◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
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164: 2011/02/18(金)15:18 ID:vlCgAgQG(1/9) AAS
日米共同コミュニケによつて、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。すなはち国内的には、
今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしやぶらせつづけて面子を立ててやる一方、過激派には現憲法にも
これだけの危機収集能力のあることを思ひ知らせ、国際的には、無制限にアメリカの全アジア軍事戦略体制に
コミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使ひ、一方では安保体制堅持を謳いながら、一方では
平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするといふメリットが生じたのである。これはいはば吉田茂方式の
継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによつて強ひられた憲法であるより以上に、さらにアメリカの
軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないといふ恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。改憲サボタージュは、
完全に自民党の体質になつた。

三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より
165: 2011/02/18(金)15:19 ID:vlCgAgQG(2/9) AAS
空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、といふところに、新憲法のふしぎな魔力があり、
戦後の偽善はすべてここに発したといつても過言ではない。完全に遵奉することの不可能な成文法の存在は、
道義的退廃を惹き起こす。それは戦後のヤミ食糧取締法と同じことである。
(中略)
私が憲法を問題にするのは、そこに国家の問題が鮮明にあらはれてゐるからであり、しかも現憲法は、国家への
忠節に肩すかしを食わせて、未実現の人類共通の理想へのみ忠誠を誓はせるやうにできてをり、国家と忠誠とを
別次元に属する形で併記してゐる。
国家とは何ぞや、忠誠とは何ぞや、といふ問ひからはじめなければ、変革の論理は実質を欠くことにならう。

三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より
166: 2011/02/18(金)15:20 ID:vlCgAgQG(3/9) AAS
私見によれば、祭政一致的な国家が二つに分離して、統治的国家(行政権の主体)と祭祀的国家(国民精神の主体)に
分れ、後者が前者の背後に影のごとく揺曳してゐるのが現代の日本である。近代政治学が問題にする国家とは、
前者にほかならない。ところで自由世界の未来の国家像は、ますます統治国家がその統治機能を、自治体、民間団体、
企業等へ移譲し、国家自体は管理国家としてのマネージメントのみに専念し、言論やセックスの自由は最大限に容認し、
いはばもつとも稀薄な国家がもつとも良い国家と呼ばれることにならう。そこでは時間的連続性は問題にされず、
通信連絡、情報、交易の世界化国際化による空間的ひろがりが重んじられる。スポーツや学術をはじめ、多くの
領域で世界国家的イメージが準備される。事実このやうな管理国家は世界連邦たるべきものの胎児なのである。
これを支配する原理は、ヒューマニズム、理性、人類愛などであり、非理性的ないし反理性的なものはきびしく
排除されるロゴスとしての国家である。

