[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
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675: 桃太郎 2021/05/10(月)09:59 ID:gp3+ddsh(1/9) AAS
「知っとるけ!」 は どーでもいいんだよ。(笑

君一人で自己満足に浸っていれば良い。

<人の振る舞い>

仏法は、「人間としての勝利」を教えた宗教です。

日蓮大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いにて候いけるぞ」(1174?)と仰せです。
省5
676: 桃太郎 2021/05/10(月)10:01 ID:gp3+ddsh(2/9) AAS
法華経では、万人の中に秘められている仏の生命を敬い、あらゆる人を礼拝していく不軽菩薩の実践が説かれます。

自分の仏界をまだ自覚していない人でも仏の生命を具えており、これを開きあらわす可能性をもっています。
したがって、万人を「仏子(仏の子)」として尊重していく生命尊厳、万人平等こそが、仏法の精神です。
この精神があれば、他人を踏みにじる一切の暴力は生まれないでしょう。
このように、万人尊重の原理から、対話をもって社会の変革を実現していこうとするのが日蓮大聖人の仏法です。

悪世末法は、人々の迷いの生命が強くなり、他者を踏みにじり、人間を差別し、道具化する思想が充満する時代です。
そうした濁った社会の風潮を変え、人間自身の境涯を高めていくには、生命尊厳、人間尊敬の「人の振る舞い」の実践を広げていくしかありません。

また、社会を変革するためには、人々の迷いを助長し、人間を蔑視する思想と強く戦っていかなければなりません。
したがって、善を広げ、悪を責める振る舞いこそが、仏法において求められる肝要の実践であり、仏法者、そして人間としての勝利の人生の証となっていくのです。

>>668 の名言集と比較してみたまえ。
省1
677: 桃太郎 2021/05/10(月)10:06 ID:gp3+ddsh(3/9) AAS
不思議なことに、歴史を変えるほどの世界的な偉人と呼ばれる方々は、
仏法者ではなくとも、この仏法の精神と共通したものを感じさせられる。
686
(1): 2021/05/10(月)11:26 ID:gp3+ddsh(4/9) AAS
>>683

全人類の宿命を転換する戦いだから、そう簡単にはいかないのは当然だ。

しかし、座して瞑想に耽っていても、何も変革できない。
どんなに嘲笑されようと、この世から「悲惨」の2文字を無くす戦いを放棄したら、この世界は地獄と化すだろう。

創価学会は名も無き庶民が草の根民衆運動で、仏法の生命尊厳主義を対話によって世界に弘めている。
これほど高貴な人々はいないと思うよ。

ガンジーは言った。「偉大な運動は『無関心』『嘲笑』『非難』『抑圧』『尊敬』という5つの段階を経る。
省9
687: 桃太郎 2021/05/10(月)12:06 ID:gp3+ddsh(5/9) AAS
平和提言より抜粋。

法華経に説かれる生命触発のドラマもちろん、自分の存在を何よりも大切に思う心情は、人間にとって自然な感情であり、私どもが信奉する仏法の人権思想においても、その点が踏まえられています。

例えば、釈尊を巡る逸話を通して、こんな教えが伝えられています。

――ある時、コーサラ国の国王夫妻が会話を交わす中で、夫妻のそれぞれが「自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」との思いを抱いていることが話題となった。
その後、釈尊のいる場所に赴むいた国王が、自分たちの正直な思いを伝えたところ、釈尊は次の詩句をもって応えた。 「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出ださなかった。
そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それゆえに、自己を愛する人は、他人を害してはならない」― ―と(『ブッダ 神々との対話』中村元訳、岩波書店を引用・参照)。

つまり、自分を“かけがえのない存在”であると感じるならば、誰もが同じ思いを抱いている可能性があることを深くかみしめるべきであり、
その実感を自分の生き方の基軸にして、他者を害するような行為を排していかねばならないと、釈尊は諭したのです。
省3
688
(1): 桃太郎 2021/05/10(月)12:07 ID:gp3+ddsh(6/9) AAS
万人に「尊極の生命」が宿っていることを説いた釈尊の教えに触れて、自身の尊厳のかけがえのなさを心の底から実感した人が、一人また一人と続く中で、他の人々の尊厳の重みにも気づき、
「自他共ともの尊厳が輝く世界」を築いていく決意を互いに深め合っていく姿が描かれています。

その中で釈尊は、人間と人間とを隔てるあらゆる境界線を取とり払はらい、根強い差別にさらされてきた女性たちをはじめ、過ちを犯おかしてしまった人々に対しても、「尊極の生命」が宿っていることを強調しました。
このように法華経では、さまざまな形で差別を受け、虐たげられてきた人々の尊厳を明らかにした宣言と、互いの存在の尊さを喜び合う声が満みち満みちており、
そうした生命と生命との触発のドラマを通して、「万人の尊厳」という法理が確かな輪郭を帯びて現われているのです。

「いかなる人も蔑ろにしない」 私どもSGI(創価学会インターナショナル)は、この法華経が説く「万人の尊厳」の精神に基づき、いかなる差別も許さず、誰も蔑しろにされることのない社会の建設を目指し、
国連が呼よび掛かける人権教育の推進に一貫して力を注いできました。 1995年に始まった「人権教育のための国連10年」を支援する一環として、「現代世界の人権」展を8カ国40都市で開催し、
2005年からは国連の新たな枠組みとして発足した「人権教育のための世界プログラム」を推進する活動を行なってきました。
また2011年に、人権教育の国際基準を初めて定めた「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択を諸団体と協力して後押したほか、その後も国連人権高等弁務官事務所の協賛を得て、
「変革の一歩〜人権教育の力」展の開催や「人権教育ウェブサイト」の開設をしてきたのです。
省2
699: 桃太郎 2021/05/10(月)15:04 ID:gp3+ddsh(7/9) AAS
ガンジー曰く
「宗教なき政治は死体のようなものである。すなわち生命を失ったシステムである」

宗教的信念の無い人間は、権力を得ると利害に走る。
そして民衆を忘れ去り、権力の亡者となる。
歴史的な事実だ。

北京大学「池田大作研究会」との国際学術会議
外部リンク[html]:www.totetu.org
700: 桃太郎 2021/05/10(月)15:06 ID:gp3+ddsh(8/9) AAS
ちなみに「サル長老」は?と言うと。
なにもない。平和学者にとっては何の価値も無い存在であるからだ。
701: 桃太郎 2021/05/10(月)15:10 ID:gp3+ddsh(9/9) AAS
>>698

さる長老以上に存在感の無い人間を見たことが無い。
まさに、異端中の異端だろ。
忍法「ムガムガ」の術で気配を消しているのかもしれんが
たぶん誰からも相手にされないのだと思う。
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