[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
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172: 2021/01/07(木)19:51 ID:6ojx1FrF(1/2) AAS
>>164
南無妙法蓮華経は
苦しみを多く感じる人生を
力強く自由自在に生きていく
そういうニーズと非常に合致した教えなんですよね
基本はマントラを唱えること
教えを他の人に広めること
まあ教えを学ぶことってのもありますが
マントラと広めることが二本柱です

例えば創価学会などは
省25
173
(1): 2021/01/07(木)19:52 ID:6ojx1FrF(2/2) AAS
続き
一方テーラワーダなど
(といっても
中身を見れば創価学会など足元にも及ばないぐらい
大衆的には大乗的で呪術的なんですが)
少数の瞑想に打ち込み
達成しようとする修行者の喜びは
自分自身の正体に色んな意味で気づくこと
そして気づくことによってそれを手放すこと
手放すことによってどんどん自由になること
省26
174
(1): 2021/01/07(木)22:23 ID:tGqzxacJ(1) AAS
マントラはどのようなものでも同じように効力を持つ
なぜなら唱え続けることで心の集中力と信心が生じぶれなくなるから
しかしそれは心の状態の変化に過ぎない
クリシュナムルティはどのようなマントラを唱えるのが良いですかと聞かれてコカ・コーラコカ・コーラとでも唱えたらいいと答えた
175: 桃太郎 2021/01/08(金)01:09 ID:E0MQ781A(1/2) AAS
>>174

>しかしそれは心の状態の変化に過ぎない

それだけなら、ただの観念論だよ。
テラワダ諸君が「俺は悟った!」と勝手に妄想しているのと、さほど変わらない。

南無妙法蓮華経は現状を変えていけるから、すごいんだよ。
「色心不二」「依正不二」っていう法理なんだよ。

>マントラはどのようなものでも同じように効力を持つ
省1
176: 桃太郎 2021/01/08(金)01:18 ID:E0MQ781A(2/2) AAS
>>169

>現実のことなんて死んだら全て無くなるのに執着してもしょうがない

そういう投げやりな人生って楽しくないだろ。

法華経如来寿量品第16の自我偈の文には「衆生所遊楽」とある。
「衆生」とは凡夫、「遊楽」とは遊び楽しむことで幸福境涯をさし、「所」とは娑婆世界(現実社会)のこと。
寿量品で、この娑婆世界が即常寂光土(最高の浄土)であると説き明かされ、
苦悩と無常の現実社会こそ妙法を持つ衆生の最高の遊楽の場所であると転じられたことをいう。

生命は永遠であり、今世の業を背負って来世に生まれてくるんだから、しっかり善業を積んで悔いの無い人生を送る事だよ。
そもそも、人間に生まれてきた事自体に感謝すべきことなんだけどね。
省2
177: 2021/01/08(金)01:27 ID:7GZK75mi(1) AAS
思いの世界
178
(2): 2021/01/08(金)22:00 ID:ArZLzc2p(1) AAS
>>173
テーラワーダの指導もいろいろかもしれませんが
無常を見ることで手放しが起こり、まあまあ活動的に、軽く生きられる感じのところに着地したり
そういうのは自分の性格にはあってた気はします
179
(1): 2021/01/09(土)00:12 ID:D2tF90p/(1) AAS
何かを得る幸せではなく一切から自由になれるかなんだよね
宗教や宗派関係なくそれが分かる人には分かる

【「悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学的手法で詳しく聞いてみた結果とは】
外部リンク:community.exawizards.com
180: 桃太郎 2021/01/09(土)11:18 ID:PpXnjJ7W(1/6) AAS
>>179

>何かを得る幸せではなく一切から自由になれるかなんだよね

結局、「自由」を「得たい」と言う事でしょ。
欲望であり、願望であり、「自由」に対する根深い「執着心」なんだと思います。
それをあなたが、ただ気付いていないだけだと思うよ。

「一切から自由になれる」そうやって自殺する人が日本だけでも年間2万人もいる現実から目を逸らしてはいけない。
今はコロナ過でますます増えそうで心配です。

世界自殺者ランキングで日本は13位にいます。かなり上位だね。
世界では年間80万人、40秒に一人が自殺。
省2
181
(1): 2021/01/09(土)11:53 ID:f1QkRaL6(1/2) AAS
「自由」を「得る」のではなく「得る」ことから「自由」になるんだけど分からない人には分からない
得ることで自分を形成して来た人には分からない
自分というものはただの概念なのに何かを得る自分が存在してるという錯覚に捉われている人には分からない
182
(2): 桃太郎 2021/01/09(土)12:04 ID:PpXnjJ7W(2/6) AAS
>>178

>無常を見ることで手放しが起こり

常住不変のものは「仏法」だけです。
すなわち、別の言い方をすれば「宇宙根源の法」とも表現できるでしょうか。
その「法」の基づいて一切の諸現象は「無常」ということです。

そんな事は仏法を学べば誰でも分かっていることで、だからと言って「手放しが起こり」というのは
人生に対する一種の「諦め」とも取れますね。

それはたんなる観念論であり、現実はそう簡単ではありません。
息を吸わなかったり、食事をしなかったりすれば、人は苦しみ死にますし、寒波の中、服を着なければ凍え死にます。
それが、厳然たる現実であり「法」なのです。
省2
183: 桃太郎 2021/01/09(土)12:11 ID:PpXnjJ7W(3/6) AAS
>>181

