[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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650: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:01 ID:9sStUtaV(1/7) AAS
*「あらゆるけがれを滅する智」の意味

ペテン大作さんはどんなに自己矛盾しても、気にしない。
矛盾を指摘されても理解できないから、すぐに忘れて、自説に戻る。
他の普通の知性を持っている信者さんたちは、漏尽智は阿含宗にとっても
とても重大な教義ですから、しっかり学んでください。
本当はカルマ解脱(因縁解脱)の話からしなければならない。
しかし、ペテン大作さんが逃げまくっているように、因縁解脱など
仏教は存在しませんが、それは別な機会にして、
今は漏尽智と煩悩解脱の関係を見てみましょう。

「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
省12
651
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:13 ID:9sStUtaV(2/7) AAS
*「漏尽智で煩悩を切る」は矛盾する

「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

中村博士の「阿羅漢に属する」を見てください。
漏尽智はアラカンに属する、つまり、アラカンしか持たないというのです。
だが、煩悩を切らなければならないのはアナゴン以下です。
解釈Aではアナゴンが「漏尽智で煩悩を切る」はずなのに、
その漏尽智はアラカンしか持たないという!?
アラカンはすでに煩悩を切っているだから、煩悩を切る漏尽智は無用の長物です。
矛盾しています。
省11
652: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:23 ID:9sStUtaV(3/7) AAS
*漏尽智とは「煩悩の尽きたことを知る能力」

岩波仏教辞典「漏尽通は自己の煩悩の尽きたことを知る能力。」

「漏尽智=漏尽通=漏尽明」ですから、↑これが漏尽智の意味で、
解釈A「漏尽智で煩悩を切る」は違うというか、間違いです。
岩波仏教辞典では、漏尽智で煩悩を切るのではなく、
解釈B「煩悩の尽きたことを知る能力」
つまり、解脱したことを知る能力だとあります。

ペテン大作さんは、漏尽智で煩悩を切り(解釈A)、漏尽智で解脱したと知る(解釈B)と
いう世界でたった一人のオカルト説を唱えています。
もしそうなら、岩波仏教辞典にその二つが載っているはずなのに、
省6
653: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:34 ID:9sStUtaV(4/7) AAS
「煩悩の尽きた状態.・・(中略)・・また,この状態を自ら知覚することを(漏尽明)(漏尽通)
といい三明六神通の一つである.」
(『岩波仏教辞典』)

↑の「漏尽」の説明の中に、漏尽通とは解脱の「状態を自ら知覚すること」
であるという解釈Bが出ています。
漏尽通は、紙数の足りない岩波仏教辞典に二度も出てきて、
しかも両方とも同じ解釈Bです。
つまり、岩波仏教辞典は紙数が足りないから解釈Aを省略したのではなく、
漏尽智とは解釈B「煩悩の尽きたことを知る能力」という一つの意味しかないのです。
ここまでは普通の知性のある信者さんたちは理解できたでしょう。
省6
654: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:45 ID:9sStUtaV(5/7) AAS
>>602神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:52:24.56ID:rbXSUWMk
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」
(『ゴータマ・ブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1』中村元、184頁)

まず信者さんたちに着目してほしいのは、この経典の前半に「よごれなく、汚れなく」
とありますから、すでに煩悩を断ち切って解脱していて、
漏尽智は解脱した後に出てくる点です。
これを見ても、解釈A「漏尽智で煩悩を切る」が間違いなのは明らかです。
また、解釈B「煩悩の尽きたことを知る能力」と一致していて、
省12
655
(9): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:57 ID:9sStUtaV(6/7) AAS
「『これが苦しみである』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが背しみの滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。
『これらが諸煩悩である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。」
(『原始仏典Ⅰ長部経典Ⅰ』春秋社105ページ)

これが釈尊の説いた漏尽智です。
省14
656: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)23:09 ID:9sStUtaV(7/7) AAS
*漏尽智で煩悩を切るのではない

釈尊が、煩悩を滅する智と述べたのは、何か超能力のような神通力で
煩悩を断ち切るという話ではなく、八正道で煩悩を切った比丘が、
四諦を何度も洞察して煩悩がないと確認するという意味です。
四諦の「道」の八正道によって、煩悩は滅しており、
煩悩を滅するのは漏尽智ではありません。

まとめるなら、
・漏尽智とは煩悩が尽きたこと(解脱したこと)を確認する能力
・釈尊は四諦体得の確認を「煩悩を滅する智」と述べた
・釈尊は解脱した後で漏尽智に心を向けると述べている
省3
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