◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
1-

227: 2011/02/27(日)20:04 ID:Kgf6Y2Ae(5/6) AAS
(中略)
最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の責任は
直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。
省1
228: 2011/02/27(日)20:05 ID:Kgf6Y2Ae(6/6) AAS
なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断
(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、
かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとは
さういふ意味である。

三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より
229: 2011/02/28(月)12:06 ID:xcpqc+mn(1/4) AAS
私は決して平和主義を偽善だとは言はないが、日本の平和憲法が左右双方からの政治的口実に使はれた結果、
日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になつた国はないと信じてゐる。この国でもつとも危険のない、人に
尊敬される生き方は、やや左翼で、平和主義者で、暴力否定論者であることであつた。それ自体としては、別に
非難すべきことではない。しかしかうして知識人のConformity が極まるにつれ、私は知識人とは、あらゆる
Conformity に疑問を抱いて、むしろ危険な生き方をするべき者ではないかと考へた。一方、知識人たち、
サロン・ソシアリストたちの社会的影響力は、ばかばかしい形にひろがつた。母親たちは子供に兵器の玩具を
与へるなと叫び、小学校では、列を作つて番号をかけるのは軍国主義的だといふので、子供たちはぶらぶらと
国会議員のやうに集合するのだつた。

三島由紀夫「『楯の会』のこと」より
230: 2011/02/28(月)12:06 ID:xcpqc+mn(2/4) AAS
それならお前は知識人として、言論による運動をすればよいではないか、と或る人は言ふのであらう。しかし
私は文士として、日本ではあらゆる言葉が軽くなり、プラスチックの大理石のやうに半透明の贋物になり、
一つの概念を隠すために用いられ、どこへでも逃げ隠れのできるアリバイとして使はれるやうになつたのを、
いやといふほど見てきた。あらゆる言葉には偽善がしみ入つてゐた、ピックルスに酢がしみ込むやうに。
文士として私の信ずる言葉は、文学作品の中の、完全無欠な仮構の中の言葉だけであり、前に述べたやうに、
私は文学といふものが、戦ひや責任と一切無縁な世界だと信ずる者だ。これは日本文学のうち、優雅の伝統を
特に私が愛するからであらう。行動のための言葉がすべて汚れてしまつたとすれば、もう一つの日本の伝統、
尚武とサムライの伝統を復活するには、言葉なしで、無言で、あらゆる誤解を甘受して行動しなければならぬ。
Self-justification は卑しい、といふサムラヒ的な考へが、私の中にはもともとひそんでゐた。

三島由紀夫「『楯の会』のこと」より
231: 2011/02/28(月)12:06 ID:xcpqc+mn(3/4) AAS
私は或る内面的な力に押されて、剣道をはじめた。もう十三年もつづけてゐる。竹の刀を使ふこの武士の模擬行動から、
言葉を介さずに、私は古い武士の魂のよみがへりを感じた。
経済的繁栄と共に、日本人の大半は商人になり、武士は衰へ死んでゐた。自分の信念を守るために命を賭けるといふ
考へは、Old-fashioned になつてゐた。思想は身の安全を保証してくれるお守りのやうなものになつてゐた。(中略)
今の学生の叛乱は、ソクラテスらのソフィストが若者をアゴラに閉ぢこめたため、アゴラ自体が叛乱を起した、
といふ感じがする。しかし私は、若者はギュムナシオーンとアゴラを半ばづつ往復しなければならぬと信ずる者であり、
学生ばかりでなく、あらゆる知識人がさうすべきだ、と考へる者だ。言論を以て言論を守るとは、方法上の矛盾であり、
思想を守るのは自らの肉体と武技を以てすべきだ、と考へる者だ。

