の中間領域の正の数は、
無限小に近づいていくと考えることもできる。
786: 2024/11/22(金)08:14 ID:0(786/1000) AAS
AA省
787: 2024/11/22(金)08:16 ID:0(787/1000) AAS
AA省
788: 2024/11/22(金)08:17 ID:0(788/1000) AAS
AA省
789: 2024/11/22(金)21:37 ID:0(789/1000) AAS
デカルトのコギトは柄谷行人は共同体と共同体の間の批判精神と解釈したが普通は迷信的な伝統や慣習を否定する近代的科学精神、合理主義的精神の開始と解釈されますよね?
790: 2024/11/23(土)00:15 ID:0(790/1000) AAS
普通はそうじゃねーの
暗黙の宗教批判の走りと位置付けられる
791: 2024/11/23(土)00:24 ID:0(791/1000) AAS
落合としては哲学用語で勝負できないから出鱈目な言葉に言い換えて自分の分野の語りたいことを語っているに過ぎない
やってる事がチャチな現代美術の真似事なのが全てじゃねーかな
見てて安っっぽいのがいただけないな
調和が取れていないというか
792
(1): 2024/11/23(土)05:52 ID:0(792/1000) AAS
かくしてジャネットの哲学板デビューとは物の見事に大失敗したwww
793: 2024/11/24(日)06:11 ID:0(793/1000) AAS
もはや全スレッド挙げての茨城ジャネットの哲学板追放運動が起きている。
794: 2024/11/24(日)06:34 ID:0(794/1000) AAS
落合陽一

生誕 1987年9月16日(37歳)
東京都港区
出身校 筑波大学情報学群情報メディア創成学類
795: 2024/11/24(日)06:34 ID:0(795/1000) AAS
落合陽一実は筑波大学卒でしたw
796: 2024/11/24(日)17:29 ID:0(796/1000) AAS
デリダ「絵画における真理 上」
しかもまず、「芸術」という語は、語、概念、そして物、言い換えれば、能記(シニフィアン)、所記(シニフィエ)、そして帰趨項(レフェラン)、さらに言い換えれば現前と再現前とのなんらかの対立の三つの道を通って到達されうるであろうということを含みとしてもっているのである。
797: 2024/11/24(日)17:57 ID:0(797/1000) AAS
高橋純氏が語っていた、シニフィアン、シニフィエ、レフェランを、デリダも言及していました。
798: 2024/11/24(日)18:28 ID:0(798/1000) AAS
デリダ「絵画における真理 上」
カントはここでこのような共通感官が、経験を可能ならしめる構成原理として存在するのかどうか(「そのようなもの〔共通感官〕が存在するのであるのかどうか」)、あるいはまた、理性が、今度は構成的原理としてではなく統整的原理として、より高次の諸目的のために、一つの共通感官なるものを我々のうちに産出する(hervorbringen)べく我々に命じるのか、決定することも、検討することさえ拒絶する(「我々はここでそれを検討するつもりはないし、また検討することはできない……」)。
799: 2024/11/24(日)18:35 ID:0(799/1000) AAS
柄谷は、吉本の共同幻想、中村雄二郎の共通感覚、廣松の物象化を批判していた。

柄谷が、カントの構成的原理、統整的原理、高次という用語を使うが、
共通感官(共通感覚)に言及しないのは、恣意的なのではないか
800: 2024/11/24(日)19:13 ID:0(800/1000) AAS
転回〔revolution〕
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