山口 近代史 (9レス)
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1: 2016/03/08(火)18:39 ID:Hggpquq.(1/8) AAS
大正~昭和初期の左翼思想の浸食

■ヒトラーは左翼だった!?…同族嫌悪?

ナチスは正式には「国家社会主義ドイツ労働者党」と云って、
党名に「社会主義」「労働者党」を名乗っているように、バリバリの左翼政党です。
ただしソ連の社会主義と異なるのは、ソ連が革命を輸出する(つまり他国の革命を支援する)社会主義だったのに対して、
ドイツは一国社会主義で他国にそれを押し付ける方針はありませんでした。
同じ社会主義の国が対立したのは不思議に感じるかもしれませんが、
支持層が同じ労働者なので支持者獲得のため相手を攻撃するのです。
ドイツ共産党がナチスに徹底的に弾圧されたのもこの理由です。
日本もナチスが社会主義政党なのは知っていましたが、なにしろ宿敵・ソ連と対立しているのですから、
省9
2: 2016/03/08(火)18:39 ID:Hggpquq.(2/8) AAS
■所謂右翼と呼ばれる人たちがアカ?
「君、世間は知らないんだが、2.26事件の青年将校たちをふくめて、みんなアカなんだよ。
統制派も皇道派もそんなものはありゃしないんだよ。
アカがなにもかも仕組んでいろんなことをやっているんで、
軍もアカに攪乱されているんだよ。」(『特高の回想』p.153)
3: 2016/03/08(火)18:41 ID:Hggpquq.(3/8) AAS
■昔は左翼思想はインテリの証だった
「インテリの間には左翼思想が風靡して、昭和の初めには『赤にあらずんば人にあらず』というふうだった。
指導的な思想雑誌はこれによって占められていた。
若い世代は完全に政治化した。しかしインテリは武器を持っていなかったから、
その運動は弾圧されてしまった。
あの風潮が兵営の厚い壁を浸透して、その中の武器を持っている人々に反映し、
その型にしたがって変形したことは、むしろ自然だった。
その人々は、もはや軍人としてではなく、政治家として行動した。
すでに北一輝などの経典があって、国体に関する特別な観念を作り上げていて、
国体と社会改造とは背馳するものではなかった。
省12
4: 2016/03/08(火)18:41 ID:Hggpquq.(4/8) AAS
■知ってた?戦前戦中旧右翼は共産主義者?
「…昭和6年頃から一度検挙された共産党関係者で、所謂(いわゆる)、その思想の転向者と見られる人物については、司法省に於いても、あるいは警視庁の特高部に於いても熱心に就職の斡旋をしたものである。そして、それらの連中は、官庁関係では嘱託名義で、調査部、研究室に就職し、民間の調査研究団体にも多数の転向者が就職していた筈である。更にまた、軍部にも同様にその調査事務には相当数の転向者が入っていた。そこで問題となるのは、この転向者の思想傾向であるが、司法省、内務省で転向者としてあつかったその所謂(いわゆる)『転向』の判定は天皇制の問題に重点がおかれており、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者とみたのである。従って転向者の大部分が、実はその頭の中はマルクス主義であり、また彼らは、所謂秀才型が多く、進歩的分子をもって自任し、これらの人々が戦時国策の名に於いてなした役割は軽視すべからざるものがある。」(『大東亜戦争とスターリンの謀略』p.136)
5: 2016/03/08(火)18:41 ID:Hggpquq.(5/8) AAS
●昭和初期以降、わが国の軍部が左傾化した背景を考える
・・・
私も長い間マスコミなどに洗脳されていて、『軍国主義』が怖ろしいものだとイメージしていたのだが、よくよく考えると「軍」という組織は、国民の生命と財産を護る存在である限りは怖ろしいものではありえない。
いつの時代であっても、またどこの国にとっても、「軍」が恐ろしい存在となるのは、その組織の中に、他国の為に動こうとしたり、革命を夢見て権力を掌握しようとするメンバーが存在し、その目的のために組織的に武力を用いる意思を持つようになった場合であろう。
そしてわが国の場合において本当に怖かったのは、「ソ連に忠誠を誓い、わが国を戦争に巻き込み、最後にソ連を参戦させてわが国を共産主義の国にしようとした『軍』の兵士達」ではなかったか。
外部リンク[html]:shibayan1954.blog101.fc2.com
6: 2016/03/08(火)18:42 ID:Hggpquq.(6/8) AAS
■ゾルゲ事件 ~政府の中枢に入り込み敗戦に導いた元朝日新聞記者・尾崎秀実(教科書では教えてくれない歴史)
リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。
この事件によって、朝日新聞をパイプにして共産党のシンパが政界に大きく食い込んでいるのが露呈した

