[過去ログ] 奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 (813レス)
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764: 基本。 2018/11/30(金)01:41 ID:VLgy8sTC(17/66) AAS
依頼人がいれば、「頼まれて扇を使う」のは、神様の道具として、当然の事です。
そこで、「世界のことに無知で、何にも心にかけない」とは、「あほう」という言葉が、自然に付きまとうでしょう。
人間が成人すると言うことは、あほうになるという事だと、そんな表現がされたりしました。
でも<<
まじめで正直であるとか、世間に無知であるとか言う、
それが「天理に精通した」姿として、語られる場合には、「皆世界の胸のうち」を、映る、大前提としている。
そんな風に、思案するのが、基本です。
765: 基本。 2018/11/30(金)01:45 ID:VLgy8sTC(18/66) AAS
「夜昼の理」。
こんな風に、おさしづでは示されていますが、おやさまは、「夜に」道を始められました。
そして、「昼に」扉を開かれました。
これが、基本としての、「夜・昼」の理です。
九つ、九、この世とは「苦の世」。
夜の理と言われるのは、立教前の世界のことです。
「裏守護」の時代とも言われるものです。
それに対して、「立教」とは、「神が表に現れた」、つまり、「昼に」なったと言うことです。
そこで、今が夜と考えるのか、昼と考えるのか、
夜というのは、「おやさま」不在、昼と言うのは、「おやさま存命」。
省6
766: 基本。 2018/11/30(金)01:49 ID:VLgy8sTC(19/66) AAS
> このスレで自分の発言したことに、現状の民主の状況を踏まえた発言をしてみろや。
<現状の民主の状況。?
選挙前も、今も、それほど民主党の状況は、変化していないと思います。
この話題、ご意見ありの本スレにて語ってくれませんか。
そちらにて、議論しましょう。
「夜の理」が、日本を敗戦にまで、続いていたと言うこと。
そういう話題でなら、当スレの話題と言うことになります。
「夜」なのか「昼」なのか。
で、判断する。そういう基本を語っています。
認識の差と申しましょうか、何党が政権政党になっても、「権力」であると言うことは、治まらない。
省8
767: 基本。 2018/11/30(金)01:53 ID:VLgy8sTC(20/66) AAS
> 人のもの借りたるならばりがいるで はやくへんさいれいをいうなり 三号二八
このおやさまのお筆先は、「人がものを借りたなら、利息もいるし、はやく返済して例を言うがよい。」(芹沢茂・おふでさき通訳)と、解釈されています。
さらに「(二八)に賃借のたとえをもって、お話下された真意は、・・貸物借物の教理を暗示している。」(芹沢茂・おふでさき通訳)と、このような解釈まで生んで、
借りたら、利がいるから、お供えをしなさいという横暴教理として信者に強要している宗教もあるようです。
これは、大きな間違いで、宗教の因縁と言うものの自覚の無い姿です。
「債務奴隷」と言うのは、どのようにして生まれたのか、日本の場合を、学者さんの研究に教えて頂きますと、「貨幣の散歩道」には、このように書かれています。
外部リンク[htm]:www.imes.boj.or.jp
『12世紀になると、各地からの律令税の徴収や年貢米の都への輸送に不可欠な商業・輸送ルートを掌握していた神人(じにん)・供御人(くごにん)が請け負うようになった。
彼らは、公家や社寺に奉仕者として仕えることが認められた特権的武士であり、
天皇や神仏の権威により日本中を自由かつ安全に行き来することができた。』
768: 基本。 2018/11/30(金)01:57 ID:VLgy8sTC(21/66) AAS
宗教も政治も、何をもって権力を構造として完成してきたか。
例えば「学問」と言うものは、権力は独占してきた。
例えば「情報」というものを、権力は独占してきた。
「教養、知性、博識」とは、権力を独占し続けるためのアイテムであり、それらが谷底に幸福をもたらすのは、極めて例外だったと言うこと。
