[過去ログ] 高崎を馬鹿詐欺という荒らしを糾弾するスレ (822レス)
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714(3): 2014/07/16(水)23:10 ID:77LuBhL50(2/10) AAS
「汽車ポッポの写真なんか撮って喜んでんじゃねーよ」
数年前、2ちゃんねる掲示板にこうした話題が立てられたことに見覚えはないだろうか。鉄道趣味に愛着を持っているはずの集団の中には自らが鉄道趣味を持ってしまったことを悲観し、その葛藤を同じ仲間にぶつける愛好家もいるようである。
昨今の社会事情から鉄道趣味に対する風当たりは決して優しいものではない。その根幹には愛好家自身が起こす周囲への配慮が足りない行動が無意識のうちに鉄道利用者・関係者に迷惑を掛けていることは周知の通りのはずだ。
鉄道趣味と言ってもその奥深さは多岐に渡り、鉄道を撮影することを主体とする者から鉄道関連グッズの収集をする者までジャンルを問わず包括して鉄道愛好家と定義付けられる。
まだインターネットやSNSが日本社会において未発達であった当時、鉄道の運行情報の中で利用客のニーズに応えて運行される臨時列車の情報は、市販されている時刻表と趣味雑誌が主な情報ルートであった。
更に、偶発的に運転される工事列車などの情報を得るに至ってはその現場に熟練して通い詰めている愛好家との繋がりがなによりもの必須条件であった。
そう。人と人の繋がりがあってこそ鉄道運行情報を交換し、互いに誼を通じさせていた時代の話である。
鉄道愛好家に限らず、中堅及び年配者が「昔はいい時代だった」と回想する言葉の裏にはこうした人と人のつながりがあった時代を懐かしんでいるのかもしれない。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com
715(2): 2014/07/16(水)23:12 ID:77LuBhL50(3/10) AAS
インターネットが巷に普及し、当時と比較すると確実に時代は進歩した。それは同時に現実世界における人と人の繋がりも薄れさせていった。
パソコンひとつで無形のインターネットに接続すれば地球の裏側にいる顔も知らない“誰か”とも通信することは容易になっていったからだ。
私自身、インターネットの発達を否定するつもりは毛頭ないのだが、情報過多社会の到来により鉄道趣味に対する新規参入が容易になった。
その結果、秩序を熟知しない新規参入組にあたる鉄道愛好家の多くが意図も簡単に情報を仕入れ、各地で一種の迷惑行為を起こすようになっていることは隠すことのできない事実ではないだろうか。
『人のつながり』と『インターネット発達』という2つのキーワードは正に表裏一体。人のつながりを失った愛好家たちは忽ち秩序を失い暴走を始める。
先日、ある週刊誌において「鉄ちゃんまた暴走!」という見出しの元、お決まりの内容がニュースとして取り上げられていることが目に留まった。
その見出しにおける“暴走”という表現は正に無法地帯と化している現在の鉄道趣味に相応しい語句であるように感じる。
それでは、インターネットが発達する前の時代を生きてきた鉄道愛好家たちは公序良俗に則り、人道的且つ善良な者ばかりであったかと問われると決してそうではないはずだ。
国鉄全線から蒸気機関車が引退する直前、伯備線の布原信号所付近に位置する有名撮影地において社会秩序を守らない撮影者が横行。
716: 2014/07/16(水)23:12 ID:01xJs/VA0(5/8) AAS
>>714
明らかに確信犯的に荒らし目的で書き込むキチガイ
外部リンク[html]:hissi.org
717(2): 2014/07/16(水)23:13 ID:77LuBhL50(4/10) AAS
その土地の所有者を激しく憤慨させ、それ以降、地権者側から撮影地を有料化する策を打ち出されるという事象にまで発展した。巷の老若男女がこの時ばかりは血眼を耀かせながら一人の鉄道愛好家に大躍進を遂げた時代。
