[過去ログ] 文学部 邪馬台国畿内説 (742レス)
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84: 2021/04/02(金)07:54 ID:x7b+mCgw(2/5) AAS
但しこの、第46回 数学者の 「社会への提言」方法では、経度は測れない。
そこで「南」とか「東南」とかの、方角の知識が重要・不可欠になってくるわけだ・・・、
85: 2021/04/02(金)08:17 ID:x7b+mCgw(3/5) AAS
その方角についても、
ほぼ直線と見做して良い「南」と、途中で大きく曲がって(右左折して)いる「南」では所要の里数が変わってくる。
そこで、ほぼ直線と見做して良い場合は「至」、途中で大きく右左折している場合は「到」の字を当てて区別しているというわけだ。
(つまり、「東南到る伊都国」とはそういう意味だ。 阿波もそこまでは気が回らなかったか・・・、 わはははは)
86: 2021/04/02(金)12:34 ID:AkdZnP83(1) AAS
AA省
87
(1): 2021/04/02(金)13:07 ID:x7b+mCgw(4/5) AAS
>到。。。。從郡至倭循海岸水行歷韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里。

帯方郡(ソウル付近)から水行南下して4000里、韓半島西南端で東に折れて3000里で釜山付近に入港する。
これを「至」と書いて、ソウルから釜山まで直線陸行だと、ピタゴラスの定理により5000里になる。
つまり至るの5000里ではなく、到る(途中東に折れて)の7000里ですよー、というわけだ。

>到。。。。東南陸行五百里到伊都國。

此れも同様にして、末盧国(唐津市)から南へ陸行し、高来の宿(多久市)で東に折れて、200里で佐賀市大和町川上の伊都国(イツ国)に到る。
これを「至」として、唐津市から佐賀市大和町川上までの直線陸行だと、ピタゴラスの定理により430里ほどになる。
つまり至る(直線の)430里でなく、到る(途中曲がって)の500里ですよー、というわけだ。 如何・・、
88: 2021/04/02(金)13:17 ID:x7b+mCgw(5/5) AAS
>>87 の訂正)
到の例:直線430里は記憶間違い、正しくは360里です。失礼しました。
89: 2021/04/03(土)08:51 ID:vj2C4X5m(1/3) AAS
なお、郡から女王国までのように、広範囲・長距離をひとくちで云う場合は、それに応じた大まかな描写になる。
例: 倭人有り 、 (大まかにいうと)帯方東南 大海の中
例: 自郡 至 女王国 (大まかにいうと)萬二千余里、・・・・・つまり帯方郡を起点に大まかに言っているので、ここは至るになっている。

但し、
起点を臺(洛陽)に置き、東へ進んで郡に至り、更に郡を経由して東南の女王国へ至るカギ形行程の記述であれば、
おそらく、「自臺 従郡 到女王国 ○萬二千余里」、と書かれたのではないか・・、
90: 2021/04/03(土)15:57 ID:vj2C4X5m(2/3) AAS
(女王国とは)
女王国は、いうまでもなく女王卑弥呼を推戴する国のことであるが、歴史書・倭人伝には、時代に因り二種類の「女王国」が登場する。
一つは冒頭の行程説明等の中に出てくる「女王国」である。
この当時、卑弥呼は邪馬台国だけから推戴された邪馬台国のみの女王であった。行程論を解読する際、このことは極めて重要な認識となる。

(但しこの時代にあっても、邪馬台国の卑弥呼は、九州島の大実力者であったらしく、
このことを表現する場合は単に「女王」とだけ書かれた。「此処 女王の境界尽きる処」がその事例である。)

しかし、倭人伝が書き進められ、7割方が経過したところで、ご承知の倭30国による卑弥呼の共立譚が登場する。
つまりこの時点で卑弥呼は、邪馬台国だけの女王から、倭30国全体の共立女王になった訳である。
依って当然ながら、この時点からのちに出てくる「女王国」とは、倭30国全体のことを指す。

白鳥庫吉は「倭女王・卑弥呼」というフレーズを好んだが、これはこの時代の九州島全体の女盟主・卑弥呼を指している。
省1
91: 2021/04/03(土)22:42 ID:vj2C4X5m(3/3) AAS
倭人伝の方角・里数を、平気で無視する者たち、少なからず有り、
末盧国から東南500里を、北東に歪めて300里の糸島前原へ行って大自慢、
そこから東南100里の奴国を、東に歪めて博多那の津の金印に大満足。そして極め付きは、東行百里の不彌国は宇美だったという。

