[過去ログ] 哲学者のウィトゲンシュタインという人の思想を解説できるケンモメン、0人 [185423565] (641レス)
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562
(1): (テテンテンテン MM7f-gVNt) 2021/06/12(土)16:05 ID:8EV0fzeaM(1/2) AAS
>>522
部分部分は正しい理解に立っているが、なんか合成して間違ったこと
言ってる気がする

物自体はまずは実在そのもので、認識の向こう側にあるが、
これをカントの「凝った解釈」やショーペンハウアーでは「意志」と同一視する
のかもしれない
しかし、ウィトゲンシュタインがそこで言っていることは
主観によって変わらないことが現実であるっていう普通のことじゃないの?
563
(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)16:37 ID:CMhCoB+l0(1/22) AAS
>>562
意志は形而上学的主体、すなわち変わりえないもの、プラトンで言うイデア、アリストテレスで言う実体だから合ってると思う。

>>428
 それゆえ、哲学において、自我について心理学的にではなく論じうる意味が、たしかにある。
 自我は、「世界は私の世界である」ということを通して、哲学に入りこむ。
 哲学的自我は人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱うような人間の心でもない。それは形而上学的主体、すなわち世界の──部分ではなく──限界なのである。(論理哲学論考五・六四一 岩波文庫p.118)
564
(1): (テテンテンテン MM7f-gVNt) 2021/06/12(土)16:38 ID:8EV0fzeaM(2/2) AAS
>>563
だからそこでの意志の理解はそれでいいけど
ウィトゲンシュタインはそういう意味でいってないだろってこと
565
(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)16:51 ID:CMhCoB+l0(2/22) AAS
>>564
実際には欲することで変わることはあるだろうけど形而上学的主体、即ち変化しえない物自体であるところの意志と表象でしかない

生起するものたち、かくあるものたちすべて(六・四一 岩波文庫論理哲学論考p.144)

つまり世界は哲学的になんら関わりがないということを言ってる。
岩波文庫p.142、六・三六三一一あたりの太陽が明日も昇るとは限らないって下りも世界は偶然の産物でしかないってことを言ってるように思える。
ただ実際は明日も太陽は昇るだろうけどな。
566
(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)17:30 ID:CMhCoB+l0(3/22) AAS
補足すれば、岩波文庫p.116あたりからの、

 思考し表象する主体は存在しない。
 「私が見出した世界」という本を私が書くとすれば、そこでは私の身体についても報告が為され、また、どの部分が私の意志に従いどの部分が従わないか等が語られねばならないだろう。これはすなわち主体を孤立させる方法、というよりむしろ重要な意味において主体が存在しないことを示す方法である。つまり、この本の中で論じることのでき“ない”唯一のもの、それが主体なのである。 五・六三一
 主体は世界に属さない。それは世界の限界である。 五・六三二
 世界の“中の”どこに形而上学的な主体が認められうるのか。 五・六三三

とそこからの眼と視野の関係、視野は眼の形をしていないって下りも、意志と世界の無関係性を説いてる。

 世界の意義は世界の外になければならない。世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の“中には”価値は存在しない。──かりにあったとしても、それはいささかも価値の名に値するものではない。
 価値の名に値する価値があるとすれば、それは、生起するものたち、かくあるものたちすべての外になければならない。生起するものも、かくあるものも、すべては偶然だからである。
 それを偶然ではないものとするのは、世界の“中に”ある何ごとかではありえない。世界の中にあるとすれば、再び偶然となるであろうから。
 それは世界の外になければならない。 六・四一
省3
567
(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)18:15 ID:CMhCoB+l0(4/22) AAS
>>522で言えば、“論理的”連関なるものが物自体であるところの意志と表象でしかない世界との無関係性、物理的連関なるものが、例えば俺が手を動かして何か物を取ろうとすれば、それは神経によって俺の手が動き肉体が動きその物を取り動かすことができるだろうが、そういう物理的連関はあってもその物理的連関そのものを“意志”することはできないということ。
経験によってできると思うし実際できるだろうけどなんらかの問題が起きて手が動かないかもしれない。つまり物自体、世界の限界(五・六三二p.116、五・六四一p.118、六・四三p.146、六・四五p.147)、永遠の相(六・四五p.147)である自分の意志と、表象でしかない「生起するものたち、かくあるものたちすべて(六・四一p.144)」である世界は、全く別のものであり、なんらかの繋がり、物理的連関なるものが見出せても、それは全くの偶然の産物でしかないということを言いたいわけである。

 善き意志、あるいは悪しき意志が世界を変化させるとき、変えうるのはただ世界の限界であり、事実ではない。すなわち、善き意志も悪しき意志も、言語で表現しうるものを変化させることはできない。
 ひとことで言えば、そうした意志によって世界は全体として別の世界へと変化するのでなければならない。いわば、世界全体が弱まったり強まったりするのでなければならない。
 幸福な世界は不幸な世界とは別ものである。 六・四三
岩波文庫論理哲学論考p.146

 神秘とは、世界が“いかに”あるかではなく、世界があるという“そのこと”である。 六・四四
 永遠の相のもとに(112)世界を捉えるとは、世界を全体として──限界づけられた全体として──捉えることにほかならない。
 限界づけられた全体として世界を感じること、ここに神秘がある。 六・四五
岩波文庫論理哲学論考p.147
省4
568
(2): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)18:26 ID:CMhCoB+l0(5/22) AAS
 同様に、死によっても世界は変化せず、終わるのである。 六・四三一
 死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。
 永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するならば、現在に生きる者は永遠に生きるのである。
 視野のうちに視野の限界は現れないように、生もまた、終わりをもたない。 六・六三一一

