[過去ログ] 六月の花嫁を語ろう  Part5 (770レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
557: 2014/09/05(金)05:37 ID:ogQiRbcb0(1/6) AAS
故に彼の経等に於て往生成仏の義理を許す人人是れ多きなり、華厳・方等・般若・観経等の本文に於て阿難・円教の巻を書くの日に即身成仏云云即得往生等とあるを見て一生乃至順次生に往生成仏を
遂げんと思いたり、阿難結集已前の仏口より出す所の説教にて意を案ずれば即身成仏・即得往生の裏に歴劫修行・永不往生の心含めり、句の三に云く摂論を引いて云く了義経・依文判義等と云う意なり、爾前の経を文の如く判ぜば仏意に乖く可しと云う
事は是なり、記の三に云く法華已前は不了義なる故と云えり此の心を釈せるなり、籤の十に云く「唯此の法華のみ前教の意を説き今経の意を顕す」と釈の意は是なり。
抑他師と天台との意の殊なる様は如何と云うに他師は一一の経経に向つて彼の経経の意を得たりと謂へり、天台大師は法華経に仏四十余年の経経を説き給へる意をもつて諸経を釈する故に阿難尊者の書きし
所の諸経の本文にたがひたる様なれども仏意に相叶いたるなり、且らく観経の疏の如き経説には見えざれども一字に於て四教を釈す、本文は一処は別教・一処は円教・一処は通教に似たり、釈の四教に亘るは法華
の意を以て仏意を知りたもう故なり、阿難尊者の結集する経にては一処
558: 2014/09/05(金)05:38 ID:ogQiRbcb0(2/6) AAS
は純別・一処は純円に書き別円を一字に含する義をば法華にて書きけり、法華にして爾前の経の意を知らしむるなり、若し爾らば一
代聖教は反覆すと雖も法華経無くんば一字も諸経の意を知るべからざるなり、又法華経を読誦する行者も此の意を知らずんば法華経を読むにては有る可からず、爾前の経は深経なればと云つて浅経の意をば顕さず浅経な
ればと云つて又深義を含まざるにも非ず、法華経の意は一一の文字は皆爾前の意を顕し法華経の意をも顕す故に一字を読めば一切経を読むなり一字を読まざるは一切経を読まざるなり、若し爾らば法華経無き国には諸経
有りと雖も得道は難かる可し、滅後に一切経を読む可き様は華厳経にも必ず法華経を列ねて彼の経の意を顕し観経にも必ず法華経を列ねて其の意を顕すべし諸経も又以て此くの如し、而るに月支の末の論師及び震
旦の人師此の意を弁えず一経を講して各我得たりと謂い又超過諸経の謂いを成せるは曾て一経の意を得ざるのみに非ず謗法の罪に堕するか。
問う天竺の論師・震旦の人師の中に天台の如く阿難結集已前の仏口の諸経を此くの如く意得たる論師・人師之有るか、答う無著菩薩の摂論には四意趣を以て諸経を釈し、竜樹菩薩の大論に
559: 2014/09/05(金)05:39 ID:ogQiRbcb0(3/6) AAS
は四悉檀を以て一代を得たり、此れ等は粗此の意を釈すとは見えたれども天台の如く分明には見えず、天親菩薩の法華論も又以て此くの如し、震旦国に於ては天台以前の五百年の
間には一向に此の義無し、玄の三に云く「天竺の大論尚其の類に非ず」云云、籤の三に云く「一家の章疏は理に附し教に憑り凡そ立つる所の義・他人の其の所弘に随い偏に己が典を讃す
るに同じからず、若し法華を弘むるに偏に讃せば尚失なり況や復余をや」文、何となれば既に開権顕実と云う何ぞ一向に権を毀る可きや、華厳経の心仏及衆生・是三無差別の文は華厳の人
師・此の文に於て一心覚不覚の三義を立つるは、源と起信論の名目を借りて此の文を釈するなり、南岳大師は妙法の二字を釈するに此の文を借りて三法妙の義を存せり、天台智者大師は之
を依用す此に於て天台宗の人は華厳・法華同等の義を存するか、又澄観・心仏及衆生の文に於て一心覚不覚の義を存するのみに非ず性悪の義を存して云く、澄観の釈に「彼の宗には此れを謂
つて実と為す此の宗の立義・理通ぜざる無し」等云云、此等の法門許す可きや否や、答えて云く弘の一に云く「若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨理実に消し難し」同
