【無名】東京の武将たち【知りたい】 [無断転載禁止]©2ch.net (787レス)
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488
(1): 2021/04/27(火)16:28 ID:voPjKoGt(1) AAS
道灌死後自胤は一時期山内に近づく
佐倉歌壇は臼井守胤=千葉介守胤(実胤の子、母上杉顕房、子の憲胤は憲房、憲寛の偏諱)
足利義明時代まで武蔵千葉氏は臼井まで所領を伸ばした
自胤時代での真里谷との縁、資康ー三浦ー真里谷もある
高城はおそらく西から流れてきた(太田経由?)道灌の馬橋城に関連してる
が、北条の台頭で義明が没落、下総千葉氏が巻き返し、
高城氏は下総千葉・原氏に近づきその後独立、守胤は臼井から追放
武蔵千葉氏は縮小したとみる
489: 2021/04/28(水)08:46 ID:aKluTJ+5(1/2) AAS
【新説】本能寺の変徳川家康&北条氏規&遠山康光黒幕説
490: 2021/04/28(水)09:30 ID:aKluTJ+5(2/2) AAS
>>488
憲寛=憲幸または憲寛の子憲幸が六郷殿に、(義明と山内、武蔵千葉氏を結ぶ)
が、北条が江戸を資高の調略で落とす。この頃大石石見守と三戸義宣は岩槻太田氏に近づく
武蔵千葉氏の動向は不明、太田資頼、三戸義宣は長尾為景を頼る。資頼が武蔵千葉領の淵江に家臣小宮山を送ってることから
武蔵千葉氏も資高とともに北条に下ったか。ここででてくる蕨と和良比、憲時の乱にでてくる渋川氏の動向も気になるところ
牛込氏もこのあたりで武蔵国に逃げてきたと思う。
491: 2021/04/29(木)15:31 ID:AxgJydDi(1) AAS
臼井持胤は扇谷上杉方の原胤隆・木内氏を寝返らせようとして捕らえられ討たれる。
柴屋軒宗長が幕府の命で三田弾正を通して交渉するために上総を訪れたときは原胤隆は扇谷に近かったのかもしれない。
492: 2021/05/01(土)11:12 ID:mR55inA7(1) AAS
高橋種資の母太田資重の娘
この太田資重は重正ではないか
493: 2021/05/08(土)01:35 ID:H75ytXU5(1) AAS
1557年千葉親胤と臼井守胤80歳死亡、子久胤逃亡?弟胤知も野庭町に逃れる?胤知が中田加賀守の娘を娶る
綱成が縁か?綱成の孫が武蔵千葉氏を継ぐ。臼井胤寿が養子に入ったか?
494: 2021/05/12(水)04:14 ID:84oQgqdD(1) AAS
長享の乱立河原の戦い(1504)にて白子の布陣をどう読み取るか、素直に読み取れば赤塚城へか?
そうするとこのとき武蔵千葉氏は扇谷方に戻ってるのか、自胤も亡くなってるからなぁ
495: 2021/05/13(木)00:44 ID:wSuQKqz8(1/2) AAS
良スレだな。
江古田、沼袋、石神井はほとんど地元だから太田道灌に大いに興味があるんだが、
如何にせん素人向けの書籍が少ない。
スレ住人諸賢の議論から多くを得られることを期待する。
496: 2021/05/13(木)00:59 ID:wSuQKqz8(2/2) AAS
期待するだけじゃ何なんで、東京の武将についてちょっとだけ情報提供。
奥多摩ツーリングを好む向きには御馴染みだと思うが…。

【へそまんじう由来記】
古来へそは大切なものながら世人之れを茶目でユーモアな存在としているが、体の中央に悠然と構へ、その形も千差万別で、満月型あり、月見型あり、谷見型、藪にらみ型、稀には出臍等愉快なのがあれ共、フックラとした月見型を最も可とすると古書に見えたり。
心のひねくれしを臍曲りと例え、可笑しきときは臍が茶を沸すとか臍の宿替とか申し、又、昔漢の項羽が山をも抜く力も、へそごまをとりて力忽ち衰へたりといふ。ゆめゆめへそごまはとるべからず。
抑々弊舗特選のへそまんじうは、その昔永禄6年、当地より程近き辛垣城に構える三田弾正綱秀を小田原の北条左京太夫氏康と其の子滝山城主北条陸奥守氏照父子が昼夜を分たず攻め立てしが、中々落城せず偶々折柄の大雷雨中を隣峰その名寄しらむ雷電山口より攻め込んだ豪勇無双の十勇士により、さすが難攻不落の辛垣城も陥落したるが、この十勇士が当時この附近の茶店で購った兵糧のまんじうを腹巻に包んでおいた所、不思議や全部このまんじうの型に変り大雷雨に臍も取られず、然も勇猛果敢な働きに澤山の恩賞を授けられしとか。
依ってこのへそまんじうを常に賞味し、臍下丹田に力を入れて世に處するなら必ずその成功疑ふ可からず。
秩父多摩国立神代吊橋畔 登録商標へそまんじう本舗 主人敬白
497: 2021/05/13(木)08:08 ID:aaanSkeH(1) AAS
たまにハイキングで青梅丘陵通ってたけど
辛垣城にそんな伝承があるとは知らんかった