三島由紀夫「『楯の会』のこと」より
232: 2011/02/28(月)12:07 ID:xcpqc+mn(4/4) AAS
かうして私は自然に、軍事学上の「間接侵略」といふ観念に到達したのである。間接侵略とは、表面的には
外国勢力に操られた国内のイデオロギー戦のことだが、本質的には、(少なくとも日本にとっては)日本といふ国の
Identify を犯さうとする者と、守らうとする者の戦ひだと解せられる。しかもそれは複雑微妙な様相を持ち、
時にはナショナリズムの仮面をかぶつた人民戦争を惹き起し、正規軍に対する不正規軍の戦ひになる。
ところで日本では、十九世紀の近代化以来、不正規軍といふ考へが完全に消失し、正規軍思想が軍の主流を占め、
この伝統は戦後の自衛隊にまで及んでゐる。日本人は十九世紀以来、民兵の構想を持つたことがなく、あの
第二次世界大戦に於てすら、国民義勇兵法案が議会を通過したのは降伏わづか二ヶ月前であつた。日本人は
不正規軍といふ二十世紀の新しい戦争形態に対して、ほとんど正規戦の戦術しか持たなかつた。

三島由紀夫「『楯の会』のこと」より
233: 2011/03/01(火)14:33 ID:Y43x0kVY(1/5) AAS
私はごく最近、「諸君!」七月号で、貴兄と高坂正尭氏の対談「自民党ははたして政党なのか」を読みました。
そして、はたと、これは士道にもとるのではないかといふ印象が私を搏ちました。私は何も自民党の一員では
ありませんし、この政党には根本的疑問を抱いてゐます。しかし社会党だらうと、民社党だらうと、士道といふ
点では同じだといふのが私の考へです。
実はこの対談の内容、殊に貴兄の政治的意見については、自民党のあいまいな欺瞞的性格、フランス人の記者が
いみじくも言つたやうに「単独政権ではなくそれ自体が連立政権」に他ならない性格、又、核防条約に対する態度、
等、ほとんど同感の意を表せざるをえないことばかりです。
貴兄に言はせれば、三島が士道だなどと何を言ふか、士道がないからこそ多数を擁して存立してゐる自民党なのだ、
といふことになるかもしれません。しかし、「ウエスト・サイド・ストーリイ」の不良少年の歌ではないが、
すべてを社会の罪とし、自分らの非行をも社会学的病気だと定義するとき、個人の責任と決断は無限に融解してしまふ。
省1
234: 2011/03/01(火)14:33 ID:Y43x0kVY(2/5) AAS
現代社会自体が、自民党のこの無性格と照応してゐることは、そこにこそ自民党の存立の条件があるといへるで
せうし、坂本二郎氏などはそんな意見のやうです。
しかし、貴兄が自民党に入られたのは、そのやうな性格を破砕するためだつた筈です。私はこの対談を二度読み
返してみて、貴兄がさういふ反党的(!)言辞を弄されること自体が、中共使節の古井氏のおどろくべき反党的
言辞までも、事もなげに併呑する自民党的体質のお蔭を蒙つてゐる、といふ喜劇的事実に気づかざるをえませんでした。
貴兄が自民党の参院議員でありながら、ここまで自民党をボロクソに仰言る、ああ石原も偉いものだ、一方それを
笑つて眺めてゐる佐藤総理も偉いものだ。いやはや。これこそ正に、貴兄が攻撃される自民党の、「政党といふ
ものの本体は、欺瞞でしかないといふことを、政党としての出発点から自分にいひ聞かせてゐるやうなところ」
そのものではありませんか。

三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
235: 2011/03/01(火)14:34 ID:Y43x0kVY(3/5) AAS
私の言ひたいのは、内部批判といふことをする精神の姿勢の問題なのです。この点では磯田光一氏のいふやうに、
少々スターリニスト的側面を持つ私は、小うるさいことを言ひます。党派に属するといふことは、(それが
どんなに堕落した党派であらうと)、わが身に一つのケヂメをつけ、自分の自由の一部をはつきり放棄することだと
私は考へます。
なるほど言論は自由です。行動に移されない言論なら、無差別に容認され、しかも大衆社会化のおかげで、
赤も黒も等しなみにかきまぜられ、結局、あらゆる言論は、無害無効無益なものとなつてゐるのが現況です。
ジャーナリズムの舞台で颯爽たる発言をして、一夕の興を添へることは、何も政治家にならなくても、われわれで
十分できることです。もちろん貴兄が政治の実際面になかなか携はれぬ欲求不満から、言論の世界で憂さ晴らしを
されてゐるといふ心情もわからぬではありません。