とても今では考えられない事例だが、それだけ蒸気機関車の存在が日本人の心に浸透していたと考えれば頷ける。
『蟹を食べると無口になる』という俗説があるように人間という生物は一つの事柄に集中すると周囲の状況が見えなくなり、適切な判断を下せなくなってしまう。
鉄道趣味も例外なくその部類に属し、一例に挙げた伯備線布原信号所にて発生した地権者と愛好家の相互間における擦れ違いも愛好家の周囲が見えなくなった行動が何よりもの原因であることは明白だ。
その他、この蒸気機関車全廃を目前に控えたSLブームの時代は鉄道趣味の歴史の中で最も鉄道愛好家が増えたと推測される時代。
人が増えるということはそれだけ現場を統一させる統制力が必要となるのだが、長年趣味を楽しんできたベテランだけでは一気に増加した参入者を相手に指揮を取ることができず、全国各地で撮影者の秩序悪化が散見されたとされている。
1976年、国鉄は全線から蒸気機関車を引退させる無煙化に成功させると同時に国民のSLブームの白熱振りはいつしか消え去っていった。それからしばらくの間、鉄道趣味は一種の平穏を取り戻したと言っても過言ではないかもしれない。
しかし、手頃な価格で購入できる家電品の誕生によりカメラも例外なく価格競争を経て安価な品物になっていきた昨今、再び鉄道趣味が注目され始めた。
書籍やマスコミを通じて鉄道趣味への新規参入が容易であることが歌われると、鉄道愛好家の人数は従来と桁外れに伸び始めている。
更に、問題視されるのは増えている新規参入者の多くは人生経験も豊富でない若年者が大半を占めていることである。
718(1): 2014/07/16(水)23:13 ID:77LuBhL50(5/10) AAS
近年では学校教育においてもゆとり教育からなる教育体制の見直しがされたため、学校側は生徒を教育に縛り付けることはできず放任主義にならざる負えない場合も少なくない。
その規制緩和に甘えた生徒たちは安易に授業を怠け、鉄道趣味活動に時間を投資するケースも珍しくなくなってきている。
私もこの趣味を楽しんでいるとしばしば平日の昼間から線路端に立つ中高生らしき学生集団に出会うことも珍しくなくなってきていると感じていた。
かつてならば学校を抜け出して趣味活動をしていると地区の補導員や趣味を共有する周囲の大人達が人生の先輩として彼らを注意し、更生させる手解きをしていた。
そのことで社会的にも長幼の序が保たれ、鉄道趣味は社会秩序に則ったごく普通の趣味であった。
しかし、教育現場の在り方が変わったことを皮切りに社会常識を知らない大量の若年者が鉄道趣味に参入したことで、鉄道趣味を長年経験してきたベテラン世代だけでは手に終えず、
彼らを更生するにあたり指揮が取れない事態に再び陥っていると言える。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com
そして、この流れはかつてのSLブーム時代同様に年配者が参入者に秩序を伝承できないという流れに等しいばかりか、社会常識を知らない参入者が増え続ける一途であるため、
鉄道趣味の秩序はSLブーム時代を凌ぐ最悪の結果が待ち構えていることが想定できる。会社側が主催するイベントにおける現場の警備は開催する各鉄道会社だけでは応対できず警察機関の梃入れも通例となってきている。
719(2): 2014/07/16(水)23:14 ID:77LuBhL50(6/10) AAS
各方面で個人が経営しているブログやツイッターといった情報発信基地では警察が撮影場所に介入することに意義を唱える風潮が強いが、
警察が介入せざる負えないほど鉄道愛好家の秩序が低下していることを直視することが先決ではないだろうかと私は考える。
世間では各教育現場での学力低下が懸念されている所だが、学力以前に人間として必要な常識力に欠けた集団が取分けて目立っていることは拭えない事実。
それでは、鉄道愛好家の多くはなぜ常識力が備わらないまま社会進出を果たしてしまっているかが論点の鍵となることだろう。本項では鉄道愛好家の中でも極めて愚行が注目されている『撮り鉄』に照準を合わせながら論述していくこととする。
