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阿含宗という宗教 328 (1002レス)
阿含宗という宗教 328 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1647056496/
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649: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR [sage] 2022/05/16(月) 21:18:59 ID:XwOBz/7U >>647 神も仏も名無しさん 2022/05/16(月) 16:37:09.83 ID:lCnWttQl >だから、煩悩を断つのも漏尽智だと前から言ってるでしょう? >煩悩を断った結果を確認するだけが漏尽智ではないのです。 >煩悩を断つのも漏尽智なのです。 だから私の書き込みを読んでないんですか? 煩悩を断つというのは仏門に入門して最初からやってるんですよ。 仏教の修行というのは煩悩を断つこと以外にありません。 最初から最後までそうなんです。 もちろん最初から全ての煩悩が断ち切れるわけがないから徐々に徐々にと修行を進めるのです。 煩悩は結とも表現されますよね。 そして三結、五結、十結とあるわけです。 三結断ったのシュダオンで三結断って五結が薄らいだのがシダゴン、五下分結を断ったのがアナゴン、五上分結までも断ったのがアラカンという。 これは阿含宗でもそのように教えているでしょ。 だから煩悩を断つというのはもう最初から始まっているんですよ。 だったらその煩悩を断つ作業も含まれているという漏尽智というのはいつから始まるのか?と言ってるんです。 そしてアラカンにしか属さないとなると、シュダオン以前の煩悩を断つ努力というのはどうなるんだ?ということになります。 ちなみに煩悩を断つ努力というのはあなたの言うような四諦八正道です。 なぜならば四諦の道諦は八正道ですからね。 それは四禅の行った後に初めて取り組むものではなく、もう最初から取り組んでいるんですね。 でも沙門果経ではそこで四諦が出てくるというのは深山さんが書いているように、 解脱を果たしてもう一度四諦の観察をして自分は八正道によって煩悩を断ったのだなと確認するということなんです。 そうでなかったらそこからせっせと八正道の修行をしなければならなくなる。 >「若し智生せば、有漏盡きて無漏の心解脱慧解脱を得、」 >「漏盡智とは、謂はく此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、 及び諸漏の盡なり。」 >(『望月佛教大辞典 第五巻』、望月信亨、世界聖典刊行協会、5082頁) この表現は漏尽智というのは漏尽の証明だと言ってるわけです。 仏教の目的は漏尽であるからそれを成し遂げた証明が漏尽智だということです。 まだ断ってないそれをこれからどうにかするという話ではない。 それから智とは知ることだと書いたが、宿明智、他心智はどうなるのだ? なんで過去世が分かるのか?何で他人の心がわかるのか? それよりも前になんで体が大きくなったり小さくなったりする神通を示すことができるのか? それに対する特別な修行法なんてやった形跡とゆうか記述がないではありませんか? 解脱した人がそこに心を向けた時に過去世もわかったり人の心も読めたというこれまた結果論の話で、方法論ではない、それと同じなんです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1647056496/649
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