[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
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257: 2021/03/05(金)17:23 ID:B9l41TVP(2/3) AAS
依法不依人ってあるけど、お釈迦様は自灯明と法灯明と言う言葉を死ぬ前に使われたね。
私にも頼るなよ、自分を州にせよと。その代わり、法を見るものは私を見るものだと。
で、問題はその法というものをどう理解して居るかなのだと思う。
創価学会は法華経と言うテーラワーダから見たら創作経典を法としてるし、
創価学会からしたら、パーリ経典も創作だから、テーラワーダの法の正当性は
どこにあるのか?という話になって話が噛み合わない。
パーリ仏典よりも、法華経が後の世に書かれた創作経典であることは
文献学上明白なんじゃないの?と、テーラワーダ派の自分は思うよ。
258(1): 桃太郎 2021/03/05(金)18:00 ID:h4+aKXqR(6/8) AAS
>実践するということは簡単に言えば何も信じないということです
>だから宗派も経典も関係ない
じゃ、完全な新興宗教ですね。(笑
と、言いながら
>ヴィパッサナーや坐禅は何も信じないようにしていためのく瞑想方法なだけですね
という教えを信じているじゃないですか。矛盾してませんか?
省8
259: 桃太郎 2021/03/05(金)18:01 ID:h4+aKXqR(7/8) AAS
ここで大事なのは、法と仏の関係です。
「法」には「教え」という意味も含めて、さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命と別のものではない。
「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、
イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。
何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。
ここで「自らをたよりとせよ」というのも、もちろん単なる「自分」ではありません。自分が頼りにならないことは自分が一番よく知っています。
「心の師」となれということです。私どもで言えば、正しき信心(仏の教え)に生き抜けということです。その自分は「依りどころ」になる。
日蓮大聖人は「一生成仏抄」で「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せです。法といっても自分の心を離れてはありえないわけです。
法と人(仏)は本来、不可分なのです。「如来」というのも「如(真如・真実の世界)からやって来たもの」ということです。
省1
260: 桃太郎 2021/03/05(金)18:06 ID:h4+aKXqR(8/8) AAS
テラワダ諸君は「自らをたよりとせよ」という事を単純に、「愚かな凡夫の自分を頼れ」と勘違いしている。
261: 2021/03/05(金)18:23 ID:5hSy1dDn(1) AAS
何をかみついてるか知らんけど
あなたが正しいですありがとうございます
って言えばいいの?
行って欲しいこと言いなよ
言うから
262(1): 2021/03/05(金)20:07 ID:B9l41TVP(3/3) AAS
大宇宙とか、そういう話はヒンドゥー教の話であって、元々の仏教とはあまり関係ないと思いますよ。
試しに、永遠の仏をブラフマンにでも言い換えてみても意味が通じます。
涅槃はそういうのじゃないんです。そこを曲解して理解してないからテーラワーダ側の言い分はおかしいとなるんです。
またいつもの討論で全く噛み合いません。
で、どうするかというと、自分で確かめるしか無い。自灯明です。
263(1): 2021/03/05(金)21:42 ID:+BvuWJWX(1/2) AAS
テーラワーダでは瞑想に仏の姿を思い描くといったものはありますか?
264(1): 2021/03/05(金)23:35 ID:NWSr89nN(1) AAS
>>263
テーラーワーダもいくつもあると思うので他はわかりませんが
日本テーラワーダ仏教協会ースマナサーラ長老から聞いた事は私は無いです。
そこまで日本テーラワーダ仏教協会を知っている者ではないですが・・
密教系ではそういった瞑想をしている所があったと思います。
265: 桃太郎 2021/03/05(金)23:38 ID:PfueeU6B(1) AAS
>>262
<涅槃>ウィキ
部派仏教では、涅槃とは煩悩を滅し尽くした状態であるとしている。
>涅槃はそういうのじゃないんです。
あなたに涅槃の事などわかるわけないでしょ。(苦笑
ほんとテラワダ信者は大げさなことを言うね。
「預流果」を得たとか「涅槃」を得たとか。
省7
266(1): 2021/03/05(金)23:47 ID:NCHIna+a(5/5) AAS
何かを分かるということはをそれを対象として理解するということだと思ってる人には涅槃も含め上座部の話はわからない
涅槃は対象ではなくそれゆえあるものでもないものでもない それが何だということもできない
対象でないものを一体どうして分かるのか
まず心身の作用が生じる原因の主体と客体という概念とそれらへの同一化が抜け落ちなければならない
知覚や認識の対象でもなく現象でもなく言葉で言い表されることではない
わかりたければ自分で実践するしかない
267: 2021/03/05(金)23:59 ID:+BvuWJWX(2/2) AAS
>>264
返答ありがとうございます。
268: 桃太郎 2021/03/06(土)00:04 ID:14hIAr/3(1/2) AAS
>>266
>対象でないものを一体どうして分かるのか
と言う一方で
>分かりたければ自分で実践するしかない
と言う。
省4
269: 桃太郎 2021/03/06(土)00:07 ID:14hIAr/3(2/2) AAS
本当に、低い教えに執着すると不幸でしか無い。
いずれ分かる時が来る。
テラワダ信者は不憫でならぬ。
270: 2021/03/06(土)00:19 ID:0ZlUbHsD(1/4) AAS
聞く準備ができてない者に何を話しても無駄だわな
縁なき衆生は度し難し
271: 2021/03/06(土)00:28 ID:Xfnw7Y9I(1/2) AAS
涅槃とはいわず悟りと言わせてもらいますけど
悟りとは一過性の体験なのでしょうか?