線路上を走ってくる鉄道車両を使い慣れたカメラに収め、出来上がった写真を見ながら自己陶酔に浸る。これは撮り鉄最大の至福の時だ。
同じ構図、同じ場所でも自分が満足するまで足繁くその場所に通い詰め、結果を残すことができた作品は満足という言葉だけでは表現することが勿体無い程最高の感触を味わうことができるだろう。
それこそが撮影者が皆共通して追求する実感であり、ひとつの到達点と言えるのかもしれない。
しかし、それらはどれ程撮影者の中で理解できた実感だとしても一般社会では通用することの無い実感で、その結果、趣味の楽しささえも一般人に理解してもらうことは難しいとも言える。
なぜならば、その写真1枚に辿り着くまでどんな条件下で撮影したとしてもその行動を共にしなければ理解できない達成感である上、それ以前に1本の列車を撮影することを目的に巨額の資金を投資してまで現地に赴く心情は、
一般人に理解してもらうに至り相当な苦労が伴う。そればかりか、その行動自体が人間として理解しがたいため愛好家は変人奇人の対象とされてしまうことだろう。
720: 2014/07/16(水)23:14 ID:01xJs/VA0(6/8) AAS
>>714>>715>>717はぬえキチだろうw
721(1): 2014/07/16(水)23:15 ID:77LuBhL50(7/10) AAS
しかし、それだけでは鉄道愛好家そのものに対する風当たりは強くはならないはず。
なぜならば、鉄道愛好家を度外視してもカメラによる撮影を趣味にしている者は多く、例えば、このほど世界遺産に登録された富士山の雄姿を撮影するため同じアングルで何度も現地へ足を運ぶ者も多いからである。カ
メラを持って撮影に赴く。その行動はカメラを趣味とする者であれば誰もが共通する点であり、それらの撮影者が抱く心情と鉄道愛好家(撮り鉄)が抱く心情は同一のものといえるからだ。
しかし、現代社会の撮り鉄の多くは公私とも単独行動が目立ち、仲間と行動することを好まない傾向が強い。
無論、一定の撮影者同士の交友はあったと仮定しても互いに撮影する目的や撮影地や被写体が異なると別行動を取るケースが多いと言える。その行動は鉄道趣味活動を続けるとき以外でも散見される。
例えば学校生活。無論、全ての鉄道愛好家全員が同一の行動を取っているとは断言できないことを前置きさせてもらうが、撮り鉄の多くは学校の授業を終えると部活動に所属しない帰宅部であることが多く、
束縛から開放されると直ぐに趣味活動に甘んじる傾向がある。そればかりか、中論にも述べたとおり時には学校の授業や催し物も二の次にしながら趣味活動に時間を充てるため、クラスメイトとの交流が非常に希薄になりがちである。
その結果、集団を逸脱した学校生活を過ごすこととなり、当人を周囲の生徒は性格をはじめ内面を察することができないため、一定の集団から腫れ物に触れるような扱いをされ孤立してしまうことが多い。
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現実に私が通っていた高校にもこの兆候と同種の鉄道愛好家が数人存在し、彼らは部活の中でも文化系の鉄道研究部に所属していたが、
省1
722(4): 2014/07/16(水)23:15 ID:77LuBhL50(8/10) AAS
中には集団生活に慣れていないためか自分の意見が公の場で通用しないことに腹を立て暴力的手段を用いて解決の糸口を探すものや、
周囲と軋轢を生む者も多くおり、それら日常生活態度が複合的要因として重なり合った結果、鉄道愛好家そのものの質が地に落ちていたとも断言できる環境だった。
しかし、広い目で見れば学校生活で孤立していたとしてもその現状をさほど悲観視することはない。学校はあくまでも社会に進出する前の練習段階なわけで、最大の試練は学校を卒業し社会に進出したときだ。
社会に出れば一人間の大人としての対応ができると判断され、社会生活における敬語の使い方や有事の際に公序良俗に則った解決方法などを道徳的に考える力は備わっていると見做される。
