[過去ログ] 六月の花嫁を語ろう  Part5 (770レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(本家) (べ) レス栞 あぼーん

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
549: 2014/09/04(木)05:47 ID:xmnnymVK0(1/8) AAS
経を読誦せんよりも其の口に我が小呪を一反も見つべし一切の在家の者の云く善導和尚は法華経をば千中無一・法然上人は捨閉閣抛・道綽禅師は未有一人得者と定めさせ給へり
汝がすすむる南無妙法蓮華経は我が念仏の障りなり我等設い悪をつくるともよも唱えじ一切の禅宗の云く我が宗は教外別伝と申して一切経の外に伝へたる最上の法門なり一切経は指のごとし
禅は月のごとし天台等の愚人は指をまほつて月を亡いたり法華経は指なり禅は月なり月を見て後は指は何のせんか有るべきなんど申す、かくのごとく申さん時はいかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬をば彼
れ等が口には入るべき仏は且らく阿含経を説き給いて後彼の行者を法華経へ入れんと・たばかり給いしに一切の声聞等・只阿含経に著して法華経へ入らざりしをば・いかやうにか・たばからせ給いし、此をば仏
説いて云く「設ひ五逆罪は造るとも五逆の者をば供養すとも罪は仏の種とはなるとも彼れ等が善根は仏種とならじ」とこそ説かせ給しか、小乗・大乗はかわれども同じく仏説なり大が小を破して小を大となすと大を
破して法華経に入ると大小は異なれども法華経へ入れんと思う志は是一つなり、されば無量義経に大を破
550: 2014/09/04(木)05:48 ID:xmnnymVK0(2/8) AAS
して云く「未顕真実」と法華経に云く「此の事は為て不可なり」等云云、仏自ら云く「我世に出で
て華厳・般若等を説きて法華経をとかずして入涅槃せば愛子に財ををしみ病者に良薬をあたへずして死にたるがごとし仏自ら地獄に堕つべし」と云云、不可と申すは地獄の名なり況や法華経の後・爾前の経
に著して法華経へうつらざる者は大王に民の従がはざるがごとし親に子の見へざるがごとし、設い法華経を破せざれども爾前の経経をほむるは法華経をそしるに当たれり、妙楽云く「若し昔を称歎せば豈に今を
毀るに非ずや」文、又云く「発心せんと欲すと雖も偏円を簡ばず誓の境を解らざれば未来法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん」等云云、真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は設とい法華経を大日
経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも滅後に生まれたる三蔵・人師なれば謗法はよも免れ候はじ、何に況や善無畏等の三三蔵は法華経は略説・大日経は広説と同じて而かも法華経の行者を
大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどかかれて候大科を明らめずして此の四百余年一切衆生を皆謗法の者となせり、例せば大荘厳仏の末の四比丘が六
551: 2014/09/04(木)05:49 ID:xmnnymVK0(3/8) AAS
百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕せると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随いて日本国四十九億九万四千八百二
十八人或は云く日本紀に行基の人数に云く男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生又四十九億等の人人四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば其の後他方世界よりは生れて又死して
無間地獄に堕ちぬ、かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し此れ皆三大師の科ぞかし、此れを日蓮此に大に見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を
経めぐるべしいかでか身命をすててよばわらざるべき涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。
平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云く「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり百王を守護せん誓願あり」等云云、今云く人王八十一・二代隠岐の法皇・三・四・五の諸王已に破られ畢んぬ残の二十
余代・今捨て畢んぬ、已に此の願破るるがごとし、日蓮料簡して云く百王を守護せんというは正直の王・百
552: 2014/09/04(木)19:12 ID:xmnnymVK0(4/8) AAS
人を守護せんと誓い給う、八幡の御誓願に云く「正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭ず」等云云、夫れ月は清水に影をやどす濁水にすむ事なし、王と申すは不
妄語の人・右大将家・権の大夫殿は不妄語の人・正直の頂八幡大菩薩の栖む百皇の内なり、正直に二あり一には世間の正直・王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の
三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す、隠岐の法皇は名は国王・身は妄語の人なり横人なり、権の大夫殿は名は臣下・身
は大王・不妄語の人・八幡大菩薩の願い給う頂きなり、二には出世の正直と申すは爾前・七宗等の経論釈は妄語・法華経・天台宗は正直の経釈なり、本地は不妄語の経の釈迦仏・迹