なるほど宇美には、神功皇后を祀る神社もある。
が、これは江戸時代の国学者の案を容れて勧進された、典型的な後付け神社とか(卑弥呼は神功皇后だったのですってねえ!?)。
おまけにここは、山間僻地の行き止まり部落。南至る投馬国、南至る邪馬台国女王之所都も完璧行き止まり、
ま、西洋の寓話ではないが、、、誰かさんの吹く笛に誘われて、お決まりの迷路に引き込まれたネズミさんたちなんじゃないのってwww・・
92: 2021/04/04(日)08:47 ID:/eV8B+Vc(1/5) AAS
ハーメルンの笛吹き男:
1284年、ドイツのハーメルンの町にネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、笛を持ち着飾った一人の男が町に現れ、
報酬をくれるなら町を荒らし回るネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。
男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。
93
(3): 2021/04/04(日)10:48 ID:NSsxkZ/7(1) AAS
だが、マツラは壱岐の南端から1000里で、近すぎる呼子や、八方位で東南になってしまう唐津も当てはまらず、
本当は、マツラの渡海地点は、長崎県松浦市西部の御厨港付近なのだから、
そこから、500里東南陸行の伊都國は、伊万里市になるよ。
94
(1): 2021/04/04(日)10:54 ID:roNQ6pP/(1/3) AAS
>>93
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

末盧国(福津市辺り・万津浦) : 「田熊石畑遺跡」・「今川遺跡」・「徳重高田遺跡」・「鐘崎上八遺跡」・「手光於緑遺跡」・「朝町町ノ坪遺跡」・「朝町竹重遺跡」・「新原・奴山古墳群」 

伊都国(直方辺り) : 「感田上原遺跡」・「帯田遺跡」   @阿波
95
(1): 2021/04/04(日)11:36 ID:/eV8B+Vc(2/5) AAS
>>93
呼子は、出港地としてはともかく、入港しても山道に苦労する。
それに、潮の関係で唐津沖を迂回しての呼子入港なんだから、無駄な努力だと思うよ。
その点、伊万里は特別良港で、貨物便は伊万里のほうが頻繁に使われたのではないか。(倭人伝は遣使便なので、唐津で記述したのではないか)
96: 2021/04/04(日)11:41 ID:roNQ6pP/(2/3) AAS
>>95
>その点、伊万里は特別良港で、貨物便は伊万里のほうが頻繁に使われたのではないか。(倭人伝は遣使便なので、唐津で記述したのではないか)

妄想を垂れる前に、その妄想に見合う「集落遺跡」を示せ! アンポンタン。

碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無いくそ田舎の九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波   
97
(1): 2021/04/04(日)11:46 ID:/eV8B+Vc(3/5) AAS
>>93
もう一つの文学的問題として、
此伝の書き出しは、「倭人有り、帯方東南大海の中・・」、というメインテーマで始まる。
それだけに、倭国(の伊万里)に上陸して、東に進んでは文学的に台無しだ。
だから倭国に上陸しての第一歩は、何が何でも「東南行」でなくては、折角の陳寿の筆が泣く・・、
98: 2021/04/04(日)11:48 ID:roNQ6pP/(3/3) AAS
>>97
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方   @阿波
99
(1): 2021/04/04(日)13:48 ID:GfZRJjlt(1/2) AAS
ID:/eV8B+Vcは、
「だが、マツラは壱岐の南端から1000里で、近すぎる呼子や、八方位で東南になってしまう唐津も当てはまらず、
本当は、マツラの渡海地点は、長崎県松浦市西部の御厨港付近なのだから、
そこから、500里東南陸行の伊都國は、伊万里市になるよ。」
を慌てずに、よく読めば良いよ。
マツラの港=長崎県松浦市西部の御厨港付近
伊都國(イツ)=伊万里の津
500里東南陸行=御厨港付近から伊万里までの東南方向への行程。
100
(1): 2021/04/04(日)13:57 ID:GfZRJjlt(2/2) AAS
厳密には、魏志倭人伝には、壱岐からマツラへの方向は示されてはいないが、
南北市糴なので、壱岐は、南方向にも市糴相手があるな。
101: 2021/04/04(日)14:01 ID:/eV8B+Vc(4/5) AAS
>>99
ま、伊都国を伊万里とするのは良いとして、
その後の東南100里奴国と、東行100里不彌国はどうなるのかな?  それを心配してやってるんだが・・・、
102: 2021/04/04(日)15:08 ID:MMPlVI5b(1/5) AAS
日本史板に書き込むための、無駄になってしまった努力のために、IDが、変わった可能性があるが、
僕達の元のIDは、GfZRJjltです。
ID:/eV8B+Vcに対して、意見を発表します。
「到は、中心に到る。
至は、境界に至る。
故に、伊都の中心から100里で、南東に至ったのは、あくまで、伊都と奴国の境界の関所です。
その関所または伊都の中心から、東100里には、伊都とフヤの境界の関所があった。」
という可能性があるな。
そして、伊都と奴国の境界の関所は、有明海と伊万里湾の分水嶺の何処かの峠にあった可能性があるな。
103: 2021/04/04(日)15:18 ID:MMPlVI5b(2/5) AAS
補足します。。
狗邪への行程は、中心地へ。。。到。
狗奴からの行程も、中心地から。
対馬、壱岐、への行程は、島北部の上陸地点。
対馬、壱岐からの行程は、上陸地点とは逆の島南側の出発地点から。
マツラ國への行程は、上陸地点。
マツラ國からの行程は、上陸地点から。
伊都國へは、中心地へ。。。到。
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