通常の学校生活を過ごしてきた者にとってこれらは何らレベルの高い条件ではないのだが、学生のうちに集団性に慣れることができなかった鉄道愛好家は社会への進出が大きな試練として立ちはだかる。
会社に就職すれば学術だけでは解決しない事柄も多く、上司の無理難題な言いつけや会社の運営方針に刃向かうクライアントとの板ばさみなど会社生活において理不尽な点を挙げれば切が無い。
そうした日本社会の現場に学校生活で集団性や自立性を身に付けていない者は慣れないだけでなく毎日が息苦しく感じることだろう。
更に、物事を我慢するという精神力もなければせっかく入社した会社を離れる以外に選択肢はなく、堕落の道を歩むことになる。
現にニートでありながらも趣味活動を続ける鉄道愛好家も珍しくなく、鉄道愛好家への風当たりが強い最中、無職・ニートという条件が更にイメージダウンの拍車を掛けていると言える。
723(1): 2014/07/16(水)23:16 ID:77LuBhL50(9/10) AAS
厚生労働省の定義によるニートと断定された若者の数は2001〜2005年の約64万人を最高水準として年々減少傾向にあるようだ。
近年では労働環境の改善や行政が設ける就労施設の充実化が図られたことによるものとされるが、2010年の段階でも推計60万人のニートが存在し社会問題になっている。
広い目で世間を見るとニートという選択肢を得た若者にはそれ相応の経緯があるにしても、親の金を無駄に蕩尽し就労者が払う税金を無駄食いしているという事実が存在するため、世間の目は厳しい。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com
先日、あるニュース特報で29歳になるニートの男を取材していた。彼は学生生活で取り分け目立つこともなく成績は上中下の中クラス。
能力的にも人並みであったというが、中学生半ばに一度イジメからなる引き篭もりを経験し、自宅で勉強する傍ら趣味はプラモデル作りとアニメキャラクターのフィギュア集めの世界へと導かれていった。
この2つの趣味も鉄道と共通して自分ひとりで楽しみを味わう趣味である。一人で楽しめる趣味とは非常に好都合だ。自分の好きな時間に趣味活動を始め、自分の中で納得する。
すなわち、鉄道もアニメもプラモデルも趣味としては自己完結型であると言える。こうした趣味は自分だけで楽しみを見出せるという好都合性を持ち合わせる反面、没頭すると世間との関わりを謝絶してしまうと考えられる。
例題に取り上げた29歳の男性ニートがもし、趣味のジャンルを野球やサッカーといったスポーツなどに転化していれば年齢相応の充実した社会生活を送れたと私は考えられる。
724(1): 2014/07/16(水)23:17 ID:77LuBhL50(10/10) AAS
学生時代に他者との交流を盛んにし、視野を広げながら日々の生活の中で様々な経験を積まなければ社会に適合できずニートになってしまう。学校の勉強を怠け、平日でも骨休みをしたい。それは大いに結構。
だが、その時間を鉄道趣味だけに利用するようでは視野が狭い分、社会性がその段階で閉ざされてしまうことになる。私の考えに反論の意を唱えるのならばそれで結構だが、ひとつ言わせて貰う。
実際に線路端で写真を撮っていたことが後に訪れる社会生活の中で有効であった実績があるだろうか。
恋愛・交友・アルバイトなど有能かつ社会的な時間の費やし方によっては学校の学術では教えられない知識を身に付けることができる。いや、これらは社会に出るにあたり身に付けなければいけない知識の数々だ。
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「汽車ポッポの写真なんか撮って喜んでんじゃねーよ」
これは将来設計をせずに趣味に陶酔する学生撮り鉄へ鳴らされた警鐘なのかもしれない。
725: 2014/07/16(水)23:19 ID:01xJs/VA0(7/8) AAS
二次元板からの荒らしが無くなったら、今度はID:77LuBhL50かw
ID:77LuBhL50は二次元板のキチガイアスペぬえキチかも知れないな!
