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奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 (813レス)
奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/
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780: 基本。 [] 2018/11/30(金) 07:19:06.00 ID:VLgy8sTC さて、監獄から帰った秀司の態度は、 > 秀司の言葉として「皆が寄って来てくれるは誠に忝(かたじけな)いけれども、 このように色々心配しても、どうしても警察の権利で苦しめられるから、 > もうこれからは小始末(こじまつ)するほどに、皆もなるだけ来んようにしてくれるよう」 という態度の一方で、信仰組織づくりに奔走していた事実を見ておくべきでしょう。 講を、各信者組織として、まとめさせていったと言うことです。 http://www.gameou.com/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_56.htm 【講の結成】(1878年)(明治11年)(教祖81才) 1878年(明治11年)4月頃、秀司を講元として「真明講」が結ばれる。 世話人は、仲田儀三郎、辻忠作、松尾市兵衛、中尾休治郎ら。この頃から金米糖を御供えとして渡す。 この頃、教祖の行為は村にとって迷惑だから、「天理さんを止めてもらいたい」と中山家に申し入れが為されている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こんな風に、れんだいこさんは、まとめています。 上↑「この頃から金米糖を御供えとして渡す。」は、「御供え」では無く、「御供・ごく」です。 秀司は、「明日・あすにち」を、一日は一年と判断し、 一年後には、信者組織を「講」としてかたちづけ、自分は「本部」の役割をうけもって、「御供」を渡す役割に位置づけたと言うことです。 「あすにちからわ をふくハんのみち」という、「予言」を形にしてみせた。 それは、「信じていない人間のナス行為」とみなした方が、的を射ているでしょう。 「夜」だとしか認識できないから、「真明講」と言う、明かりを、付けて見せた。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/780
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