その権力がどうにもならぬもの。
それが、おやさまの支配くださる「火水風」の守護。
「火水風の守護」。
こんなもので、世界を普請すると言う中山みき。
おやさまは、甘露を下さる、人間の親神様天理王命様です。
769: 基本。 2018/11/30(金)02:00 ID:VLgy8sTC(22/66) AAS
農民の豊年を祈願しての、神事において、また、万一の時の福祉において有効な制度であったはずの、
「大宝律令」が、実は、「債務奴隷」を大量に生み、そうして「大社高山」による差別社会の統治に悪用されたと言う事です。
B、しかし、その利息が年5割にものぼる高利であったため、次第に税のように強制的なものとなった。
各地の国司はこの利息を当初は公共事業や国分寺の造営費用に充当していたが、やがて自らの懐に入れるようになった。
C、平安時代になると、土豪化した在地領主も出挙を行うようになった。
これを私出挙(しすいこ)という。私出挙は半ば強制的に行われたが、その利息は、当然のこととして公出挙よりもさらに高利であったため、実質的な税として農民を苦しめた。
D、私出挙においては、貸し手の債権保全のため、農民の宅地・奴碑・雑蓄のほか口分田までが質物となった。
利息未払いのため土地や家屋を没収された農民や、追い立てから免れるため逃亡する農民が後を絶たなかった。
平安中期には、債務不履行となった場合、質物の所有権が債権者に移転する流れ質が一般的になったからだ。
そうしたなかで、農民は債務奴隷へと墜していった。
省3
770: 基本。 2018/11/30(金)02:04 ID:VLgy8sTC(23/66) AAS
仮に、とか、もしというと、少し奇異に感じられるかもしれませんが、甘露台が素直に信じられる心になるとすると、それは、世界がろくぢになると言う事に直結している。
そういう論理を、普通の天理教徒さん、お分かり頂けますか。 >>1
神様は「高山に火と水が見えてある」。
そして、谷底には「甘露」「甘露台」なのだ。
こういう天理の基本がきちんとわからないと、甘露台は「成人した魂の人のための台」なのだという、
「利権構造」が、宗教高山が、切り無く生まれてきてしまう。
それでは、甘露を降らすわけには行かないと、そういう、事情について、考察してみてください。
争いの原因というのは、貧困です。
「高山」というものは、人の生命財産を保護し保障する権力が、政治制度として「高山保護・育成」につとめている。
それは、貧民から救済するという、
省5
771: 基本。 2018/11/30(金)02:08 ID:VLgy8sTC(24/66) AAS
天理教の年表には、立教5年、6年頃の事として、次のような記述があります。
「・・ついに村人、役友達、親族不付き合いとなる。」
これは、「夜」と言う状態であり、「昼」とは言えないシーンです。
「夜昼の理」の事です。
「夜昼の理」。
こんな風に、おさしづでは示されていますが、おやさまは、「夜に」道を始められました。
そして、「昼に」扉を開かれました。
これが、基本としての、「夜・昼」の理です。
九つ、九、この世とは「苦の世」。
夜の理と言われるのは、立教前の世界のことです。
省11
772: 基本。 2018/11/30(金)02:12 ID:VLgy8sTC(25/66) AAS
「22の2」とは、男女二人、が三組で、222です。
おつとめのてをどりの、お立ちの方の数理です。
おさしづに、「ほんの三日や千日や」とありますが、三年千日の苦労をすれば結構になると言う天理の基本があります。
すると、1838年12月12日に立教したのですから、1841年には、結構になっていなければならない。
1841年とは、天理教年表では、「おびやためし」の年です。
ところが、夫善兵衛は、自分の眼病は助けられた。妻の病気も治った。
特に長男秀司の足痛も助けられたというのに、おまけに、おびやためしで、流産の産後も助けていただいたのに、
「貧に落ちる」を拒んだ。
もし仮に、すっと、仰せのようにしていたら、簡単に、道は「昼」だったと、そういう事かも知れない。
> 「・・ついに村人、役友達、親族不付き合いとなる。」
省11