尾崎秀実(おざき ほつみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1944年(昭和19年)11月7日)は日本の評論家・ジャーナリスト・共産主義者。【朝日新聞社記者】、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。
近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。ゾルゲ事件として1941年発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。
近衛文麿を昭和研究会(大政翼賛会の前進)の頃から支えていた共産党のシンパである。
7: 2016/03/08(火)18:42 ID:Hggpquq.(7/8) AAS
■ソ連のスパイ尾崎秀実(元朝日新聞社記者)獄中手記 ~日本の敗戦はあらかじめ決まっていた(教科書では教えてくれない歴史)
尾崎獄中手記より「吾々のグループの目的任務は…世界共産主義革命遂行上最も重要にしてその支柱たるソ連を日本帝国主義より防衛するため 日本の国内情勢ことに政治経済外交軍事等の諸情勢を正確且つ迅速に報道しかつ意見を申し送って、ソ連防衛の資料たらしめるにあるのであります。日本は南方への進撃においては必ず英米の軍事勢力を一応打破し得るでありましょうが

 そ の 後 の 持 久 戦 に よ り 消 耗 が 軈 (やが) て 致 命 的 な も の に な っ て 現 わ れ 来 る で あ ろ う と 想 像 し た

のであります。しかもかかる場合において 日本社会を破局から救って方向転換乃至体制的再建を行なう力は日本の支配階級には残されていないと確信しているのであります。日本は破局によってその不必要な犠牲を払わされることなく立直るためにも、また英米から一時的に圧倒せられないためにも行くべき唯一の方向はソ連と提携し、これが援助を受けて、日本社会経済の根本的立て直しを行ない、社会主義国家としての日本を確乎として築き上げることでなければならないのであります。」

■スターリンの第7回コミンテルン大会における演説(砕氷船のテーゼ)
「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。…」
(注:砕氷船のテーゼと呼ばれるもので資料が残されていないのでこの発言をしたかどうかは評価が別れる、特に共産主義者は鬼の首を取ったかのような反応を示すことと、前述の尾崎の手記などからこの発言は極めて信ぴょう性が高いと思われる。)
8: 2016/03/08(火)18:42 ID:Hggpquq.(8/8) AAS
■ソ連「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。」
●「日本政府が共産主義者に降伏」 終戦間際、中国武官が「米の最高機密」として打電 ソ連の中枢浸透説を補強 英所蔵文書で判明(2013.8.12 msn産経ニュース)
終戦間際の昭和20(1945)年6月、スイスのベルン駐在の中国国民政府の陸軍武官が米国からの最高機密情報として、「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と重慶に機密電報で報告していたことがロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書ULTRAで明らかになった。戦局が厳しい状況に追いこまれる中、日本がソ連に接近して和平仲介を進めたのは、ソ連およびコミンテルン国際共産主義が日本中枢に浸透していたためとの説を補強するものとして論議を呼びそうだ。(岡部伸)
●ソ連「共産革命のため中共を助け日中戦争を世界大戦へと発展させよ!」5月24日プラウダ紙
陸海軍人諸君よ、諸君は陸海軍両方面より、先ず反動勢力を打破し、而して支那を革命助成する為め、その内乱戦を国際戦に転換せしむるよう不断の努力を怠る勿れ
※プラウダ紙…ソビエト連邦共産党の機関紙
9: 2016/04/07(木)23:49 ID:??? AAS
明治政府(欧米の植民地を阻止したい)→東アジア結束を目指す→清は拒否(朝鮮の属国化→日本への属国化圧力:長崎事件等)

これが日清戦争(日露戦争と同じと思うと理解しやすい)

朝鮮の独立(清の勢力の駆逐)

弱体化した清に欧米勢力浸食(三国干渉で遼東半島の返還→ロシアの領土化:旅順要塞)

朝鮮へのロシア進出(南下政策)→日本の危機感(ロシア皇太子来日、日本巡査切り付け:サラエボ事件に似てないかい)

省10
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