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【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/
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266: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/05(金) 23:47:18.49 ID:NCHIna+a 何かを分かるということはをそれを対象として理解するということだと思ってる人には涅槃も含め上座部の話はわからない 涅槃は対象ではなくそれゆえあるものでもないものでもない それが何だということもできない 対象でないものを一体どうして分かるのか まず心身の作用が生じる原因の主体と客体という概念とそれらへの同一化が抜け落ちなければならない 知覚や認識の対象でもなく現象でもなく言葉で言い表されることではない わかりたければ自分で実践するしかない http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/266
267: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/05(金) 23:59:15.20 ID:+BvuWJWX >>264 返答ありがとうございます。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/267
268: 桃太郎 [] 2021/03/06(土) 00:04:01.75 ID:14hIAr/3 >>266 >対象でないものを一体どうして分かるのか と言う一方で >分かりたければ自分で実践するしかない と言う。 まったく支離滅裂でご自分でも意味不明じゃないのかな?(苦笑 >まず心身の作用が生じる原因の主体と客体という概念とそれらへの同一化が抜け落ちなければならない 出来ないことを言わないこと。(笑 ネットで遊んで居る人間が出来ることでは無い事ぐらい理解出来ないのですか? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/268
269: 桃太郎 [] 2021/03/06(土) 00:07:10.22 ID:14hIAr/3 本当に、低い教えに執着すると不幸でしか無い。 いずれ分かる時が来る。 テラワダ信者は不憫でならぬ。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/269
270: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 00:19:02.96 ID:0ZlUbHsD 聞く準備ができてない者に何を話しても無駄だわな 縁なき衆生は度し難し http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/270
271: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 00:28:40.30 ID:Xfnw7Y9I 涅槃とはいわず悟りと言わせてもらいますけど 悟りとは一過性の体験なのでしょうか? それとも永続的に体感できるものなのでしょうか? また、体験ではなく、自転車に乗るように覚えているものなのでしょうか? 知識ではないことは理解できますが、知っていることなのでしょうか?智慧? 大乗では竜樹の影響で諸法実相が説かれます。 悟りをうると世界がこう見えるといった具合に。 でもテーラワーダでは十二因縁の基本に忠実であろうと思われるので 無明を破することになると思うのですが 無明が破れたあと六感はあると思うのですが具体的に以前とどう変わるのでしょう? サンガジャパンで似たような話は読んだことはあるのですが 手放して今は分りません。お教えいただければ幸いです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/271
272: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 01:04:35.03 ID:Xfnw7Y9I ttp://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf ここに書かれているテーラワーダの方は 仏の徳性について熟考せよと書かれています。 大乗では観仏三昧が説かれます。 学者の間では、仏滅後ブッダを思慕する思いの強さから そういった傾向が生まれることになったとされていますが ここで書かれているテーラワーダの方は 大乗の影響から逆輸入的に仏の徳性を熟考せよと言われたのでしょうか? テーラワーダにも大乗の教えが逆輸入された、もちろん鵜呑みしているわけではなく 使えるものを効率的に選んでやったと思われるものがありますが そうしたものの一環なのでしょうか? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/272
273: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 01:54:31.39 ID:0ZlUbHsD 大乗の影響は知らないですがそもそも念仏とは仏陀の執着の無さや徳性に対して自分もそうであろうと念じることみたいな話は聞いたことあります それが大乗においては真言や観想などになるのでしょうけどテラワダにとっては仏陀のように無執着無分別であろうというひとつの実践の形なんじゃないでしょうか 真言や観想の瞑想は基本的に何らかの状態への集中瞑想ですが、状態に捉われず無執着であろうとすることは観察瞑想になるのでその点は違うと思います http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/273
