[過去ログ] 【天空時】悟りをひらいた人のスレ634【鬼・和尚】 (1002レス)
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470: 2022/01/22(土)22:56 ID:aKFVrZVA(15/17) AAS
428Hi-νガンダム ◆5WDpS6YY58k6 2022/01/22(土) 19:23:10.66ID:CYcwwIVA
参同契

インドに生まれ、人の道(仏法)を説き続けたブッダの教えは、西から東へ、つまりはインドから中国へと大切に伝えられた。
これを理解しようとする人々の頭脳は、当然のことながら一人ひとり異なっている。
賢い者がいれば愚鈍な者もいる。
しかし仏法は誰にでも理解することのできる普遍的な教えであるから、いずれは誰でも知ることができる。

教えの源であるブッダの言説まで遡れば、その説くところに歪みはない。
透き通った水のように、教えの底まで見通すことができる。
しかし時代を経るにつれ、教えの解釈は樹木のように枝分かれし、少しずつわかりにくくなってしまった。

細かな支流の1つだけを見て、それが教えのすべてかと思い込んでしまえば、もはや源を見失ってしまったのも同然だろう。
では教えの源さえ知れればもうそれでいいのかといえば、それもまた悟りとはいえない。

人には感覚器官という外界を感じる6つの門がある。
眼で色を見て、耳で音を聞き、鼻で香りを嗅ぎ、舌で味を味わい、身で物を触れ、意識で思い考える。
そうして外界を知覚し、外界を理解し、外界と自分とが別物でないことを体験的に感じていく。
こうした自然と自己が相互に関係し合う世界を感じることができなければ、人は断絶した「個」の世界に閉じこもるしかない。

物体は様々で、見た目も性質も異なっている。
声一つとってみても、高い低いの別があり、心地良いうるさいの別がある。
それらに対して好き嫌いをいわなければ、そこに優劣は生まれない。
みな平等だ。

しかし分別して別物と認識することで、人は区別の世界を生きることになる。
物体を構成する要素は元々すべて自然に帰するものであり、自然と同じのものであるにもかかわらず。
あたかも母を求める子どものように、自然と自己とは一心同体のもの、人間は自然なのである。
本来、分けて考えることなどできないはずのものであろう。
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