773: 基本。 2018/11/30(金)02:16 ID:VLgy8sTC(26/66) AAS
神様は、勤め場所の普請の開始の前に、扇を授けています。
「正月こえのさづけ」と、ありまして、肥えのさづけは、一番最初に授けておられる。
つまり、最初に「路銀」を渡すと言う、天理の順序。
それは、おやさまの場合にもそうでした。
しかし、それで昼で通れるのに、「夜」にしてしまった、私たちの先輩がいます。
初代といわれる、方々です。
善兵衛さまは、最初に三年の苦労すら通らないで、おやさまの霊力で信仰体を作ろうとした。
それで、昼を夜としてしまったのは、2ちゃん「天理」スレに、黒の基本さんが投稿した話題に、そうした事実が書かれていますが、
初代のほとんどは、苦労三年で、「三年千日」で、大教会初代になっています。
それならば、その五十年後には、戦争協力という「暗転」。
省3
774: 基本。 2018/11/30(金)02:21 ID:VLgy8sTC(27/66) AAS
さて、今思案中の問題に、「こじまつ」と言う問題がありまして、それは、「松恵さまの」態度と、秀司先生の言葉とに、示されていたものです。
この頃の秀司の言葉として「皆が寄って来てくれるは誠に忝(かたじけな)いけれども、
このように色々心配しても、どうしても警察の権利で苦しめられるから、
もうこれからは小始末(こじまつ)するほどに、皆もなるだけ来んようにしてくれるよう」(「改定正文遺韻」)とある。
これに対し、おやさまは、「こじまつするとこじまつになるぞ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)と仰せられた、と伝えられている。
これに対し、教祖は、「小始末すると小始末になるぞ」(諸井政一手記「改定正文遺韻」)と仰せられたとも伝えられている。
外部リンク:dictionary.goo.ne.jp
しまつ 【始末】(名)スル
(1)(物事の)しめくくりを付けること。片付けること。処理。
「—を付ける」「このごたごたをどう—するつもりだ」
省10
775: 基本。 2018/11/30(金)07:01 ID:VLgy8sTC(28/66) AAS
こじまつな態度というものは、言うならばいちいちにうるさいという事です。
当局は、いちいちにうるさかったとか、官憲のような態度が、こじまつという態度で、反対側で言うと、「鷹揚」と言いますか、のんびりという態度。
「夜」と「昼」と言うものは、理において、「夜」は節約型。
人間の体の場合ですが、「夜」はこじまつに、してあるわけで、「昼」は消費型。
「昼」「日る」「費る」。
つまり、燃えるということはなくなるわけですから、こじまつの反対側には「浪費」がある。
浪費は、エコではないので、「倹約・節約」の方が理にかなっているとして、こじまつそのものは、「夜」の理に人を導くという、そういう事になりますむ。
つまり、天理教会は「こじまつ型」に固執していて、「浪費型・ゆさん型」ではない。
それが、高山に癒着したことと、因果関係上にあるのではないかというこだわりです。
776: 基本。 [age] 2018/11/30(金)07:05 ID:VLgy8sTC(29/66) AAS
「甘露」という言葉には、こじまつは、ふさわしくない。
皆が、甘い露を頂くというときに、「こじまつ」にされたら、そりゃ、ぶち壊しというようなものです。
気分が悪くなる。
あんたは成人段階が、もう一段足らんから、「甘露」は跡ですというような、状態が「夜」。
それでは、「甘露」の「甘さ」が無さ過ぎる。
甘い採点、甘い判定、甘い生活。
それと、まるで相容れないものが「こじまつ」。
そしてそれは、私たちの中に体質としてあるもの・・。
天理教会が、信仰に対して、厳しい生活をよしとしているのは、「夜」の道しか頭に無いからだと、そんな気さえします。
777: 基本。 2018/11/30(金)07:08 ID:VLgy8sTC(30/66) AAS
>>231-233
【幸福の科学】
大川隆法の離婚に次ぎ長男・宏洋も離婚。
今度は三男・裕太が、雲母と僅か一年足らずで離婚。
雲母といえば、清水富美加と並ぶアリプロの看板女優の一人である。
一体、三男夫婦に何が起きたのか?