274: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 02:07:48.62 ID:0ZlUbHsD 悟りは預流果から阿羅漢まで幅が広いので預流果で起こる有身見が断たれた段階の話をするなら 涅槃は一過性のものではもちろんないですがそれは永遠でもなく体験でもないですね 何故なら体験はどんなものであれ現われたものであり消えるもので無常だからです そういう意味では永続的なものとも説明できますが一過性と永続というものを相対的に捉えてる上での永続的なものとはまた違います 誰かが永続的と考えるときそれは一過性のものに対して考えるわけですがそのように何かに対してどうであるという相対的なものではありません 本当に相対的でない永続したものとして明らかになると永続ですらありません それを何だと言うことはできないのです そして憶えることもできず明らかになっています 憶える忘れるということではないからです 実際はわかってないという状態が現われているだけで誰しも今すでにわかっていることです わかるわからないという状態が現われて消えているだけだからです なので人はみなすでに悟っているというような表現もあるのです 現象上において具体的には何も変わりません 全ての現象と自分は何ら関係ないと明らかになっているだけです http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/274
275: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 02:23:59.14 ID:0ZlUbHsD 悟り(涅槃)に関しては説明する者によってそれなりに説明の仕方が変わると思います なぜかというと説明する内容も説明する主体もいない状態を説明するのに自分という視点を仮定して説明するのでそれ次第になるわけです またそのせいでもあると思いますが預流果より先の段階に関してはテラワダの派によって意見の違いなどもあります ジョーティカ師の本も読まれているようですがそれぞれの師や本や経典の説明を比べて参考にされるのがよいかと思います http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/275
276: 神も仏も名無しさん [] 2021/03/06(土) 12:42:10.76 ID:hJH/wrJT >>16 さらに言うと、悟ってしばらくは釈迦も小乗的だった しかし晩年になるに従って、特に女性の出家を認めた辺りで、すっかり大乗的になった これはアーナンダの功績も大きい http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/276
277: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/06(土) 13:24:45.58 ID:UEWaW+n5 >>247 > 預流果 - 見道のそれらの煩悩を断じ終って 倶舎論とか唯識(?)は知らないけど、断じ終わっているのは、見道の煩悩(見惑)じゃない 見道とか修道とかあったと思うけど 地獄に落ちるような欲や怒りもなくなるはずだけど テーラワーダの説明で聞いたことあるのは、一来果で貪瞋が薄くなって 不還果で欲界への執着(貪瞋も)がなくなるとか 見惑 https://kotobank.jp/word/%E8%A6%8B%E6%83%91-492865 > 〘名〙 (「惑」は煩悩(ぼんのう)。見道で断ぜられる煩悩の意) 仏語。倶舎宗では、仏教の根本真理である四諦(したい)の理に迷う煩悩のこととし、唯識宗では、よこしまな教えを受けておこす後天的な煩悩をさし、天台宗では、修惑(しゅわく)とともに空観によって断ぜられる煩悩とする。けんなく。 http://www.wikidharma.org/index.php/けんなく > 見惑とは見道で滅ぼされる惑、修惑(思惑)とは修道で滅ぼされる惑を意味する。 > 倶舎では、四諦の理(仏教の真理)に迷う迷理の惑の見惑、現象的な事物に執われて迷う迷事の惑を修惑とする。 > 唯識では、邪師や邪教などの誘導により、または心におもい計って起こす後天的(分別起(ふんべっき))な煩悩を見惑、生まれるとともに自然に生じる先天的な(倶生起(くしょうき))煩悩を修惑とする。 > 倶舎宗では見惑に88があるとし、見惑八十八使という。即ち見道で滅ぼされる根本煩悩は、五利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)と五鈍使(貪・瞋・癡・慢・疑)とであるが、これをそれぞれ四諦にあて、三界にあてるとき、欲界に32、色界・無色界に各28、合わせて88となる。 > また修惑に81があるとし、修惑八十一品という。即ち修道で滅ぼされる根本煩悩は、欲界では貪・瞋・癡・慢、色界・無色界では貪・癡・慢の計10種であるが、これらをそれぞれ一括して、九地に配当し、さらにそれぞれ煩悩の強弱によって上上品から下下品までの9種にわけて81品とする。見惑の八十八使と修惑の一○種とを合わせて九十八随眠という。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/277