三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より
167: 2011/02/18(金)15:21 ID:vlCgAgQG(4/9) AAS
一方、祭祀的国家はふだんは目に見えない。ここでは象徴行為としての祭祀が、国家の永遠の時間的連続性を保障し、
歴史・伝統・文化などが継承され、反理性的なもの、情感的情緒的なものの源泉が保持され、文化はここにのみ根を
見いだし、真のエロティシズムはここにのみ存在する。このエートスとパトスの国家の首長は天皇である。
ここでは濃厚な国家がもつとも良い国家なのである。
さて統治国家を遠心力とすれば祭祀国家は求心力であり、前者を空間的国家とすれば、後者は時間的国家であり、
私の理想とする国家はこのやうな二元性の調和、緊張をはらんだ生ける均衡にほかならない。
私はこの二種の国家をつきつけて、国民にどちらの国家に忠誠を誓ふか、決断を迫るべきであると思ふ。
いふまでもなく真にナショナルな自立の思想の根拠は、祭祀的国家のみにあり、統治的国家は国際協調主義と
世界連邦の方向の線上にあるものである。
そしてその忠誠の選択に基づいて、自衛隊を二分したらよいのである。このことは現憲法下でも法理的に可能である。
省1
168: 2011/02/18(金)15:22 ID:vlCgAgQG(5/9) AAS
現自衛隊に対する国民の最終的な疑惑は、表面上、最高指揮権は内閣総理大臣にあるけれども、最終的な指揮権は
アメリカ大統領にあるのではないかといふ疑惑であらう。航空自衛隊の編成装備、英語による指令等を見た者は、
一抹の不安を禁じえないであらう。
そこでまづ、航空自衛隊現勢力の九割、海上自衛隊の七割、陸上自衛隊の一割をもつて「国連警察予備軍」を
編成する。なぜ予備軍かといへば、現憲法下では海外派兵がむづかしいからである。日本国連警察予備軍は
統治国家としての日本に属し、安保条約によつて集団安全保障体制にリンクし、制服も独自の制服を持ち、主任務は
対直接侵略にあり、根本理念は国際主義的であり、将兵の身分は国連事務局における日本人職員に準ずる。
第二に、残余の兵力、すなはち陸上自衛隊現勢力の九割、海上自衛隊の三割、航空自衛隊の一割は「国土防衛軍」を
構成する。国土防衛軍の根本理念は、祭祀国家の長としての天皇への忠誠にあり、絶対自立の軍隊であつて、
いかなる外国とも軍事条約を結ばない。
省1
169: 2011/02/18(金)15:26 ID:vlCgAgQG(6/9) AAS
国連警察予備軍は状況に応じて、国連から核兵器の管理を委任されることもあるが、国土防衛軍の装備は在来兵器に
限られる。主任務は対間接侵略にあり、治安出勤も国土防衛軍の仕事である。なほ国土防衛軍は相当数の民兵を
包含し、わが「楯の会」はこのためのパイオニヤである。
国連警察予備軍は、高度の技術的軍隊で、新兵器の開発、技術の習得はここで行はれ、その成員は、軍人であると
同時に技師である。これに反して、国土防衛軍は、魂の軍隊といふ色彩が強く、そのモラルは徹頭徹尾武士的な
ものである。
そしてこの二つの軍隊を、共に指揮系統として内閣総理大臣が統括するが、その最終的忠誠の対象が異なるところから、
種々の礼式の相違があらはれるであらう。
(中略)私としては考へに考へた末であり、かつ、一場の夢物語であることも承知である。しかし日本の防衛の
あるべき姿を考へれば考へるほど、私にはほかの解決は思ひ当らない。もちろんこれには憲法の制約を考慮に
省2
170: 2011/02/18(金)15:29 ID:vlCgAgQG(7/9) AAS
日本にとつてもつとも緊急に変革を要するものは防衛の問題であり、しかもそこにいかにして自立の思想を
盛り込むかといふ問題である。日本に変革の必須な問題は多々あらうが、これを除外して変革を考へることは
空論であり、共産党ですら、核兵器に一言も触れぬ狡猾さをもつて、武装中立を謳つてゐる。日本の防衛と自立の
永遠のジレンマのもとである核兵器が、国内戦に使へないといふ特質を持つてゐるところに目をつけて、この特質を
逆手にとつて、絶対自立の軍隊を健軍することがまづ急務であり、自衛隊をただあいまいに安保条約に接着させて
おくことは危険なのだ。中共はすでにIRBMの戦略配置を終つたと伝えられ、日本はその射程距離内に
はひるのである。
私の変革方式は、変革の雛型をまづ自分の力で自分の周辺に作ることだ。雛型であるから、まだ実用に役立た
なくても仕方ない。しかし自立の思想を肉体化し現実化して、これを通じて、何が正しいかを顕現することだ。

三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より
171: 2011/02/18(金)15:30 ID:vlCgAgQG(8/9) AAS
(中略)現代社会では、一定の効果と一定のメリットが評価され、それが抽出されてしまふと、たちまちうしろへ
投げ捨てられてしまふ。政治は場当りの効果主義の集積である。
(中略)この「何事か」の積み重ねは、いくら積み重ねても同じ次元の積み重ねにすぎず、そこから別次元の
変革への飛躍は生れない。(中略)
私は文士としてまづ言葉を信ずる。しかし何らかの政治的有効性において信ずるのではない。私にとつての変革とは、
言葉と同じ高度の次元の、決して現象化され相対化されぬ現実を創り出すことでなければならない。そのための
行動とは、死を決した最終的な行動しかなく、それまでの行動類似のものはすべて訓練であり、世阿弥の言ふ
「稽古は強かれ」の「稽古」にほかならない。
変革とは一つのプランに向かつて着々と進むことではなく、一つの叫びを叫びつづけることだ、といふ考へが、
私の場合には牢固としてゐる。前述の自衛隊二分論は、相対的解決策としての変革にすぎぬが、その中にも私の
省2
172: 2011/02/18(金)15:32 ID:vlCgAgQG(9/9) AAS
かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。この着眼は
卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだつたからである。彼らはこれらをおそれ、
その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。しかしこの叫びを忌避して、日本人にとつての真の
変革の原理はありえない。近代日本知識人が剣道のあの裂帛の叫びを嫌悪するのは、あれによつて彼らの後生大事に
してゐる近代ヒューマニズムと理性の体系にひびのはひるのをおそれるからだ。あの叫びこそ、彼らの臆病な
安住の家をこはしにかかる斧の音をきくからだ。
変革とは、このやうな叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。その結果が死であつても構はぬ、
死は現象には属さないからだ。うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救ひ上げ、精神の
最終証明として後世にのこすことだ。言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそ
すべてなのだ、と信ずる点で私は古代ギリシア人と同じである。
省1
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