それとも永続的に体感できるものなのでしょうか?
また、体験ではなく、自転車に乗るように覚えているものなのでしょうか?
知識ではないことは理解できますが、知っていることなのでしょうか?智慧?
大乗では竜樹の影響で諸法実相が説かれます。
悟りをうると世界がこう見えるといった具合に。
でもテーラワーダでは十二因縁の基本に忠実であろうと思われるので
無明を破することになると思うのですが
無明が破れたあと六感はあると思うのですが具体的に以前とどう変わるのでしょう?
省2
272: 2021/03/06(土)01:04 ID:Xfnw7Y9I(2/2) AAS
外部リンク[pdf]:myanmarbuddhism.info
ここに書かれているテーラワーダの方は
仏の徳性について熟考せよと書かれています。
大乗では観仏三昧が説かれます。
学者の間では、仏滅後ブッダを思慕する思いの強さから
そういった傾向が生まれることになったとされていますが
ここで書かれているテーラワーダの方は
大乗の影響から逆輸入的に仏の徳性を熟考せよと言われたのでしょうか?
テーラワーダにも大乗の教えが逆輸入された、もちろん鵜呑みしているわけではなく
使えるものを効率的に選んでやったと思われるものがありますが
省1
273: 2021/03/06(土)01:54 ID:0ZlUbHsD(2/4) AAS
大乗の影響は知らないですがそもそも念仏とは仏陀の執着の無さや徳性に対して自分もそうであろうと念じることみたいな話は聞いたことあります
それが大乗においては真言や観想などになるのでしょうけどテラワダにとっては仏陀のように無執着無分別であろうというひとつの実践の形なんじゃないでしょうか
真言や観想の瞑想は基本的に何らかの状態への集中瞑想ですが、状態に捉われず無執着であろうとすることは観察瞑想になるのでその点は違うと思います
274: 2021/03/06(土)02:07 ID:0ZlUbHsD(3/4) AAS
悟りは預流果から阿羅漢まで幅が広いので預流果で起こる有身見が断たれた段階の話をするなら
涅槃は一過性のものではもちろんないですがそれは永遠でもなく体験でもないですね
何故なら体験はどんなものであれ現われたものであり消えるもので無常だからです
そういう意味では永続的なものとも説明できますが一過性と永続というものを相対的に捉えてる上での永続的なものとはまた違います
誰かが永続的と考えるときそれは一過性のものに対して考えるわけですがそのように何かに対してどうであるという相対的なものではありません
本当に相対的でない永続したものとして明らかになると永続ですらありません
それを何だと言うことはできないのです
そして憶えることもできず明らかになっています
憶える忘れるということではないからです
実際はわかってないという状態が現われているだけで誰しも今すでにわかっていることです
省4
275: 2021/03/06(土)02:23 ID:0ZlUbHsD(4/4) AAS
悟り(涅槃)に関しては説明する者によってそれなりに説明の仕方が変わると思います
なぜかというと説明する内容も説明する主体もいない状態を説明するのに自分という視点を仮定して説明するのでそれ次第になるわけです
またそのせいでもあると思いますが預流果より先の段階に関してはテラワダの派によって意見の違いなどもあります
ジョーティカ師の本も読まれているようですがそれぞれの師や本や経典の説明を比べて参考にされるのがよいかと思います
276: 2021/03/06(土)12:42 ID:hJH/wrJT(1) AAS
>>16
さらに言うと、悟ってしばらくは釈迦も小乗的だった
しかし晩年になるに従って、特に女性の出家を認めた辺りで、すっかり大乗的になった
これはアーナンダの功績も大きい
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