[過去ログ] 【天空時】悟りをひらいた人のスレ632【鬼・和尚】 (1002レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
476
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)10:12 ID:B/RQa7+L(1/11) AAS
知障www
481
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)10:33 ID:B/RQa7+L(2/11) AAS
悟りとは何か?
悟りはひらけるのか?

それは一旦置いといて、自らの仏性に目覚めてその自覚を持って宗教的な人生を歩む事は、誰にでもひらかれた道だと思うんです。
483: 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)10:36 ID:B/RQa7+L(3/11) AAS
では「仏性」とはなんでしょうか?

例えば臨済宗ではその自らの仏性を気付かせる為に公案という手法を用います。
大概は無字だの隻手だの本来の面目という公案に参じる様ですけどね。

宗教全般の視座からすれば、それは絶対とか無限とか、それに人格を付すのなら神とか仏との真の出逢いって事だと思うんです。
ひいては、自らの相対性や有限性、つまり「在る」事の自覚でもあると思うんです。
485
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)10:41 ID:B/RQa7+L(4/11) AAS
自らが在ること、つまり自身の相対性や有限性、凡夫であることを知り深める事が、逆対応的に、絶対なるもの無限なるものへの道をひらくと思うんです。

個人の所感ですけどね。

なので、相対有限なる我々が相対有限なる我々自身をを知るという根底には、やはり絶対なるものや無限なるものの存在を認めざるを得ないんです。

勿論それは確認しようもないので、理性の範囲を超えた信仰の問題となりますけどね。

でも、そこに生きるのが宗教者ではないのでしょうか。
486
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)10:41 ID:B/RQa7+L(5/11) AAS
>>484
知障www
512
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)11:25 ID:B/RQa7+L(6/11) AAS
全ては心の顕われである。

これを極限まで考えていこうとして唯識思想が出てきたと思うんですが、であれば、我も環境も心の顕れってなりますよね。
513: 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)11:27 ID:B/RQa7+L(7/11) AAS
全ては心の顕われである。

この視座から見れば、我が経験をするというよりも、経験があるから我があるって考える事もあるかと思うんです。
515
(2): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)11:29 ID:B/RQa7+L(8/11) AAS
無我であると言いながらその我の主体性を説くのは何故なのでしょうね?

西田幾多郎は以下のように示唆してますが。

「我々は我々の自己の底に、深く反省すればする程、創造的世界の創造的力点となると云う所に、我々の真の自己があるのであり、我々の自己が、かあかる意味に於いて個物的となればなる程、真の自己となると云うことができる」
518: 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)11:31 ID:B/RQa7+L(9/11) AAS
自己認識は自己肯定と自己否定を伴うって事ではないのでしょうか。

自己が自己を認識(自己肯定・自己否定)するって、不思議ですよね。
それは勿論、過去の自分への振り返りなのでしょうが、その今の自分もこの先に振り返られる自分になるのです。
522
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)11:33 ID:B/RQa7+L(10/11) AAS
認識するものが認識されるものであると。
全ては心の顕れであると言えるのかも知れません。

不思議なもんです。

自己のうちに自己を肯定し或いは否定するものがあるって。
578
(1): 鹿野園 ◆FFl6ru6hvpJf 2021/12/25(土)13:23 ID:B/RQa7+L(11/11) AAS
「国家理由の問題」と帝国日本の主権論

確かに個々人の行動水準においては、「国家的に働くということは道徳的に働くと云うことで
ある」という
西田的論理によって、国家理性(国家理由)の問題に一応の説明をつけることができるだろう。だが国家理性(国家理由)の問題とは、「絶対意志が主権として自己自身を表現する」
ものとしての、無制限の権力を占有するとされる国家とその行為を、如何にして正当化するかを、
第一の問題とする。これにつき西田は如何なる解答を示すのであろうか。ところで法制定権力としてく法外なるもの〉に他ならない主権的権力の「自然的本性とは自己保存の欲求と、
自己完成態を求めて際限なく自己拡張する要求」たる点に存する。
だがこのように「自己準拠的であることは自己破壊的であることと同義」であり、

法治国家として自己を定礎するということは換言すれば、国家の始原に厳然するかかる法制的権力の発動の痕跡を抹消するということに他ならない
法学上における主権制限論とは、かかる条理を踏まえて要請された議論であった。この観点に
省9
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 1.499s*