[過去ログ] 【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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223: 2016/11/05(土)09:32 ID:7V/mSUfP(137/147) AAS
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月1日 - 日本国有鉄道名寄本線の一区中通仮乗降場(いっくなかどおりかりじょうこうじょう、局設定)として開業。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。同時に改称。共進駅となる。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[2]。
無人駅となっており、駅舎はないがホーム中央部分に待合所を有していた[2]。
駅名の由来[編集]
当地の住民が手に手を取って共に進もう、という意味を込め付けられた[3]。また原田勝正は、開拓に当たった人々の意気込みを付けたものであろうと評している[2]。
省9
224: 2016/11/05(土)09:33 ID:7V/mSUfP(138/147) AAS
開盛駅
開盛駅
かいせい - Kaisei
◄共進 (3.9km)(1.8km) 北遠軽►
所在地 北海道紋別郡上湧別町開盛
北緯44度5分51.5秒
東経143度31分59.3秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 133.6km(名寄起点)
省19
225: 2016/11/05(土)09:34 ID:7V/mSUfP(139/147) AAS
歴史[編集]
1915年(大正4年)11月1日 - 鉄道院湧別軽便線遠軽駅 - 当駅間延伸開通に伴い社名淵駅(さなふちえき)として開業。一般駅。
1916年(大正6年)
11月7日 - 1067mmに改軌。
11月21日 - 当駅 - 下湧別駅(後の湧別駅)間延伸開通(湧別軽便線全通)に伴い中間駅となる。
1922年(大正11年)9月2日 - 線路名を湧別線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 遠軽駅 - 下湧別駅間を湧別線から削除し名寄本線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1934年(昭和9年)2月5日 - 開盛駅と改称。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1961年(昭和36年)7月25日 - 貨物取扱い廃止。
省4
226: 2016/11/05(土)09:34 ID:7V/mSUfP(140/147) AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
国鉄時代末期に完全無人化されるまでは、単式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[1]。単式1面1線を千鳥式に配置し、駅舎側から下り2番線ホーム・線路・上り1番線ホーム・線路の順の配線となっていた[1]。
互いのホームは駅舎側ホーム南側と外側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。そのほか1番線の名寄方から分岐し遠軽方へ戻る形の行き止りの側線を1線有していた[1]。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[1]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた[1]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、駅附近の湧別川に架橋された「開盛橋」の名に由来するとされている[2]。また原田勝正は、開拓に当たった人々の意気込みを地名に付けたものであろうと評している[1]。
旧駅名の社名淵(さなふち)は、アイヌ語の「サン・ナイ・プッ」(下る川の口)に由来する[2]。
227: 2016/11/05(土)09:35 ID:7V/mSUfP(141/147) AAS
駅周辺[編集]
国道242号(置戸国道)[3]
湧別川[3]
北海道北見バス・北紋バス「開盛市街」停留所
駅跡地[編集]
駅構内は遠軽方が開盛市街地再整備で宅地や町道となり、紋別方は空き地となって防雪林が残されている。
2009年の開盛地区開基100年を前に2006年11月、開盛自治会が黒御影石製の「名寄本線開盛駅跡之碑」を建立した[4]。
遠軽方には長らく国道242号の開盛跨線橋が残り、路盤跡を転用した市街地内の町道と立体交差していたが、
北海道開発局が2012年5月から10月にかけて国道の開盛跨線橋切り下げ工事を実施したため消滅した[5]。
228: 2016/11/05(土)09:35 ID:7V/mSUfP(142/147) AAS
北遠軽駅
北遠軽駅
きたえんがる - Kita-Engaru
◄開盛 (1.8km)(2.7km) 遠軽►
所在地 北海道紋別郡遠軽町字学田
北緯44度5分1.1秒
東経143度31分34.6秒座標: 北緯44度5分1.1秒 東経143度31分34.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 135.4km(名寄起点)
省20
229: 2016/11/05(土)09:36 ID:7V/mSUfP(143/147) AAS
歴史[編集]
時期不明(1956年11月19日以前)- 日本国有鉄道名寄本線の学田仮乗降場(局設定)として開業。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。同時に改称。北遠軽駅となる。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[2]。
無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に高床式の待合所を有していた[2]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地(遠軽町)の北方に位置していたために[3]、「北」を冠する。
省3
230: 2016/11/05(土)09:36 ID:7V/mSUfP(144/147) AAS
駅周辺[編集]
国道242号(置戸国道)[5]
湧別川[5]
社名渕川[5]
北海道北見バス・北紋バス「学田3丁目」停留所
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点では何も残っていない[6]。2011年(平成23年)時点でも同様で、雑草が生える更地となっていた[7]。