外部リンク:plaza.rakuten.co.jp
事情通の信者は言う。
「前回の映画「さらば青春、されど青春」の撮影が終了し、
これから公開という時になり突然、雲母のシーンが全て削除されました。
省17
778: 基本。 2018/11/30(金)07:11 ID:VLgy8sTC(31/66) AAS
> 「信仰」「教育」「訓練」「伏せ込み」「忍耐」「執着心を取り去る」「仕込み」等々の<美名>が付けば
それは、まさしく、こころを暗くしてしまう。「こじまつ」そのものと、言えましょう。
さて、秀司先生は、どうして小始末をしたのか、その点から、この「小始末信仰」の本質を自覚したいと思います。
れんだいこさん(ゲーム王)さんの、処から引用しました、天理教祖の研究、原文では、こうなっています。
外部リンク[htm]:www.gameou.com
5月21日(陰暦4月9日)、奈良警察署から秀司宛てに召喚状がきた。
秀司は、40日間留め置かれた上、罰金に処せられ、帰ってきたのは、6月29日(陰暦5月19日)であった。
その理由は、杉本村の宮地某が、ひそかに七草の薬を作り、これを、秀司からもらったものであると、警察署へ誣告した為である。
この頃から、秀司は、「人さえこなければ、こんなことはない」と云って、道人のやってくるのを拒み始めていた形跡が有る。
この時の教祖のお言葉が次のように伝えられている。
省8
779: 基本。 2018/11/30(金)07:14 ID:VLgy8sTC(32/66) AAS
おやさまの言う事によれば、こうなります。↓
[神の言う事を聞かない]→[神が秀司を監獄に入れさせた]
秀司の言う事によれば、こうなります。
[皆が来るから]→[警察が権利を行使する]
いったい本当は、どちらがどうなのでしょう。
もしおやさまの言うとおりだとすると、官憲はおやさまの手先という見方すら出来てしまうわけです。
「神の言う事聞かぬから、犯罪者として始末させた」親神さま。
それは、神様の小始末なのか否か、
みな他人事だから、秀司先生の発言を、神を信じられない愚か者と、軽蔑できたりするのですが、
本音、官憲は、お上は、「お上の意思」で取り締まっていると、秀司さんは考えた。
省5
780: 基本。 2018/11/30(金)07:19 ID:VLgy8sTC(33/66) AAS
さて、監獄から帰った秀司の態度は、
> 秀司の言葉として「皆が寄って来てくれるは誠に忝(かたじけな)いけれども、
このように色々心配しても、どうしても警察の権利で苦しめられるから、
> もうこれからは小始末(こじまつ)するほどに、皆もなるだけ来んようにしてくれるよう」
という態度の一方で、信仰組織づくりに奔走していた事実を見ておくべきでしょう。
講を、各信者組織として、まとめさせていったと言うことです。
外部リンク[htm]:www.gameou.com
【講の結成】(1878年)(明治11年)(教祖81才)
1878年(明治11年)4月頃、秀司を講元として「真明講」が結ばれる。
世話人は、仲田儀三郎、辻忠作、松尾市兵衛、中尾休治郎ら。この頃から金米糖を御供えとして渡す。
省9
781: 基本。 [age] 2018/11/30(金)07:23 ID:VLgy8sTC(34/66) AAS
おやさまのお言葉を信じるのなら、素直に信じる事。
信じないけれど、信じられないけれど、何とか信じた形を作ろうとする。
それは、「美名と嘘」のブレンド。
「一日を一年」と読んだのは、「理」を利用した態度。
しかし、おやさまを疑ってしまいつつ、お言葉を行おうとする。
その不自然さが、「小始末」。
大きな始末が出来ない、人間心のあざなさというものでしょう。
親神の言う事がうそなら、それは親神ではない。
インチキ神。
それにしても、国家権力相手に、「神」と「上」の力比べだと、
省13
782: 基本。 2018/11/30(金)07:27 ID:VLgy8sTC(35/66) AAS
実は、今まで気が付かないでいたのですが、それは、
お筆先三号の1、の文字表記の事でした。
お筆先十三号も第一首の一のおうたは、
「4月28日九どきより
一けふまでわなにかしんぱいしたなれど
あすにちからわ をふくハんのみち 」 十三号1
と、こうあります。
今まで気が付きもしなかった「一けふ」という表記に、「アッ」と、「けふ」では無く「一けふ」だと、
と、言う事は、・・・
省15
783: 基本。 2018/11/30(金)07:34 ID:VLgy8sTC(36/66) AAS
基本的な数理を、整理してみます。
4月28日九どき
この数字ですが、
3625 は、(3×6)+(2×5) で、28年の基本数理で実数で数えました。
その実例にならいますと、
(4×2)+(8×9) 80年の基本数理が、一つ考えられます。
1877年6月〜 1年目
1956年6月〜 80年目 稿本天理教教祖伝 公刊。
おやさまのお歳で申しますと、明治10年は八十才です。