三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
236: 2011/03/01(火)14:34 ID:Y43x0kVY(4/5) AAS
では、何のために貴兄は政界へ入られたか? 貴兄を都知事候補にすることに、ほとんどの自民党議員が反対し、
年功序列が狂ふのを心配してゐる、と貴兄は言はれるが、もともと文壇のやうな陰湿な女性的世界をぬけ出して、
権力争奪と憎悪と復讐が露骨に横行する政界に足を踏み入れた貴兄にとつては、そんなことは覚悟の前であつた
筈です。
私は貴兄のみでなく、世間全般に漂ふ風潮、内部批判といふことをあたかも手柄のやうにのびやかにやる風潮に
怒つてゐるのです。貴兄の言葉にも苦渋がなさすぎます。男子の言としては軽すぎます。
昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙つて耐へました。何ものかに属する、とはさういふ
ことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしか
ありません。
私は政治のダイナミズムとは、政治的権威と道徳的権威の闘争だと考へる者です。これは力と道理の闘争だと
省2
237: 2011/03/01(火)14:34 ID:Y43x0kVY(5/5) AAS
この二つはめつたに一致することがないから相争ふのだし、争つた結果は後者の敗北に決つてゐますが、歴史が
永い歳月をかけてその勝敗を逆転させるのだ、と信ずる者です。もちろん楽天的な貴兄の理想は、この力と道理を
自らの手で一致させるところにあるのでせうし、悲観的な小生の行蔵は、道理の開顕にしかありません。しかし
今のところ貴兄の言説には、悲しいかな、その政治的権威も道徳的権威も、二つながら欠けてゐます。貴兄に
言はせれば、すべては自民党が悪いのでせうが、どうもこの欠如は、貴兄のケヂメを軽んずる姿勢に由来する
やうに思へてなりません。W・H・オーデンは、「第二の世界」の中で、「文学者が真実を言うために一身を
危険にさらしているという事実が、彼に道徳的権威を与える」と言つてゐますが、これは政治家でも同じことです。
「士道すでにみちたる上は、節によるこそよけれ」と、斎藤正謙が「士道要論」で言つてゐる「士節」とは、
この道徳的権威の裏附をなすものでもありませう。

三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
238: 2011/03/02(水)20:47 ID:qQrqg518(1/5) AAS
Q――五社英雄監督の印象は?

三島:ぼくは、非常にこの人物が好きになつた。会つたのは初めてですけど、いい人です。映画監督特有の、
もつて回つたやうな芸術家気取りがない。そして好きなものは好き、きらひなものはきらひとして、なんら
映画界の権威を認めてゐない。自分の好きにとつちやふんだ。映画界からみれば、こんなに腹の立つ男はゐないと思ふ。

Q――映画に出演するといふこと、三島さんがおつしやつてる「行動」とか、「肉体」とかを結びつけると……

三島:世間では、みんな結びつけたがるから、何もかも結びつけちやふんだけど、ぼくは人間を、さういふふうに
一元的に統一しようといふのは、現代の悪い傾向だと思ふ。なるべく、ワクからはづれることが、人間にとつて
大事だといふ考へをもつてゐる。

三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より
239: 2011/03/02(水)20:48 ID:qQrqg518(2/5) AAS
たとへば、いちばん崇高でもあり、つぎの瞬間にいちばん下劣でもあるのが人間なんですよ。ぼくは、さういふ
人間を考へる。崇高なだけであつてもウソに決まつてゐる。また下劣なのが人間の本当の姿だ、といふ考へ方も
大きらひなんですよ。それは自然主義的な考へ方で、十九世紀に、ごく一部にできた迷信ですよ。人間は崇高であると
同時に下劣。だから、ぼくのことを下劣だと思ふ人があれば、それでもかまはない。ぼくの中にだつて、
「一寸の虫にも五分の魂」で、崇高なものもある。それを、ぼくは自分でぼくだと思ふ。
むりやりに結びつけて、論理的に統一しようつたつて、できるものではない。ただ思想的には節操は大切だと
思ひますけど、それと人間の行動の一つ一つ。つまり節操の正しい人は、どんなクソの仕方をするのか。いつも
まつすぐなクソがでてくるかといふと、そんなものぢやない。節操の正しい人でも、トグロを巻いちやふ。
節操の曲がつた人でも、まつすぐなクソが出るかもしれない。そんなこと関係ないですよ。

