[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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(3): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)18:53 ID:DWiU60xl(3/4) AAS
>>620 神も仏も名無しさん 2022/05/15(日) 16:06:15.96 ID:bT7Ka6UI
>あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?
そういうゴマカシはいけません。

>「心の安定ー原語samadhiは「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。
漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが・・・」
>(『ブッダのことばースッタ・ニパータ』中村元訳、岩波文庫、300頁)

>三昧や禅定はどう転んでも解脱にはなりません。

だから三昧も禅定も心の安定ならば解脱も心の安定なんです。
解脱していない修行者でも瞑想三昧に入って心の安定を得ることはできます。
ただし定が解ければまた煩悩が沸き起こるから解脱しているとは言えない。
ところが沙門果経のここの部分の表現を読むと、あらゆる煩悩を離れ、小さな煩悩も離れと書いてあるのだから、
これはもう解脱していることと分かります。
しかも四禅を終えた後の話です
解脱した人が禅定に入っても心の安定であるし、解脱してない人が禅定に入っても禅定の最中は心が安定してるわけですね。
だからどちらも心の安定なんですが、解脱はいつでもどこでも全き心の安定ということですね。
じゃあその心の安定は四禅によって得られたかと言うとそうではない、それだけではないということです。
それは長年の修行で培った結果です。
だから解脱した人が四禅の心の安定の状態に入ってその禅定定を解いても、心は全ての煩悩を離れ安定していると、
この経典は書いているのです。
解脱した人は常に心が安定しているのです。
そして解脱は心の安定に他なりません。
なぜなら怒りだの恨みだのそういう煩悩がないから心が安定しているのです。
あなたのように早く負けを認めなさいなんて攻撃の煩悩丸出しの心の不安定の状態ではないんです。
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