726: 2014/07/16(水)23:28 ID:01xJs/VA0(8/8) AAS
ID:77LuBhL50は自ら
自分はキチガイですとここで晒しているようなものww
727: 2014/07/17(木)00:03 ID:TeFGUmeW0(1/22) AAS
AA省
728: 2014/07/17(木)05:19 ID:TeFGUmeW0(2/22) AAS
私の長き道を共にしてきた旧友がある日突然こんなことを言い始めた。
「悪いけれど、俺、鉄辞めるわ。」
今でも彼は大阪に住処を構え、横浜に自分が越して再就職をしてからは疎遠な関係になっていたのでその決断に至った経緯は分からないが、はっきりと彼の口から聞いたのは鉄道という趣味に嫌気が差してきたということだった。
中学・高校と平凡な生活を生きてきた彼だったが、周囲からは自分の趣味を容認してくれる人=オタクという烙印を押されているという過剰意識に苦しめられ続けていたという。
今以上に当時はオタクというだけでマイナスイメージが強かった時代だけに、周囲の視線ばかりを気にするようになっていったという。
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就職して結婚。一児の父となった彼は鉄道という趣味から足を洗い、新妻と幸せな家庭を築いていきたいと話していた。
偏見とは非常にやっかいなもので、客観的かつ根拠なしに抱かれる個人的な先入観。これらは時として差別感情へと変化し、その対象者を苦しめてしまう。人種差別はそういった偏見から形成される代表格だ。
サハラ砂漠以南のアフリカに居住していた黒人をアラブ人らが奴隷として扱っていた。いわゆる黒人差別が存在していたことは黒人差別の例として教科書でもよく取り上げられる。
日本でも16世紀に始めてヨーロッパ人と接触した際、当事の日本人らにとって外国人は非常に稀有な存在だったことのあり奇抜な目で見ることが通例であった。紅毛で蒼い瞳が際立つ彼らを示す“碧眼紅毛”という言葉がその当時生まれた。
省2
729: 2014/07/17(木)05:20 ID:TeFGUmeW0(3/22) AAS
現在でも人種差別は完全に払拭されているかと言うとそうではない。例えば中国人に対する差別は今でも完全に消滅したとは言いがたい。
ニュースで中国人犯罪者の名前が挙がる度にネット上の掲示板はたちまち差別用語からなる誹謗中傷で埋め尽くされる。
現代の日本人が中国人に対して敵意を示す理由としては両国の文化や価値観の違いがまず挙げられるのではないだろうか。
ある物事に対し行列をなして並ぶことが日本人の人道的マナーとなっているにも関らず中国人はそのマナーを無視して割り込む。
また、すれ違うときに肩がぶつかっても日本人は非を認め謝罪することが社会を生き抜く大人の対応とされるのに対し、中国人は自分の非を認めようとしない。
こうした言動は日本の文化にそぐわないためにいつからか日本人は中国人を差別視するようになった。
730: 2014/07/17(木)05:20 ID:TeFGUmeW0(4/22) AAS
中国では90年代まで配給制度が存在した。基本は平等で配布される配給物だが、数億人の人口を抱える国だけあって全ての国民に平等に行き渡らせることは難しい。
貧富の格差が激しいだけに貧困層にとっては食糧配給が行き渡らないということはシ活問題であった。そのため、相手を押し退けてまで列に割り込み物を請うという不道徳さがここから生まれたのである。
また、謝罪についても中国独自の異端さが滲み出ている。中国では昔から謝罪することは終始一貫して自分の非を認めたものとされ、それが冤罪であったとしても場合によっては謝罪行為一つで法の裁きを受けることもあり得る。
こうした歪曲した法治国家で生まれ育った人間は当然ながら自分の非をあっさりと認めてしまうことで人生を損するという考えが根強く植えつけられていることになる。
すれ違うときに肩がぶつかっても謝罪しないという中国人独自のスタンスは社会主義国が生んだ一種の自己保身と考えていいだろう。
しかし、中国の社会制度がどうであっても日本の土を踏んだ以上は日本のルールに則るものという考えが日本人の常識観念。
そうした観念を持つ日本人にとって例え自己保身の一途だとしてもこのような態度をとる中国人は傲慢かつ居丈高で関り合いを持ちたくない人種であるという意識を植え付けてしまっているのである。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com
731: 2014/07/17(木)05:21 ID:TeFGUmeW0(5/22) AAS
