[過去ログ] 【天空時】悟りをひらいた人のスレ632【鬼・和尚】 (1002レス)
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172: 2021/12/20(月)21:55 ID:fmZ4ZLiz(1/11) AAS
>>165
他者を否定しなければどうにも自己を肯定的に維持不可能なんだと思いますよ
まっ、餓鬼の生命維持装置が作動してるってところでしょう、他者を否定し貶めないと死んでしまう訳ですから、自我が
176: 2021/12/20(月)22:05 ID:fmZ4ZLiz(2/11) AAS
外部リンク:www.yoga-gene.com
瞑想でたどり着けるサマディ(三昧)の意味とその種類を理解する
サンヤマに含まれるダーラナ・ディヤーナ・サマディは意識が完全に内側に向いて、外からの情報(音・香り・温度など)に全く意識が結びつかなくなった後の瞑想状態です。
ダーラナ(凝念・集中):意識を一点に集中。ディヤーナ(静慮):ダーラナで一点だった対象を広げる。サマディ(三昧):心が対象の中に没入して自我が消えた状態。
少しわかりにくいので、サマディに没入するまでの瞑想の段階を順番に見ていきましょう。
サマディに没入するまでの瞑想の段階ダーラナ(凝念・集中)
省6
177: 2021/12/20(月)22:06 ID:fmZ4ZLiz(3/11) AAS
外部リンク:www.yoga-gene.com
続き
サマディ(三昧)
ディヤーナで対象への意識が深まることにより、瞑想者本人の自我意識が消滅してしまった状態をサマディと呼びます。
瞑想の最初の段階では「私が花のイメージをしている」という認識ですが、心の中を花のイメージだけが覆いつくすことによって「私」という認識が自然と消えていきます。
そうやってサマディにより自我意識が弱まることによって、人の煩悩や執着心は自然と消滅していき、私たちは苦しみから解放されることができます。
省2
178: 2021/12/20(月)22:08 ID:fmZ4ZLiz(4/11) AAS
外部リンク:www.yoga-gene.com
サマディ(三昧)の種類
八支則の最後にあるので、ヨガの最終ゴールだと考えられがちなサマディですが、実は1度到達しただけではヨガの成功ではなく、繰り返しサマディ状態を体験することで、さらに高次のサマディに到達することができます。
その過程にはいくつかの段階があるので、ヨガ・スートラに書かれたサマディの種類についてもご説明します。
有種子サマディと無種子サマディ
省9
179: 2021/12/20(月)22:09 ID:fmZ4ZLiz(5/11) AAS
外部リンク:www.yoga-gene.com
無尋三昧(ニルヴィタルカー・サマーパッティ)
上記のような分別知や、記憶が消えてしまった状態のサマディです。瞑想の対象の花のイメージだけは残っていても、それを花だと認識する心の働きは消えてしまっています。
過去の経験による記憶も、表には現れていなくても思考の原因となります。無尋三昧では、そのような記憶も消滅します。
有伺三昧(サヴィチャーラー)
省11
180: 2021/12/20(月)22:25 ID:fmZ4ZLiz(6/11) AAS
百万遍真言、百万遍唱題目、百万遍称名・唱名、
これらによって最終的には、思考の元となる種子も止滅せられ、無種子三昧(ニルビージャ・サマディ)に至ることが可能となります。
無種子三昧(ニルビージャ・サマディ)
真知さえも止滅させたサマディの状態です。プルシャ(真我)は、プラクリティ(物質原理)の作り出したあらゆる思考活動から完全に解放されます。
カルマ(業)やサンスカーラ(潜在印象)は自然に消滅され、あらゆる苦悩の原因は消え去ります。
省1
183: 2021/12/20(月)22:41 ID:fmZ4ZLiz(7/11) AAS
外部リンク:w-jp.net
ワヤナタ
ヴェーダンタの分類を基礎として、ラマナ・マハリシは以下のように3分類にサマーディを定義しています。
・サヴィカルパ・サマーディ 努力によって保たれているサマーディ
・ケヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディ 真我の一時的な自覚と、一時的だが努力を要しない自己覚醒
・サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ 原初の、純粋な、自然な状態のなかに努力を要せずとどまっていること
省5
184: 2021/12/20(月)22:41 ID:fmZ4ZLiz(8/11) AAS
外部リンク:w-jp.net
ワヤナタ
ヴェーダンタの分類を基礎として、ラマナ・マハリシは以下のように3分類にサマーディを定義しています。
・サヴィカルパ・サマーディ 努力によって保たれているサマーディ
・ケヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディ 真我の一時的な自覚と、一時的だが努力を要しない自己覚醒
・サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ 原初の、純粋な、自然な状態のなかに努力を要せずとどまっていること
省5
185: 2021/12/20(月)22:41 ID:fmZ4ZLiz(9/11) AAS
外部リンク:w-jp.net
真我の自覚は、最初の段階である創造・破壊・維持の意識から体をダイレクトに動かしていることの実感までは半年くらい期間が空いておりますが、
最初の段階の言い方として言葉では一応「創造・破壊・維持の意識」と言うように「意識」と言う言葉を使ってはいても「意図」は最初は感じられず、
ただ、「創造・破壊・維持」の意識だけを感じておりました。
それが意識だということは直感では分かりましたがそこに「意図」は感じられませんでした。
最初は、後で感じるような「体をダイレクトに動かしているという感覚」と言うような「意図」は特になく、ただ、世界を創造して破壊してそして維持をしている根源としてハートの奥底に感じておりました。
省3
187: 2021/12/20(月)23:01 ID:fmZ4ZLiz(10/11) AAS
🌕 サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ 原初の、純粋な、自然な状態のなかに努力を要せずとどまっていること (ラマナ・マハリシによる)
● この状態が、所謂『覚り(悟り)』なのです
鬼和尚はよくご自分の状態を省みて、自分もそうなのだ!と言えるのか言えないのか?を表明してくださいm(_ _)m
188(2): 2021/12/20(月)23:11 ID:fmZ4ZLiz(11/11) AAS
>>186
仏教にはその先がまだあって、真我すら淘汰する『無我』(アナタ=アトマなし)の考え方があります。
真我に個人的な自我は無いですよ、大我と仮に言われているだけで、真我は存在とイコールなので(ラマナマハリシによる)
逆に、釈尊の言った無我(アナッタ)を、後々の仏教とに誤解されているので、人格的な意味での我と真我は別々で、真我は形に見えない『生命の根元』であり存在そのものですから
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