雷電山方面から落ちたというのは
反対側にはそのまま鉄壁の城門になりそうな
切り通しと急斜面があって頷ける話だ
498: 2021/05/13(木)12:28 ID:1CDnYeOs(1) AAS
>>277
板橋親恒かな
499: 2021/05/14(金)02:27 ID:xM7M1mQJ(1) AAS
辛垣城合戦のことを改めて調べてみた。

戦に至る経緯は謎が多い。
北條方國衆として厚遇されていた三田氏が何故一族存亡を懸けて北條に抗う決意を固めたのか諸説紛々。

戦そのものも凄い。
三田綱秀(綱定とも)は北條氏康・氏政・氏照という鼻血モノのオールスターキャストを向こうに回して開戦から落城まで二年に及ぶ激戦。

軍記物語かと見紛う一部始終だが確かな一次史料に記述が残る。
この合戦譚はもっともっと語られていい。
500: 2021/05/14(金)03:04 ID:qWcS3ybF(1) AAS
500記念

右:千葉憲胤
中:三田綱秀
三:吉良頼康
一:太田康資
捕:大石定久
DH:足利義氏
遊:牛込勝行
左:大石憲重
二:中条持胤
省7
501
(1): 2021/05/15(土)00:23 ID:QnKauq+A(1) AAS
三田守綱(綱勝の子、綱勝が綱秀の弟か)も家康の武蔵国の旧名家集めで旗本
遠山利景の娘を娶る
502
(1): 2021/05/16(日)01:33 ID:b8YJiHPL(1) AAS
>>501
遠山氏も大名とまではいかないものの歴代一廉の武将を輩出した家で、東京=江戸とも深い縁のある侍。

遠山利景は美濃明知遠山氏嫡流にして江戸旗本遠山氏の初代、
かの北町奉行、左衛門尉遠山金四郎景元の直接の祖先、か。
北條氏重臣の江戸城代、直景流武蔵遠山氏から見ると本家筋に当たる。
武蔵遠山氏もまた直参旗本となった。

ひとたびは分かれて戦国乱世を必死で生き抜いた両家が泰平の江戸で同じ主の下に再会する。
人の紡いで行く因果とは、実に測り知れぬものがあるな…。
503: 2021/05/16(日)02:59 ID:JxL+ASPU(1/4) AAS
>>502
本家筋はどうだろう、直景が本家かもしれないよ
兄景成は病弱で、家督は直景が継いでて幕命で後北条に従ってるうちに
乱国に巻き込まれたのかもしれない
504: 2021/05/16(日)04:27 ID:JxL+ASPU(2/4) AAS
太田重正(重政、資綱)が義重、資正からってあるけど
娘の舅井上政重、自分の舅が都築秀綱、嫁の兄弟が為政、自分の子が太田正重、遠山資為
遠山家図での兄に河村秀重、また子の太田資宗は板倉重宗の娘と結婚
これ名前言い出すとなんかな…
505: 2021/05/16(日)08:26 ID:JxL+ASPU(3/4) AAS
あの「中村一氏」の従兄弟の中村之貞(之定)が康資の娘を娶ってる
その子太田正勝
506
(1): 2021/05/16(日)10:27 ID:JxL+ASPU(4/4) AAS
一氏は中村孫平次一政の子や弥平次一政の子と書かれ、瀧孫平次と名乗った後中村一氏としたとある
北条家臣江戸衆練馬あたりを領したものに中村平次左衛門がいる
どうつながるのか見当もつかないが、ありえない話でもないのかもしれない
507: 2021/05/16(日)15:15 ID:f/Z/VKjT(1) AAS
>>506
練馬には「中村」という字があって、中村氏は当地の旧家だ。
徳川どころか北條以来の大姓なのか…。
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