三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より
240: 2011/03/02(水)20:48 ID:qQrqg518(3/5) AAS
Q――かなり全共闘に共鳴するところがあつたんぢやないですか。

三島:それは共鳴するところもあるし、反発するところもある。自民党の人間と会つたつて、それは同じことだ。

Q――全共闘の立ち場を幕末でいふと……。

三島:幕末にはないよ。幕末は一人でやれなければいけない。みんなからだを張つてゐますね。一人でやれると
いふことは、サムラヒの根本条件ですよ。一人でやれるやつは、全共闘に一人もゐないぢやないですか。みんな
集団の力を組まなければ、何もできない。一人で連れてきて胸ぐらをつかんだら、みんなペコペコするだけですよ。
そんなのサムラヒぢやない。したがつて、明治維新に類型を求めることはできませんね。

Q――サムラヒといふことについて、もう少し詳しく説明をしてください。
省4
241: 2011/03/02(水)20:49 ID:qQrqg518(4/5) AAS
Q――文学者としての三島さんが、時務の文章を書くのは……。

三島:つまり文学といふものは、死んだものぢやない。生きて動いてゐるものだ。お茶器みたいに、きれいなものを
作つて、戸だなにしまつておくものぢやない。動いてゐるものだ。一方で、美しい文学を書くためには、喜んで
ドロ沼の中へ手を突つ込まなければダメだと思ふ。手を汚さないことばかり考へたんぢや、文学はダメになつちやふ。
たまたま病気でサナトリウムにはひつてゐる、といふなら、それはいいよ。運命だからね。

Q――その人にとつては、それがドロ沼の中に手をつつ込んだことになるわけですね。

三島:その人にとつてはさうだ。病気といふものはさうだらう。宿命だから……。だけど、からだが丈夫で、
生きて動いてゐる人間が、ドロ沼のそばを着物が汚れるからと、よけて通るのは作家ぢやない。ぼくはさう思ふ。
ドロ沼にはひつて、おぼれるかもしれないけれど、おぼれる危険を冒して、生きてゐなきや小説は書けない。
ドロ沼にはひつたとき、どういふふうに表現するか。人間だから考へますね。
省1
242: 2011/03/02(水)20:49 ID:qQrqg518(5/5) AAS
それは、濾過されて文学になる部分もあり、いくら濾過しても文学にならん部分もある。ドロ水を飲料水にするための
濾過装置があるでせう。濾過装置の中で、残つたドロと飲料水になる水とあるけど、残つたドロがいらないもので、
捨てちやつていいものかといふと、ぼくはさうぢやない。それが現実なんだ。現実を避けることはできないね。
現実を避けて自分が象牙の塔に閉ぢこもるときには、象牙の塔の純粋性が保たれなければ死んでしまふ。
ぼくは、文学を象牙の塔だと考へてゐる。水晶のお城だと考へてゐる。それを大事にしておくためには、作家が
ドロ沼へはひらなければ、といふパラドックスがある。ぼくはさうだと思ふ。