278: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/08(月) 08:00:41.66 ID:ufNBpJx5 学会三世で、座談会とかは子供の時に一回行った程度で仏壇に手を合わすとかもなかった 家族亡くしてからショックで、半年かもうちょっとかな、まともに読んだことのない方便品第二と寿量品16を日に二回あげ 学会とは関わらないままながら、池田の前の会長の戸田の書いた本が家にあったので読んだりしてたが、なんら響くものなく 読んでる経の解説と講義の本も読んだが一切響くものなく ただ、良医が毒に侵され頭おかしくなった子供たちに薬飲ます方便として「父は死んだ」と嘘をつくたとえ話のとこは 「俺が愚かなので、あるのが当たり前と思って亡くしたので、ショックを受けてこうやって苦しんでる」と、これが仏縁となって信心となって俺は救われるのかなぁ? 救われたい ってまったく苦しいままで、なんとなくブッダの言葉スッタニパータ読んだら こっちこそが目指すもので、題目や念仏、それは俺の苦しみを軽減しないってすぐに気づいた 瞑想して、ブッダの言葉に書かれてる言葉について、発見という表現はおかしいけどブッダが言っている通りだと納得することが何度かある でもまあ、全然精進が足らないでまだ苦しいままだわ パーリ語の経典の翻訳のを読んでると、納得する部分はかなり増えてるけども、日常生活で感情がかき乱されることが起こるのはまだ全く御せないし傍観もできない http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/278
279: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/08(月) 22:06:08.38 ID:/lh2jgnj 称名念仏はもともと観仏の劣化版だからね 心が落ち着かない人のために精神集中できなくても 言葉を称え続けるだけでいいよと言ったのが始まり だから悪人正機、悪人(救いようのない人)が相手の教えと言われ 易行(誰でもできる簡単な行)であると言われる。 仏の教えが衰退してくる末法にはこれしかないと言われて 庶民に広がった。だけど今のようにテーラワーダの教えが ネットでも見ることができて僧が日本に簡単に来れる時代にあっては あまり意味がないのかもしれない。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/279
280: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/08(月) 22:15:33.71 ID:/lh2jgnj 日蓮の題目は念仏のパクリ。 簡単に言えば天台智??が五時教判で法華経最強と言ったのをうけて あとは念仏をパクって法華経のお題を唱えれば仏になれるといった あとは国内の密教を排斥するために密教の教えをパクったりした。 日蓮の教えは経に明確な根拠はなくて ほとんど日蓮の独自解釈なので仏教とは言えない。 教判というのは教相判釈の略で中国仏教で発達した考え方。 中国では大乗上座部たくさんの経が一斉に流入したので どれが本当に重要な経か判断するためにものさしが必要になった。 それが教判。大乗が大量につくった後だしの経が 俺の経すげー言ってるので大乗が有利な教判になった。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/280
281: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/09(火) 07:42:35.14 ID:CUue+V3R >>16 > どー見てもその振る舞いは菩薩行そのものだと思う。 というより 仏陀が悟った内容は大乗的な汎用的なものだったから、 自然と悟った内容が大乗的な方向へ歩き出して行って、 釈尊も「おおぜいの人人には理解してもらえないでしょうけどねえ」と思いつつも、苦しんで熱心に教えを請う人々の要請に従ったのだろう http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/281
282: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/09(火) 07:43:37.04 ID:CUue+V3R △要請に従った 〇要請に従った http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/282
283: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/09(火) 07:43:57.37 ID:CUue+V3R △要請に従った 〇要請に応えた http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/283
284: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/09(火) 08:43:13.06 ID:wwaV7C4C テーラワーダにも、サマタ(集中瞑想、種類がたくさんあって、念仏もそこに入る) あるから、宇宙仏と一体になりました的な救済方法が無いこともないと思うよ。 ただ、法華経こそが、釈迦の本意と言うのは明らかに、後世の後付。 ヴィパッサナー(観察瞑想)が釈迦が発見した涅槃へ至る道であると思う。 二度と生まれ変わらない境地とか、特定の煩悩が完全に落ちるとか、そちらじゃないと 無理だと思う。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/284
285: 神も仏も名無しさん [sage] 2021/03/09(火) 19:51:16.75 ID:CUue+V3R >>284 宇宙仏と一体救済方法はヨガ派で、ゴーダマ派ではないですよね http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1607853920/285
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