これと同等のケースは鉄ヲタに対しても当てはめることができる。鉄ヲタも社会的には一種の特異人種だ。例えば、鉄道撮影が趣味と言っても鉄道に興味の無い人間からすれば鉄道の写真を撮ることで何が面白いのか疑問に思うことも少なくない。
それもそのはずで、他人が撮影したものと同じ構図・同じ被写体の写真を機械的に量産してもオリジナリティが全くない上に、そのオリジナリティに欠ける1枚を撮影するために破格の額を投資するのが鉄ヲタの特性だから理解に苦しむのも無理はない。
こうした特異な性質を持つ人間までならばまだ良いが、撮影活動を続けるにあたり鉄道沿線の土地を勝手に「撮影地」と銘打つことでその場所が他人の敷地を介しているという意識も持たなくなってしまっている。
今、ある鉄道系の画像投稿掲示板上で現場に先着していた顔見知りの撮影者から苦言を申し立てられたということが話題に上がっているようだが、私としての見解を述べると確かに周囲の撮影者に気を配れなかった当事者にも責任はあるかもしれない。
だが、その場所の地権者でもない余所者の撮影者が『撮影の邪魔だから退いてくれ』と豪語することはできないのではないかと考えるのである。
近年ではインターネット上や書籍などで意図も簡単に列車が綺麗に撮影できる場所へのアクセスを紹介しているが、そうした数々の撮影地は決して鉄ヲタだけの場所ではないということをもっと全面的に押し出す必要があると思う。
全国各地で地権者とその場所を訪れる鉄ヲタとの間にトラブルが発生するのは、
インターネットや書籍でその場所を「撮影地」と銘打っているばかりにお山の大将気取りで勘違いしながら訪れる鉄ヲタが後を絶たないことに最大の原因があると私は考えている。
732: 2014/07/17(木)05:22 ID:TeFGUmeW0(6/22) AAS
鉄ヲタ内の常識を学習する以前に社会の一般常識を学習するという観念を持たないと鉄ヲタも例に挙げた中国人同様に日本の文化にそぐわない存在として差別の対象となっていくのである。
筆頭に少しだけ私の旧友の話を述べさせてもらったが、彼もこうした鉄ヲタのマナーの悪化からなる周囲からの非好意的な視線に苦しんでいたのではないかと私は推測する。
一鉄ヲタであるがために自分は至ってマナーを守って撮影していたとしても周囲からの評価は常に低く、非人道的な行動を我が物顔で取る鉄ヲタと同類項で見られてしまうのだから趣味活動を続けて馬鹿らしく感じられてしまうのも頷けるのである。
鉄道趣味が低級な趣味になった背景には趣味者のマナーの悪化が第一という考えが妥当だが、その他にも時代が変わり新規参入が容易になったという遠因もあると私は考えている。
かつて、鉄道趣味に身を投じる者の特徴としては上流階級の人間が多かった。旅行を楽しむにしても莫大な資金が必要である上、撮影活動ともなれば撮影機材は今以上に庶民の手の届かない高級品が大多数だった。
このことから、その当時は鉄道趣味(特に模型趣味)は趣味の王様として親しまれていた。
733: 2014/07/17(木)05:22 ID:TeFGUmeW0(7/22) AAS
しかし、近年では安価で誰でも操作できるコンパクトデジカメやカメラ機能付き携帯電話の普及に伴って子供から大人まで誰もが撮影活動を楽しめる時代になってきた。
それだけ趣味活動を行う人間が増加するということは当然、趣味者と他者はもちろんだが趣味者同士の間でも摩擦が起き始める。その一つがこの掲示板でも話題に上がるこうした撮影地におけるトラブルであったりするわけだ。
マナー改善を謳うという表面的な対応以前に、こうした趣味者の数が鰻上りと言うまでに膨れ上がったという現状を直視する必要があるのではないだろうか。
また、新規参入が容易であるということは比例して社会の常識や趣味界の常識を知らない不届き者も流れ込んでくることになる。数年前までは鉄道趣味でも熟練し後世代を指導する立場に値する『長老』と呼ばれる人たちがいた。
彼らはまず初めにこの種の楽しみを味わうにあたりどうするべきであるかを参入者に指導し、徹底させた上で楽さを教えていたのである。すなわち、趣味界でも上下関係が形成されていたことだ。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com
しかし、増加の一途を辿る新規参入者全てに指導を徹底することは難しくなっていき、やがては鉄道趣味全般が無法地帯になる。これが現在の鉄道趣味の有様である。
住人が立ち去った家が荒れていくのと同様で、趣味界も仕切る人間がいなくなると忽ちやりたい放題の迷惑者が憚り出していくのである。
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