[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
344(1): 桃太郎 2021/03/28(日)20:28 ID:dazkfJwt(3/5) AAS
>>342
>行がその瞬間終わるので無くなる
これもよく意味が分からないのですが、「因果の法」がある時点で完結するという事でしょうか?
天台智??の摩訶止観には「一念三千」の法門が説かれています。
私たちは通常「因」と「果」を分別して認識します。仏教に於いてもそう分別した方が分かりやすいからです。
例えば、身口意の三業で「業」は形成され自身の生命に刻み込まれます。
形成された業は「宿業」として、三世(過去・未来・現在)に渡りその人の人生に「業果」となって影響を及ぼします。
「過去の因を知らんと欲せば其(そ)の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其(そ)の現在の因を見よ」
(日蓮大聖人御書 開目抄、231ページ)
こう説明した方が、一般の人にも分かり易いでしょう。
しかも、間違ってはいませんし、真実でもあります。
しかし、「一念三千」の法理に基づいて、もう一歩深く観察していけば、「因」も「果」も同時に顕れるのです。
いわゆる「蓮華の法」、因果倶時の法門です。
「因」の中に果を含み、その果が次の因となる(包含している。)というわけです。
「一念」という一瞬の生命の中に、三世に渡る「業」を含んでいるといった方が分かり易いかもです。
例えば、ゴルフでボールを打ち、「池ボチャ」になったとしましょう。
この場合、ボールを打った瞬間(因)に「池ボチャ」という(果)はすでに包含されています。
私たちで言えば「運命のベクトル」と言った方が分かりやすいかもです。
飛び出したボールはカップへ向けて、「因果」を繰り返し飛翔していきます。
そして最後は「池ポチャ」と不幸な結末を迎えるのです。
飛翔するボールの一瞬一瞬に、過去未来の一切の因果を包含しているのです。
従って「因果の法」始めも終わりもありません。常に変化変化の連続で「諸行無常」なのです。
これを仏法では「宿命」「宿業」と言ったりします。
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 658 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.012s