お誕生日は、4月18日です。このお筆先は 4月28日です。
省6
784: 基本。 2018/11/30(金)07:38 ID:VLgy8sTC(37/66) AAS
元を本部から数えると言う基本もあります。
本部からの4年は、「教祖存命についてのおさしづ」
この時、それがちゃんと理解され、実行されていたら、「昼」であった。
だが、高慢因縁に、「教祖存命」、それを教団幹部自ら否定してゆく「夜」。
本部からの32年は、
本部1年目は1888年4月〜
本部4・28の32年目は1919年4月〜 財団法人天理教会本部となる
本部からの41年は、本部1年目は1888年4月〜
そして、4・28・9の41年目は1928年4月〜 昭和3年おふでさき公刊・おふでさき講習会。
222の五は、2月22日で、立教五つの理。
省8
785: 基本。 2018/11/30(金)07:41 ID:VLgy8sTC(38/66) AAS
説き流しの時代には、そばの人々は、神様の言葉を聞き取りもしなかった。聞いても忘れてしまった。
当然ながら、大きな意味での「昼」には、ならなかった。
そして、実の箱時代の中の、2である、「おふでさき執筆時代」になって、
「九が無くなる刻限」を迎えた、それがお筆先13号執筆の「刻限」だったということで、
「四月二十八日」という、月日で、四の数理は「四つよんなか」「ようき棟梁」・・
八の数理は「八方に開く」「山の中」「屋敷は神の・・」・・。
そこで、おやさまの年齢八十歳の誕生日は「四月十八日」でこれが、一段。
二段目にあたる「四月二十八日」という、月日にて、「よんなか」・40年の一区切りの刻限を、お知らせ下された。
この、四・28の数理は、4+28は、32年で、お筆先執筆開始の数理でした。
786: 基本。 2018/11/30(金)07:45 ID:VLgy8sTC(39/66) AAS
改訂版天理教辞典の「夜昼の理」には、次のお言葉が引用されて、解説があります。
「二十六日は夜に出て昼に治まりた理。」29/2/9。
・・・・・・・・・
解説では、夜に出てとは「立教」の事で、昼におさまりたとは「扉を開いた」事だと言います。
おやさまのご誕生は、6月2日五つ時、つまり、222 2の五つ。
昼の理にて思案すれば、おやさまのご誕生そのものが、すでに「昼」であったと、明白です。
おやさまは、ここまでも数理に厳然として、お生まれになられた。
そして、数理に厳然として、お筆先を知らされた。
子供可愛い一条のおやさまの「陽気」に、「昼の理」は満ち溢れていると言うことです。
787: 本当にあった怖い名無し [kage] 2018/11/30(金)07:49 ID:VLgy8sTC(40/66) AAS
AA省
788: 基本。 2018/11/30(金)07:53 ID:VLgy8sTC(41/66) AAS
AA省
789: 基本。 2018/11/30(金)07:58 ID:VLgy8sTC(42/66) AAS
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、及び国家神道の信徒諸君、一神教は都合の悪い事実を隠し、歴史を捏造する悪い癖がある。
(注.薩長開宗の「国家神道」はその開宗目的からしてもキリスト教らと全く同質の「和製一神教」です)
宗教を支配・統治に利用するという為には、一神教は利用しやすい。
因縁的に言うなら、モーゼのマジック、エジプトの神官のテクニックそのものが人心を惑わすものでありました。
過ぎ越し祭りの、起源そのものの手法、そこには「つくり策」という、おやさまのお嫌いなものが、混じりこんでいます。
おやさまが、日清戦争・日露戦争の予言を書かれたのは、お筆先第四号でした。
777 74の数理にて、何年後の数理を示されていますが、そのことは、情報操作という「五月五日」の出来事に深くかかわっているわけです。
「夜」「昼」の理が、わからなくなってしまう。
そこには、高山の情報操作があり、軍国主義の背景があるということです。
省4
790: 基本。 2018/11/30(金)08:02 ID:VLgy8sTC(43/66) AAS
>「明治二十七年七月二十六日 朝」
> 日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願
> ここにも、『事情はふでさきに写してある。今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。』と、
日清戦争の事情は、おふでさきの予言の実現である事が知らされています。
> 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』
> 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』
> ここに示されているのは、おふでさきに五月五日と知らされたものは、今の事情なのだよという、明確な内容です。