三島由紀夫「ぼくは文学を水晶のお城だと考へる」より
243: 2011/03/03(木)11:28 ID:HAF933Dl(1/6) AAS
乃木大将の死とともに終つた陽明学的知的環境は、大正教養主義と大正ヒューマニズムの敵に他ならなかつた。
過去の敵であるばかりではなく、未来の敵にもなつた。といふのは、大正知識人が徐々に指導者となる時代、
昭和初年にいたつて、このやうに否定され忌避され抑圧された陽明学的潮流は、地下に潜流して、過激な右翼思潮の
温床となつたために、ますます大正知識人に嫌はれる対象となり、被害者意識から大正知識人が、後輩へあへて
伝へまいとした有害な「黒い秘教」になつたのである。
一方マルクシズムは、知識層の革命的関心の、ほとんど九十パーセントを奪ひ去つた。北一輝のやうな日本的
革命思想の追究者は、孤立した星であつた。マルクシズムが陽明学にとつて代り、大正教養主義・ヒューマニズムが
朱子学にとつて代つたといふこともできるであらう。朱子学の、なかんづく、荻生徂徠のやうな外来思想の心酔者は、
大正知識人にとつてもむしろ親しみやすかつた。しかし国学と陽明学はやりきれぬ代物だつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
244: 2011/03/03(木)11:29 ID:HAF933Dl(2/6) AAS
国学は右翼学者の、陽明学は一部の軍人や右翼政治家の専用品になつた。インテリは触れるべからざるものに
なつたのである。
今日でも、インテリが触れてはならぬと自戒してゐるいくつかの思想的タブーがあり、武士道では「葉隠」、
国学では平田(篤胤)神学、その後の正統右翼思想、したがつて天皇崇拝等々は、それに触れたが最後、
インテリ社会から村八分にされる危険があるものとされてゐる。さういふものを何か「いまはしい」ものと
考へるインテリの感覚の底には、明治の開明主義が影を落としてゐる。西欧的合理主義の移入者であり代弁者で
あるところに、自己のプライドの根拠を置いてきた明治初期の留学生の気質は、今なほ日本知識層の気質の底に
ひそんでゐる。決して西欧化に馴染まぬものは、未開なもの、アジア的なもの、蒙昧なもの、いまはしいもの、
醜いもの、卑しむべきもの、外人に見せたくないもの、として押入の奥へ片付けておく。陽明学もその一つで
あつたのである。
省1
245: 2011/03/03(木)11:29 ID:HAF933Dl(3/6) AAS
現代日本知識人は、かくて無意識のうちに朱子学的伝統を引いてゐる。すなはち、西欧化近代化の文明開化主義の
明治政府と、その劇画化としての第二次大戦後の政府との、基本方針を逸脱せぬところで、同じ次元で、これを
批判し、あるひは「教育」する立場に矜りを見つける。マルクシストさへ、近代化の方策の差といふのみで、
近代主義者には変りがないから、近代主義の先駆としての立場から、「保守的」政府を批判し、それ以上には
出ないのである。大内兵衛氏が、自民党内閣と社会党と双方に関係するのは、双方が近代主義の異腹の児で
あるといふ点で、矛盾はない。
現代日本知識人の身を置く立場や思想は、マルクシズムの神話の崩壊につれ、ますます朱子学の各分派といふ様相を
呈するであらう。私見によれば陽明学は、決してその分派に属さない。むしろ今こそそれは嘗てあつたよりも
激しい形で、提起され直さねばならない。あらゆる政治学が劇薬でありえなくなつた現在、菌にも耐性ができて、
大ていの薬では利かなくなつたのである。
省1
246: 2011/03/03(木)11:30 ID:HAF933Dl(4/6) AAS
さて今まではといへば、たとへば(中略)氏(丸山真男)はそのかなり大部の著書の中でわづかに一頁の
コメンタリーを陽明学に当ててゐるに過ぎない。氏は、陽明学をあくまで朱子学に依存する一セクトとして見、
これを簡略に説明して、朱子の「知先行後」に対して「知行合一」を主張するところの主観的、個人的哲学で
あるとなし、陽明学は朱子学の理の内包してゐた物理性をことごとく道理性のうちに解消せしめたが故に、
朱子学ほどの包括性をもたず、朱子学ほどの社会性を失つた、と説いてゐる。
しかしながら陽明学は、明治維新のやうな革命状況を準備した精神史的な諸事実の上に、強大な力を刻印してゐた。
陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。
大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティシズムの
二本の柱にあると思はれる。(中略)二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッカーの準備した
能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの「二十世紀の神話」が、
省2
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