には不妄語の八幡大菩薩なり、八葉は八幡・中台は教主釈尊なり、四月八日・寅の日に生まれ八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給う、豈に教主の日本国に生まれ給うに有らずや、
大隅の正八幡宮の石の文に云く「昔し霊鷲山に在つて妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」等云云、法華経に云く「今此三界」等云云、又「常に霊鷲山に在り」等云云、遠くは三
553: 2014/09/04(木)19:13 ID:xmnnymVK0(5/8) AAS
千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子なり、近くは日本国・四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子なり、今日本国の一切衆生は八幡をたのみ奉るやうにもてなし
釈迦仏をすて奉るは影をうやまつて体をあなづり子に向いて親をのるがごとし、本地は釈迦如来にして月氏国に出でて正直捨方便の法華経を説き給い、垂迹は日本国に生れては正直の頂
きにすみ給う、諸の権化の人人の本地は法華経の一実相なれども垂迹の門は無量なり、所謂跋倶羅尊者は三世に不殺生戒を示し鴦崛摩羅は生生に殺生を示す、舎利弗は外道となり是
くの如く門門不同なる事は本凡夫にて有りし時の初発得道の始を成仏の後・化他門に出で給う時我が得道の門を示すなり、妙楽大師云く「若し本に従て説かば亦是れ昔殺等の悪の中に
於て能く出離するが故なり是の故に迹中に亦殺を以て利他の法門と為す」等云云、今八幡大菩薩は本地は月支の不妄語の法華経を迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂きにや
どらんと云云、若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし。
法華経の第五に云く諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護
554: 2014/09/04(木)19:14 ID:xmnnymVK0(6/8) AAS
す、経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等・昼夜に守護すべしと見えたり、又第六の巻
に云く「或は己身を説き或は他身を説き或は己身を示し或は他身を示し或は己事を示し或は他事を示す」文観音尚三十三身を現じ妙音又三十四身を現じ給ふ教主釈尊何ぞ八幡大菩薩
と現じ給はざらんや・天台云く「即是れ形を十界に垂れて種種の像を作す」等云云。天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、
月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れ
り五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
弘安三年太歳庚辰十二月 日 日蓮花押爾前得道の旨たる文、経に云く見諸菩薩等云云、又云く始見我身等、此等の文の如きは菩薩初地初住に叶う事有ると見えたるなり、故に見諸
菩薩の文の下には而我等不預斯事と・又始見の
555: 2014/09/04(木)23:33 ID:xmnnymVK0(7/8) AAS
文の下には除先修習等云云、此れは爾前に二乗作仏無しと見たる文なり。問う顕露定教には二乗作仏を許すや顕露不定教には之を許すか秘密には之を許すか爾前の円には二乗作仏を許すや別教
には之を許すか、答う所詮は重重の問答有りと雖も皆之を許さざるなり、所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり、釈は菩薩の得道と見たる
経文を消する許りなり、所詮華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり。問う円の菩薩に向つては二乗作仏を説くか、答う説
かざるなり未曾向人説如此事の釈に明かなり。問う華厳経の三無差別の文は十界互具の正証なりや、答う次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除きて生長することを得ず所謂声聞と縁覚となり等云云
二乗作仏を許さずと云う事分明なり、若し爾らば本文は十界互具と見えたれども実には二乗作仏無ければ十界互具を許さざるか、其の上爾前の経は法華経を以て定む可し既に除先修習等云云と云
う華厳は二乗作仏無しと云う事分明なり方等般若も又以て此くの如し。惣じて爾前の円に意得可
556: 2014/09/04(木)23:33 ID:xmnnymVK0(8/8) AAS
き様・二有り、一には阿難結集の已前に仏は一音に必ず別円二教の義を含ませ一一の音に必ず四教三教を含ませ給えるなり、故に純円の円は爾前経には無きなり故に円と云えど
も今の法華に対すれば別に摂すと云うなり、籤の十に又一一の位に皆普賢行布の二門有り故に知んぬ兼ねて円門を用いて別に摂すと釈するなり此の意にて爾前に得道無しと云うなり、二には阿難結集の時・多羅
葉に注す一段は純別・一段は純円に書けるなり方等・般若も此くの如し、此の時は爾前の純円に書ける処は粗法華に似たり、住中多明円融之相等と釈するは此の意なり。
天台智者大師は此の道理を得給いし故に他師の華厳など惣じて爾前の経を心得しには・たがい給えるなり、此の二の法門をば如何として天台大師は心得給いしぞとさぐれば法華経の信解品等を以て一一の
文字別円の菩薩及び四教三教なりけりとは心得給いしなり、又此の智恵を得るの後にて彼等の経に向つて見る時は一向に別・一向に円等と見えたる処あり、阿難結集の後のしはざなりけりと見給えるなり、天
台一宗の学者の中に此の道理を得ざるは爾前の円と法華の円と始終同の義を思う故に一処のみの円教の経を見て一巻二巻等に純円の義を存ずる
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.034s