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン
岩波文庫論理哲学論考p.146
569: (ワッチョイ cf10-gVNt) 2021/06/12(土)18:43 ID:uxPGdbKX0(1) AAS
(´・ω・)「じぶんはせつめいできますよ」
( ゚Д゚)「おいらのでばんでい!」
570
(2): (テテンテンテン MM7f-gVNt) 2021/06/12(土)20:13 ID:T7XTj06KM(1) AAS
>>565
だから、物自体が意志だっていう人がいるのはわかるけど
ウィトゲンシュタインはそういう前提で言ってるのではないだろう

>形而上学的主体、即ち変化しえない物自体であるところの意志と表象

これはカントとかショーペンハウアーだろう
こういうところには踏み込んでないと思われる

ていうか、表象は物自体じゃないだろ
571: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)20:18 ID:CMhCoB+l0(6/22) AAS
>>570
君論理哲学論考読んでない?
明らかにそう言ってるけど

> ていうか、表象は物自体じゃないだろ
そこまで分かってるならちゃんと読めば分かるだろ。
意志と/表象でしかない世界は違うと書いてある。
国語の問題レベルやね。
572
(1): (ワッチョイW cf12-aejA) 2021/06/12(土)20:19 ID:J+I32sF10(2/2) AAS
こんな詩みたいな文章から作者の気持ちを想像してあーだこーだ言うのって楽しいのか?
573: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)20:22 ID:CMhCoB+l0(7/22) AAS
読んでないのであればここまで引用しても理解できないならお手上げだからもう本を読んでもらうしかないし読んでて言ってるならじゃあ全体としてウィトゲンシュタインはどういうつもりで言ってるのか教えてほしいわ。
574: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)20:27 ID:CMhCoB+l0(8/22) AAS
>>572
> 詩みたいな文章から作者の気持ちを想像して

っていうけど俺が引用した部分に関して言えばメチャクチャ簡単なこと言ってると思うわ。
分野の違う政治哲学で例えばルソーの社会契約論とかメチャクチャ理解するの大変だったよ難解過ぎて。
気持ちっていうか思想としてはメチャクチャ平坦だし簡単に書いてある論理哲学論考は。
575: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)20:29 ID:CMhCoB+l0(9/22) AAS
この文章読めても相変わらずヒュームとかカントとかほとんど意味不明だしな。読めるかどうかの問題だと思うわ基本的に。
576
(1): (アウアウエーT Sadf-tjD1) 2021/06/12(土)20:30 ID:ZTxprI9Ia(1/7) AAS
>>568
生死は人間の時間空間的な意味の生死ではない。
物理的な死後に人類の中に加えられることによって生き続けることが本当の生だ。
そういう意味の生は時間空間を超えたという意味で永遠のものだ。

ということか?
577: (ワッチョイ a3de-5xzR) 2021/06/12(土)20:41 ID:x3EHsJXr0(1) AAS
ウィトゲンシュタイン「こまけぇこたぁいいんだよ!(語りえぬことは沈黙しなくてはならない)」    
578
(1): (アウアウエーT Sadf-tjD1) 2021/06/12(土)20:42 ID:ZTxprI9Ia(2/7) AAS
>>567
意志って言うのはそういう物理的連関に組み込まれるようなチンケなもののことを言うの?
物自体っていうのは物理的連関とか100ターレルのような時間空間的なもののことなの?
肉体が思ったとおりに動かなかったとしても、意志はあるんじゃないの?
579: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)20:46 ID:CMhCoB+l0(10/22) AAS
>>576
> 物理的な死後に人類の中に加えられることによって生き続けることが本当の生だ。

ここが明らかに違う。
要は生きてるうちに死んでる状態というのを味合わないと言ってるだけ。

というか死後の話なんて誰もしてないのになぜ今引用した君の2行目のレスの発想になるのか意味不明。俺の理解力を試すための問題なのか?と疑った。邪推ならごめん。

 人間の魂の時間的な不死性、つまり魂が死後も生き続けること、もちろんそんな保証はまったくない。しかしそれ以上に、たとえそれが保証されたとしても、その想定は期待されている役目をまったく果たさないのである。いったい、私が永遠に生き続けたとして、それで謎が解けるとでもいうのだろうか。その永遠の生もまた、現在の生と何ひとつ変わらず謎に満ちたものではないのか。時間と空間のうちにある生の謎の解決は、時間と空間の“外”にある。
 (ここで解かれるべきものは自然科学の問題ではない。) 六・四三一二
岩波文庫論理哲学論考p.146〜147
580
(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)20:58 ID:CMhCoB+l0(11/22) AAS
>>578
なぜそこまで理解してるのにその質問を俺にするんだ?

> 意志って言うのはそういう物理的連関に組み込まれるようなチンケなもののことを言うの?

もちろん違う。

> 物自体っていうのは物理的連関とか100ターレルのような時間空間的なもののことなの?

これも違う。
省7
581: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)21:09 ID:CMhCoB+l0(12/22) AAS
自分で自分の文章読み返したけどなんも難しいことは言ってないと思うんだよな。だから>>570とかもそもそも俺の言いたいことが理解できないとかではなくそもそも俺が飛ばし飛ばしで引用してるから(本全部は引用してないから)飛ばし飛ばしで引用してる箇所に本としての関連性が全くないんじゃないか?俺が勝手に関連付けてるだけなんじゃないか?と疑ってるってことなんだろうけどそれは単に疑念と邪推のせいだしどうしても俺を信じられないならちゃんと本を直接読んでと。
あと疑うなら、自分が正しい、自分の方が正解を知ってると思うならそれをちゃんと俺にご教授してほしいわ。正解として。
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