駅跡の遠軽方には線路跡の築堤と防雪林が残存していた[7]。
231: 2016/11/05(土)09:38 ID:7V/mSUfP(145/147) AAS
遠軽は石北本線にて
>>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116
232: 2016/11/05(土)09:43 ID:7V/mSUfP(146/147) AAS
名寄本線完了
次は深名線の名寄の次の駅から
目的
このスレは、類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています
233: 2016/11/05(土)09:48 ID:7V/mSUfP(147/147) AAS
ペド兄弟スレは1スレ以外矯正されている
それでも新たに増やすなら、すべてを矯正してまともなスレに変えるだけ
これはあらしではなく矯正作業そのもの
234: 2016/11/05(土)15:43 ID:2uc1MgCr(87/90) AAS
◆JR北海道が大赤字でも潰れない理由は国民の税金だった事が判明し批判殺到www
外部リンク:nenene-news.com
「JR北海道」はつぶれないーそのカラクリはこれ。
「JR北海道」の赤字は、この会社が運営する「経営安定化基金」の運用益によって賄っているのです。
「経営安定化基金」の7000億円程の資金で国の下部組織の、ある独立法人へ貸し付けて4.1%の高利回りで約年間300億円の運用益を得ているおかげなんです。
そして、その独立法人は国の特別会計でその利回り支払いを清算しているのです。
つまり「JR北海道」は私企業のフリをした、未だ「国鉄」なのです。
腹立たしい事ですが、私たちはこのおかしな私企業のために毎年多額の税金を流用されているのです。
235: 2016/11/05(土)15:49 ID:2uc1MgCr(88/90) AAS
同じ日のできごと
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
九州と北海道…どうして差がついたのか…甘え、独立心の有無…
236: 2016/11/05(土)15:50 ID:v+Hv7VJD(1/33) AAS
西名寄駅
西名寄駅
にしなよろ - Nishi-Nayoro
◄天塩弥生 (3.2km)(4.0km) 名寄►
所在地 北海道名寄市曙
北緯44度20分25.5秒
東経142度25分29.5秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 深名線
キロ程 117.8km(深川起点)
省11
237(1): 2016/11/05(土)15:51 ID:v+Hv7VJD(2/33) AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
省8
238: 2016/11/05(土)15:51 ID:v+Hv7VJD(3/33) AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[1]。
かつては列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。そのほか本線から構内南側に分岐する貨物側線を3線有していた[1]。
この貨物側線は木材運搬に使用され、1983年(昭和58年)4月時点では、分岐器が深川方、名寄方の両方向とも維持されていた形で2線が残存していたが[2]、1993年(平成5年)までに撤去された[1]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の北側に位置しホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[1]。
駅舎は無人化後縮小され、待合室部分のみの間口の狭い建物となっていた(1983年(昭和58年)時点ではこの形状[2])。
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在する地(名寄市)の「西」に位置することから付けられた。
239: 2016/11/05(土)15:52 ID:v+Hv7VJD(4/33) AAS
駅周辺[編集]
民家は少なく、周囲は休耕田が目立っていた[2]。
北海道道798号西風連名寄線
天塩川[3]
ジェイ・アール北海道バス深名線「稲川商店前」停留所
駅跡[編集]
西名寄駅跡周辺 (2011年8月8日)
2000年(平成12年)時点では既に整地され[4]、2011年(平成23年)時点では「上川ライスターミナル」の物流センター倉庫が建築されており、倉庫の前に停車場接近標識が立っていた[5]。
また、駅名標のレプリカが、天塩弥生駅の駅名板と共に名寄市の「名寄市北国博物館」に、キマロキ編成とともに保存されている。
240: 2016/11/05(土)15:52 ID:v+Hv7VJD(5/33) AAS
天塩弥生駅
天塩弥生駅
てしおやよい - Teshio-Yayoi
◄北母子里 (15.6km)(3.2km) 西名寄►
所在地 北海道名寄市弥生
北緯44度20分5秒
東経142度23分9秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 深名線
キロ程 114.6km(深川起点)
省20
241: 2016/11/05(土)15:53 ID:v+Hv7VJD(6/33) AAS
歴史[編集]
1937年(昭和12年)11月10日 - 鉄道省名雨線名寄駅 - 当駅間開通に伴い初茶志内駅(はっちゃしないえき)として開業。一般駅。
1941年(昭和16年)10月10日 - 当駅 - 朱鞠内駅間が延伸開業し全通。路線名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1951年(昭和26年)7月20日 - 天塩弥生駅に改称。
1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
1982年(昭和57年)3月29日 - 無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の廃線に伴い廃止となる。
242: 2016/11/05(土)15:53 ID:2uc1MgCr(89/90) AAS
下関駅 乗車人員 10,541人/日(降車客含まず)
新山口駅 乗車人員 7,544人/日
小倉駅 (JR九州)35,301人/日 (JR西日本)10,618人/日
高松駅 12,117人/日
敦賀駅 3,386人/日
盛岡駅 18,205人/日
青森駅 5,677人/日
函館駅 3,077人/日wwwwwwwww (←目を疑いましたがホントでしたwww)
※番外編
室蘭駅 616人/日wwwwwwwwwwww
省3
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