>
先ず、おふでさき六号に知らされた「五分五分として成人した」、
これが、明治27年の事情を、あらかじめ知らしていたことは、お分かり頂けたと思います。
省9
791: 基本。 2018/11/30(金)08:08 ID:VLgy8sTC(44/66) AAS
おやさまは、「この夜」を「昼」に、陽気なものに立て替えるために、「昼の理」の数理、刻限に誕生され、立教された。
それは、お釈迦様の悟り、イエス様の愛として、それまでにも教えてきたものであったが、
宗教組織は、政治権力そのものとなり人を支配する「高山・谷底」の統治術を駆使する側にまわり、
お釈迦様やイエス様の教えすら、統治のマジックに利用されている。
日本の「天皇」を一神教にみたてた、政治制度も、その例に他なく、日清、日露へと国民は誘導され、
それが「夜」なのだということは、第二次大戦の敗戦まで、国民は自覚できなかった。
現在も、「おかけ゜」信仰は、続いていて、お払いさんが降ると言う、「夜」の理は、はびこっている。
忘れてはならないのは、おやさまは、この世に「昼」の理をお知らせに来たということです。
792: 基本。 2018/11/30(金)08:13 ID:VLgy8sTC(45/66) AAS
AA省
793: 基本。 2018/11/30(金)08:18 ID:VLgy8sTC(46/66) AAS
> 明治二十三年八月十二日 午後八時 > 本席御身上願
『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』
なかなかと言うのは、ひながた時代では「秀司先生・小寒様」を示します。
中には、と訳しますと、ひながたでは「何時にこうであって」と思っているものがいる。
そういう意味になります。
『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』
でも、中にはという中にも、「なかなか」の者という深い意味があります。
そういう刻限・数理の思案をしてきた者が、いたということ、示されているわけです。
それは、二代真柱様のように、「なかなか」いない限られた人たちであったと受け取るのが、基本です。
『歌のように思て居ては、ばったりより仕方が無いで。』
省4
794: 基本。 2018/11/30(金)08:24 ID:VLgy8sTC(47/66) AAS
> 『さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。』
> 『前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。』
お言葉に「赤衣は赤衣につれられ、黒衣は黒衣につれられ」とあります。
おやさまの教えというのは、赤衣。
しかし、それに黒い衣装を着せろと命じたのは「高山」です。
法律に応じる道として応法の道は、実は本席の時代。
つまり、「黒衣に連れられ」と言うのは、天理教会の細道の時代。
これも、別の予言があることは、2ちゃん天理スレに投稿してあります。
この時代は「神が世上の道理を通す、通させる」と、通させた時代。
その認識で、受け止めなくてはなりません。
省3
795: 基本。 [age] 2018/11/30(金)09:03 ID:VLgy8sTC(48/66) AAS
AA省
796: 基本。 2018/11/30(金)14:08 ID:VLgy8sTC(49/66) AAS
AA省
797: 基本。 2018/11/30(金)14:10 ID:VLgy8sTC(50/66) AAS
つまり、明治22年11月2日の午後九時と言うのは、
五つ時とは午後七時から午後九時までですから、つまり、
22 2(1+1) 2 の五つ時。
2222の五つに、
それは、陰暦の十月十日に、知らされた「重大な」お知らせでした。
史実としては、復元。三十年、三十年の予言で、教えの復元の予言は実現しています。
でも、それは、人類の「宗教」の因縁として自覚されるべきだと思います。
798: 基本。 2018/11/30(金)14:13 ID:VLgy8sTC(51/66) AAS
『ミュトスに対して、ロゴスはある。
「空想」に対して「理性」があり、「物語る言葉」に対して「論証する言葉」があるのである。』
・・・・・・・・・・・
つまり、聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
ヨハネ伝の聖書の文言そのものが「先ず理ありき」と約されても、意味として正しく、
そして、イエス様は、天にては、父なる神の右手に、いぬいの方向に位置していると言うことも、イエス様そのものから、語られている。
まさに、先ず始めに「ロゴス」あり。となる。
「神は理である、理は神である。」
「あると信じて願う誠に、見えてくる利益が神の姿である。」
省2