560: 2014/09/05(金)19:52 ID:ogQiRbcb0(4/6) AAS
じく五に云く「今文を解せずんば如何ぞ心造一切三無差別を消解せん」文、記の七に云く忽ち都て未だ性悪の名を聞かずと云えり、此等の文の如くんば天台の意を得ずんば彼の経の偈の意・知り難きか、又震旦の
人師の中には天台の外には性悪の名目あらざりけるか、又法華経に非ずんば一念三千の法門・談ずべからざるか、天台已後の華厳の末師並びに真言宗の人・性悪を以て自宗の依経の詮と為すは天竺より伝わり
たりけるか祖師より伝わるか、又天台の名目を偸んで自宗の内証と為すと云へるか、能く能く之を験す可し。
問う性悪の名目は天台一家に限る可し諸宗には之無し、若し性悪を立てずんば九界の因果を如何が仏界の上に現ぜん、答う義例に云く性悪若断等云云、問う円頓止観の証拠と一念三千の証拠に華厳経の
心仏及衆生是三無差別の文を引くは彼の経に円頓止観及び一念三千を説くというか、答えて云く天台宗の人の中には爾前の円と法華の円と同の義を存す、問う六十巻の中に前三教の文を引いて円の義を釈
せるは文を借ると心得、爾前の円の文を引いて法華の円の義を釈するをば借らずと存ぜんや、若し爾らば三種の止観の証文に爾前の諸経を引く中に円頓止観の証拠に華厳の菩
561: 2014/09/05(金)19:53 ID:ogQiRbcb0(5/6) AAS
薩於生死等の文を引けるをば、妙楽釈して云く「還つて教味を借て以て妙円を顕す」とは此の文は諸経の円の文を借ると釈するに非ずや、若し爾らば心仏及衆生の文を一念三千の証拠に引く事は之を借れるにて有るべし、答う当世の天台宗は華厳宗
の見を出でざる事を云うか、華厳宗の意は法華と華厳とに於て同勝の二義を存ず、同は法華・華厳の所詮の法門之同じとす、勝には二義あり、古の華厳宗は教主と対菩薩衆等の勝の義を談ず、近
代の華厳宗は華厳と法華とに於て同勝の二義有りと云云、其の勝に於て又二義あり、迹門は華厳と同勝の二義あり華厳の円と法華迹門の相待妙の円とは同なり彼の円も判〓・此の円も判〓の故なり、籤の
二に云く「故に須らく二妙を以て三法を妙ならしむべし故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無し」私志記に云く「昔の八の中の円は今の相待の円と同じ」と云へり是は同なり記の四に云く「法界を以て之を論ずれ
ば華厳に非ざる無し仏慧を以て之を論ずれば法華に非ざる無し」云云、又云く「応に知るべし華厳の尽未来際は即ち此の経の常在霊山なり」云云、此等の釈は爾前の円と法華の相待妙とを同ずる釈なり、迹門の
絶待開会は永く爾前の円と異なり、
562: 2014/09/05(金)20:35 ID:ogQiRbcb0(6/6) AAS
籤の十に云く「此の法華経は開権顕実開迹顕本の此の両意は永く余経に異なり」と云えり、記の四に云く「若し仏慧を以て法華と為さば即」等と云云、此の釈は仏慧を明すは爾
前・法華に亘り開会は唯法華に限ると見えたり是は勝なり、爾前の無得道なる事は分明なり其の故は二妙を以て一法に妙ならしむるなり、既に爾前の円には絶待の一妙を闕く衆生も妙の仏と成る可からざる故に籤の三
に云く妙変為〓の釈是なり、華厳の円変じて別と成ると云う意なり。本門は相待絶待の二妙倶に爾前に分無し又迹門にも之無し、爾前迹門は異なれども二乗は見思を断じ菩薩は無明を断ずと申すことは一往之
を許して再往は之を許さず、本門寿量品の意は爾前迹門に於て一向に三乗倶に三惑を断ぜずと意得可きなり、此の道理を弁えざるの間・天台の学者は爾前法華の一往同の釈を見て永異の釈を忘れ結句名は天
台宗にて其の義分は華厳宗に堕ちたり、華厳宗に堕ちるが故に方等般若の円に堕ちぬ、結句は善導等の釈の見を出でず、結句・後には謗法の法然に同じて師子身中の虫の自ら師子を食うが如し文、仁王経の下
に「大王我が滅度の後・未来世の中に四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子乃ち是れ三宝を住
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.158s*