[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
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(3): 2020/12/17(木)21:34 ID:3mAqaGQT(1) AAS
>>28
色々長くなりそうなので
箸の方便の部分について書きますね

これは私の見解ですが
こちらの方法は
そのような煩雑で面倒な食事方法を疑問に思うのです
何故このような面倒があるのかと
何か根本的に解決する方法はないのかと
そして色々と試した末に
食事自体が不要になる方法を発見したのです
省13
50
(3): 2020/12/19(土)19:39 ID:LvdQCh4q(2/2) AAS
>>46
現証とは懐かしい言葉です
これは私の主観の話なので客観ではありません
それを踏まえてお聞きください

私は長年南無妙法蓮華を信仰していましたが
私の地区では最終的に良い結果が残ったのは
私の母を含め数人です
多くの人が人生の終盤を前に
癌の再発 脳卒中 糖尿病による失明
家族間による金銭問題による泥沼裁判沙汰
省14
80
(9): 2020/12/22(火)07:52 ID:hYtllXSf(1) AAS
そもそも、世間とか、一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
自分が治まればこの世の中のすべてがピタリと治まるんです。
元々の初期仏教はそういう形なんだから、それが嫌なら大乗なり、
キリスト教なりへ行けば良いんですよ。
137
(4): 桃太郎 2020/12/31(木)12:29 ID:qg4NZNwg(3/4) AAS
◆さらに釈尊は、如来の真実を説いていきます。

「私は、久遠の昔に成仏して以来、常に、この娑婆世界で人々に法を説き、教え導いてきた。
他の百千万億那由他阿僧祇という無数の国土でも衆生を導き、利益してきた」

◆具体的に、過去の振る舞いを述べます。

「(久遠の昔から今に至るまでの)この中間において、私は燃灯仏などのことを説き、また、涅槃に入るとも言った。このようなことは、全て方便を用いて説いたことである」

◆なぜ、方便を用いたのか。
省11
187
(3): 桃太郎 2021/01/09(土)13:24 ID:PpXnjJ7W(6/6) AAS
自我といっても、多数の構成要素に「縁って」いる、つまり依存しているのであり、構成要素を離れたところに"自我"なるものはないことを、ナーガセーナは言おうとしたわけです。
ここでは「人体」を例に話していますが、諸法に約せば「一切の現象は」は「縁(因果の相互作用)」によって「成り立つ」と言うことです。

「縁起」というのは周知のとおり、相依相待ともいわれるように、いっさいの存在は、いかなる存在といえども、
必ず他者(物)を待って、あるいは他者(物)との関係によって、存在しうるということを説明した仏教用語です。

したがって、縁起は人間を含むいっさいの事物や存在の独存性、恒常性を否定したもの(無我)ともいえます。
これを空間的な拡がりにおいて適用したのが「諸法無我」であり、時間的側面に適用したのが「諸行無常」であった、と一般的にはいわれていますね。

ところで、この縁起を人間存在にあてはめると「無我論」になるのです。すなわち「諸法無我」ですから、人間についても、この原理があてはまるのは当然でしょう。
つまり、人間存在も、誰一人として、自分一人だけで、存在しうるものではありません。必ず、他者との触れあい、関係性によって、人生や社会を形成していくのです。
したがって、縁起と無我というのは、人間存在に関するかぎり、まったく同じことをいっています。

法華経では、さらにこれを掘り下げて考察し「無我」にしても「縁起」にしても、「当の実在」を指し示す助縁として語られたものといえます。
省2
406
(4): 桃太郎 2021/04/09(金)09:26 ID:4mz3sH6w(1/7) AAS
>>403

>観念ではなく修行での実体験で確認されたことだよ

じゃ、「実体験で確認されたこと」とは、「心」か「体」のどっちが確認している?

>煩悩だよ

じゃ、その煩悩はどこから顕れるの?「心」?「体」? どっちなの?
省17
426
(4): 桃太郎 2021/04/09(金)18:59 ID:4mz3sH6w(7/7) AAS
>>423

べつにあなたが答えてもいいんですよ。
答えられるならの話ですが。(笑

みんなステハンだから、誰が誰だか分かんないのですから。

>「ありのままの世界」というのは、世の中の皆がそれぞれに「現実」だと思って過ごしてる世界のことですよね?

その通りですよ。現実以外のなにものでも無いでしょう。
脳内お花畑のような人間で無い限り世界の99%の人々はそう思ってますよ。
「諸法実相」とはそういう事です。
省1
570
(3): 桃太郎 2021/04/14(水)19:11 ID:V08N5aSt(7/11) AAS
>>564

>誰も「経典なんて関係ない」とは言ってないでしょう

>>256 参照

言ってますがな(笑

で、いつものように、どう屁理屈でゴマカシて正当化するんでしょうかね?
省4
768
(3): 桃太郎 2021/05/12(水)16:23 ID:y6WzfA9T(8/10) AAS
>>764

>心の悪が無くなれば、外に悪を見出すことも無くなるのです

じゃ、現在、世界で悪の権力によって迫害され苦しんでいる人々を見ても、あなたは無関心でいられるのですか?
なにもしないことが正しい事なんですか?

悪から目をそらし背をむけて良いと思いますか?それがスマ爺の教えなのですか?

創価の思想はそういった考えとは真反対の平和哲学です。
省4
821
(3): 2021/05/18(火)23:14 ID:at5v9Kgf(1) AAS
 問う。「四念住とは、これをよく習得したならば道〈聖果〉を得るものである」というのであれば、何故に三十七品〈三十七菩提分法〉が説かれているのか。もし汝が「(仏陀の教説すべてを)略説すれば四念住となるのであって、広説したならば三十七品となるのである」と主張するのであれば、それは誤りである。なんとなれば、もし広説ということをいうのであれば無量となるべきであるから。

 答う。「四念住とは、これをよく習得したならば道を得るものである」といっても、また同時に四正勤等の諸法が説かれていなければならなかったのである。なんとなれば、衆生の心は種種不同であって、その結使〈煩悩〉もまた種種であり、(衆生がそれぞれ)理解・習得しようとする教えもまた様々であるためである。
 もとより仏法とは一実一相である。とはいえ、(仏陀は)衆生のために十二部経・八万四千の法門において、それぞれ分別説を作されたのである。もし、そのようでなかったとしたならば、初転法輪において説かれた四聖諦のみで事足りたのであり、それ以降も他に説かれることなど無かったであろう。
 衆生は苦を厭い、楽に執着するものであるから、そのような衆生のために四聖諦を説かれ、「身心等の諸法はすべて苦であって楽のあることはない。この苦の因縁は割愛等の諸々の煩悩に由るのである。この苦が盡くされた処を涅槃といい、涅槃に至る方便を道というのである」とされたのである。
 衆生は多念・乱心・顛倒しているから、この身・受・心・法において様々に執着して邪行を作している。そのような人というものの為に、四念住が説かれたのである。

龍樹菩薩『大智度論』巻第十九 初品第三十一(T25. P198a)
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