799: 基本。 [age] 2018/11/30(金)14:16 ID:VLgy8sTC(52/66) AAS
>>1
> 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》
> 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。
> 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在する
> 聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
これは、「先ず始めに言葉ありき」の、間違いでした。
先ず始めに言葉がある。
その言葉とは「ロゴス」であり、それは、物語ではなく「理」であること、
お筆先が、まさに、「この世は理で責めたる世界」だと、示している通り。
省6
800: 2018/11/30(金)14:21 ID:VLgy8sTC(53/66) AAS
AA省
801: 基本。 2018/11/30(金)14:24 ID:VLgy8sTC(54/66) AAS
そこで、原典に知らされた戦争の予言について、別スレで語り始めましたが、お筆先を歌のように思っていてはならないという、
そういう意味を込めまして、整理しておきたいと思います。
第四号、七十七歳老女 明治7年4月。(←扉に記載)
1年目 1874年4月〜
お筆先四号 77歳 7号 7年 4月 予言
4年目
1877 西南戦争
[(2月から)9月24日 西郷軍敗戦]
4+7=11年目
1884 秩父事件
省14
802: 基本。 2018/11/30(金)14:26 ID:VLgy8sTC(55/66) AAS
ここで、日本にとっては、最も重大な戦争の「太平洋戦争」の予言について、申し上げておくべきでしょう。
太平洋戦争は、開戦は真珠湾攻撃の時でした。
1941年(昭和16年) 12月8日 日本、英米に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)開戦)。
戦争終結は、敗戦でした。
1945年 9月2日 降伏文書調印、太平洋戦争(大東亜戦争)終結。
明治7年は西暦1874年4月〜 1年め
1945年4月〜 72年目
敗戦は、西暦1945年9月
(4+7+7)×4 = 72年
・・・・・・・・・・・・・・・・・
省4
803: 基本。 2018/11/30(金)14:29 ID:VLgy8sTC(56/66) AAS
日清戦争 お筆先四号の予言 7+7+7 で結果 見えた姿・戦勝
日露戦争 お筆先四号の予言 4+4×7 で結果 見えた姿・戦勝
太平洋戦争 お筆先四号の予言 (4+7+7)×4 見えた姿・敗戦
このように、勝って「昼みたいに」負けて「夜みたいに」と、
『夜昼知れぬ用になるぞや』
日本の敗戦は、お筆先四号の数理の世界でした。
「7」の神様の嫌いな埃は「欲」。
「4」の神様の嫌いな埃は「腹立ち」
七の組み合わせとは「欲」の原因。
省7
804: 基本。 2018/11/30(金)14:32 ID:VLgy8sTC(57/66) AAS
おやさまの、ご態度については、確認をいたしますと、
おやさまは、権力の情報操作に対して、このように思想を示しています。
「人間の身体にたとえて云えば、あげ下しと同じようなもの。あげ下しも、念がいったら、肉が下るようになるほどに、神が心配」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
国民の不満を煽り立てて「4」の理の「埃」。「腹立ち」。
国民の欲をかき立てて「7」の理の「埃」。「欲」。
それが、「お払いさんがふる」と言う、宗教的マジックで薩長は明治維新を成功させた。
「欲にきり無い泥水」という、「高山」の理の間違いは、「富国強兵」に国民を、
そして、「帝国主義の天皇制」を構築します。
省8
805: 基本。 [age] 2018/11/30(金)14:34 ID:VLgy8sTC(58/66) AAS
>>1
予言と言いますと、何時に何が起きるという予言だと、そう認識されています。
しかし、何がおきるかは、実は人間が決める。
その、心の理の結果として、結末が待っているわけです。
「五月五日に」と言う理は、「五つ理を吹く」です。
そして「五分五分」です。
まいた種が生え来る。それが「五つ理を吹く」の五日の理です。
その、理の吹く旬に、神の残念を見ると言うのは、それは「埃」を積み上げたと言うことに相違ないわけです。
そんなことしてると、いつか、神の残念を見るよと、言うのは、「いつか」・・「五日」。
そして、それは、五分五分。
省10
806: 基本。 2018/11/30(金)14:37 ID:VLgy8sTC(59/66) AAS
>そういえば徳川時代における高山地方は、
>言うところの「天領」だったわけだけど、これまた語呂合わせを超えた繋がりがあったんでしょうかね?