>>154 をもう一度読んでみてください。

>自分というものはただの概念なのに何かを得る自分が存在してるという錯覚に捉われている人には分からない

であるなら、そう言う自分ですら「概念」であり「妄想」であるのにもかからわらず、「錯覚」と断定する自分をまったく疑っていないという矛盾
184: 2021/01/09(土)12:14 ID:PpXnjJ7W(4/6) AAS
>>182

また、人間は一人ではいけません。 (誤)
また、人間は一人で生きてはいけません。(正)
185: 2021/01/09(土)12:17 ID:f1QkRaL6(2/2) AAS
心身という概念で形成された今まで自分だと思っていた自分とそうでない自分がいるんですよ
誰でも自分とは○○であると認識対象にできる形成された自分と常に認識する側であるが故に認識されない自分がいるでしょう
目で目は見えない
分からない人には分からない
186
(2): 桃太郎 2021/01/09(土)13:24 ID:PpXnjJ7W(5/6) AAS
無常」というのは、しばらくも同じ状態に留まらないことを言います。

そこには、「無」とか「妄想」「実体のない概念」という考えは入り込む余地はありません。
そのことを龍樹は中論に於いて「空」の概念として説いたのです。
ちょっと読むと、「無」とか「妄想」と「空」は同じ概念のように見えますが、似ていて非なるもです。

「無」「妄想」といった考えは、一切の現象を「ある」と捉えることを前提としています。
それに対して「空」は「縁起の法」に基づいて一切の現象を「成る」と捉えるのです。

>>137 にも書きましたが、「如来寿量品第十六」に

如来は如実(あるがまま)に三界(衆生が生死流転する現実世界)の相を知見しているからである。
生や死というが、この三界から退き去ることも、この三界に出現することもない。また世に在る者、滅度した者という区別もない。
この三界のありさまは、真実でもない。だからといって虚妄でもない。“このようである”ということもない。“このようではない”ということもない。
省8
187
(3): 桃太郎 2021/01/09(土)13:24 ID:PpXnjJ7W(6/6) AAS
自我といっても、多数の構成要素に「縁って」いる、つまり依存しているのであり、構成要素を離れたところに"自我"なるものはないことを、ナーガセーナは言おうとしたわけです。
ここでは「人体」を例に話していますが、諸法に約せば「一切の現象は」は「縁(因果の相互作用)」によって「成り立つ」と言うことです。

「縁起」というのは周知のとおり、相依相待ともいわれるように、いっさいの存在は、いかなる存在といえども、
必ず他者(物)を待って、あるいは他者(物)との関係によって、存在しうるということを説明した仏教用語です。

したがって、縁起は人間を含むいっさいの事物や存在の独存性、恒常性を否定したもの(無我)ともいえます。
これを空間的な拡がりにおいて適用したのが「諸法無我」であり、時間的側面に適用したのが「諸行無常」であった、と一般的にはいわれていますね。

ところで、この縁起を人間存在にあてはめると「無我論」になるのです。すなわち「諸法無我」ですから、人間についても、この原理があてはまるのは当然でしょう。
つまり、人間存在も、誰一人として、自分一人だけで、存在しうるものではありません。必ず、他者との触れあい、関係性によって、人生や社会を形成していくのです。
したがって、縁起と無我というのは、人間存在に関するかぎり、まったく同じことをいっています。

法華経では、さらにこれを掘り下げて考察し「無我」にしても「縁起」にしても、「当の実在」を指し示す助縁として語られたものといえます。
省2
188
(1): 2021/01/09(土)15:24 ID:e5D1BSY2(1) AAS
>>178
そうなんですね
それは羨ましいです
理想的ではないでしょうか
私の場合は解放され過ぎてというか
力が抜け過ぎて
進むのも戻るのも厄介な感じです
これまで散々充実して楽しんできたので
またそこに戻る気も起きないですし
体験を機に気合と集中力が失われてしまったせいで
省7
189: 2021/01/09(土)19:18 ID:kBY40vI4(1) AAS
体験の内容の違いという分別が残っているか
自分が体験に関わっているという自分が体験者(行為者)だという錯覚が抜けてないのかもしれないですね
体験の内容はどのようなものであれただそのように現われた体験であるという意味で同じでありそれはただ現われ消えるもので自分は体験者ではない
190
(1): 2021/01/09(土)19:20 ID:g7jH/Ki/(1) AAS
>>182
>常住不変のものは「仏法」だけです。
>すなわち、別の言い方をすれば「宇宙根源の法」とも表現できるでしょうか。
>その「法」の基づいて一切の諸現象は「無常」ということです。

鳩摩羅什訳法華経が説く十如是の本末究竟等は九如是をつらぬく理で、その理とは

諸仏両足尊 法は常に無性なり

ということで合ってます?
191
(1): 2021/01/09(土)22:26 ID:FOyjS1yl(1) AAS
>>188
私のは、もっと前のところの感想なので、そんな深い意味はないですね。
動きを見て、原因があり結果があり、結果としての動きがあるという流れを見て
心やそれを見ている意識など全部に当てはめていたような形なので。
(原因が変わっていきそうな生活習慣を取り入れたりもしているので、純粋な観察でもないですし)

いろいろなことがあった時期に
生存の欲求が消えて、苦しみがなくなって、死にたいという欲求も消えるような経験があったので
仏教に興味持ってそれを続けている感じですね。
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