同盟者としての後北条氏 (129レス)
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(2): 2023/11/08(水)20:06 ID:wJWpcRLH(1) AAS
伊勢宗瑞や北条氏綱の時は同盟者の要請に応えて救援も数多くしていたが
氏康以降の当主は世話にはなるけど要請には殆どいっていいくらい応えない
上杉謙信の小田原包囲に対して三河を捨ててまで援軍を送った今川氏真
御建の乱においては自家は佐竹にかまけていたせいで後れを取り滅んでしまった上杉景虎、さらにもっぱら武田を矢面に立たせたせいで不信を抱かれ離反、手切れ。

小牧長久手の戦いではやはり佐竹との国境紛争にかまけて家康に有効な援軍を送れなかった、氏康以降の北条氏と組んでもいいことなかったのでは?
2: 2023/11/09(木)21:40 ID:cI+Nm5/+(1) AAS
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さもしい意図が露骨過ぎてあんまり反応したくはないんだが、碌に史料を調べもせず恣意的な切り取りが酷過ぎるんで簡略に反論。

遥々三方ヶ原にも援軍を出した。
甲相同盟はよく連携の取れた釣瓶の動きで越後勢を疲弊させた。
武田の第一次駿河侵攻時は援軍と云うよりも殆ど今川の代理で甲州勢を撃退。
謙信潰走の臼井城も重臣松田の後詰あっての勝利。
全て氏康~氏政の時期の事蹟。
 
小牧長久手が徳川にとって存亡を懸けた戦であったように、沼尻は事実上の関東最終決戦になるべき戦だった。
徳川の援軍要請があったからこそ勝敗未決のまま切り上げざるを得なかったというのが史実。
省9
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