「小学生の社会科」に、「天領」になったいきさつが詳しくありました。
外部リンク[html]:gakuen.gifu-net.ed.jp
江戸時代の中ごろから、領主のきびしい年貢の取り立てや引き上げに対して、農民が集団で反抗する百姓一揆が全国で増えてきました。
郡上郡でも、宝暦郡上一揆 ほうれきぐじょういっき と呼ばれる一揆が起こりました。
1754(宝暦4)年、郡上藩主金森頼錦
かなもりよりかね
は、藩の財政難を解消するために、年貢の取り方を、それまでの定免取り
じょうめんどり
省14
807: 基本。 2018/11/30(金)14:39 ID:VLgy8sTC(60/66) AAS
「高山」の「真の柱」はとふじんである。
このお言葉の意味するところは、人間社会の「幸福けにとって、銃ぬ゛異な意味を持っています。
根本的には「支配者層は、何もわかっていない」という事を意味しています。
「とふじん」=「からの人」=何もわかってない人。
何もわかっていない「高山」は、思想として「宗教」を心の支えにしている。
と、言いますか、行動原理を「宗教」においていて、自分がモーゼであろうとし、マホメットであろうとし、キリストであろうとする。
そこで、例えば「天国と地獄の紋の鍵を持つ人」。キリスト社会で言えば「法王」のような、
「神のおそばに仕える人」・聖人ペテロの後継者が、いて、「神の剣を行使する人」聖人パウロの後継者が、存在することになる。
「支配層」は、神の代理人として、権威を有しているという、それが、「とふじん」社会の実態ということです。
この時、神の子イエスも「偶像」であり、「救済」という幻想を大衆に与え続けるという意味で、幻覚剤・アヘンのような役割を果たしています。
省5
808: 基本。 2018/11/30(金)14:41 ID:VLgy8sTC(61/66) AAS
AA省
809: 基本。 2018/11/30(金)14:50 ID:VLgy8sTC(62/66) AAS
「高山」の「真の柱」はとふじんである。
このお言葉の意味するところは、人間社会の「幸福けにとって、銃ぬ゛異な意味を持っています。
根本的には「支配者層は、何もわかっていない」という事を意味しています。
「とふじん」=「からの人」=何もわかってない人。
何もわかっていない「高山」は、思想として「宗教」を心の支えにしている。
と、言いますか、行動原理を「宗教」においていて、自分がモーゼであろうとし、マホメットであろうとし、キリストであろうとする。
そこで、例えば「天国と地獄の紋の鍵を持つ人」。キリスト社会で言えば「法王」のような、
「神のおそばに仕える人」・聖人ペテロの後継者が、いて、「神の剣を行使する人」聖人パウロの後継者が、存在することになる。
「支配層」は、神の代理人として、権威を有しているという、それが、「とふじん」社会の実態ということです。
この時、神の子イエスも「偶像」であり、「救済」という幻想を大衆に与え続けるという意味で、幻覚剤・アヘンのような役割を果たしています。
省4
810: 基本。 2018/11/30(金)14:53 ID:VLgy8sTC(63/66) AAS
AA省
811: 基本。 2018/11/30(金)14:55 ID:VLgy8sTC(64/66) AAS
正月二十六日は、「今からたすけするのやで」という刻限でした。
二月二十六日は、真柱様と本席さまの神一条の開始でもありました。
明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午前四時
真之亮代理伺
幾重の話聞く。大工というて知ったは神一条、仕事場は神一条、北は鍛冶屋南は大工で、神一条。
さあ/\尋ねる処事情知らす。
又々心で知らし置く。
どうでも皆その日来るなら、働きも十貫目渡るもあり、二十貫目渡す者も皆心次第。
これ心尽せし程、目札を付けて渡す。さあ/\付けるとも。刻限事情を知らす。
大勢ではざわ付く。誰が筆執れは言わん。
省10
812: 基本。 2018/11/30(金)14:59 ID:VLgy8sTC(65/66) AAS
AA省
813: 基本。 2018/11/30(金)19:35 ID:VLgy8sTC(66/66) AAS
おやさまの、「昇天(死)」の日は二十六日であるという事は、存命中から、知られている事でした。
そして、明治二十年の正月二十六日でした。
おやさまは、予言どおりに、その「二十六日」と言う日に、お体つめたくなりました。
それは、本席と真柱の神一条の開始の二十六日、二月の二十六日への一段という「だんだんの道」を、到来させるものでした。
しかし、本席おさしづの時代は、応法の道であり、その応法の道は、
人間の自分勝手な道そのものとして、世界一列をたすけたいという道ではなく、
天理教団の内内さえ順調ならよいという「教団組織エゴ」の横暴がはびこり、おやさまの教えそのものを歪曲化し、
政治権力と迎合しての「とふぢん」のままにする「から」に、陥っていたという事です。
親神様は、教団幹部の願いが「わが身の内内の幸福」にしか無いと、見抜かれていて、第二段に相当する「二月の二十六日」に、
「組み換え」を宣言されています。
省15
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