[過去ログ] はじめての認知行動療法 4 (1001レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
902: 2014/07/05(土)21:26 ID:xcx6nX8k(4/4) AAS
>>ヒュームの論を科学に適用する専門家がいるとは思いませんが
>は一緒だけどね。

>>900をよめばヒュームをわざわざ引用した意図がわかるはずです。
903: 2014/07/05(土)21:57 ID:iRxNVYbA(2/2) AAS
>現象論的法則と、それを説明する法則の二つは区別するべきです。

これを混同してる(でそれに気づかぬ)胡乱な人は、知識人レベルでもいるよね。
興味がちがうってだけなのに。
904
(2): 2014/07/06(日)10:44 ID:geNPbocp(1/5) AAS
>>877
まず、その文章は、俺が引用した「人(間本)性論」(A Treatise of Human Nature)じゃなくて、
「人間知性研究」(An Enquiry Concerning Human Understanding)の一つのパラグラフだ。
で、その引用している文章の和訳は
「それゆえに必然性と因果性の観念は、全く自然の作用のなかに観察されうる斉一性から発生するのである。
 その場合には、相似する対象は恒常的に連結され、心は習慣によって他方の出現から一方を推理するように決定される。
 これらの二つの事情は、我々が物質に帰属させる必然性の全体を形成する。相似する対象の恒常的連関、
 およびその結果である一方から他方への推理(inference)を越えては、
 我々は必然性あるいは結合のいかなる想念をも持たないのである」(渡部俊明訳 哲書房刊「人間知性の研究・情念論」118頁)

この文章は「想念、観念(notion)」の話であって、「ヒュームが自然的作用の因果関係を認めている」という俺の主張の反論にはなっていない。
省9
905
(2): 2014/07/06(日)10:48 ID:geNPbocp(2/5) AAS
ヒュームは自然的作用と自然的作用を観念する知性の問題を峻別し、
自然的作用の因果関係の存在を前提としていることは以下の文章で明白。

「言われるかも知れないこと、すなわち、自然の作用がわれわれの思惟と推論から独立であるということについては、
 私はこれを認める。それゆえに、私は、対象がたがいに隣接と継起の関係を持つということ、
 類似した対象がいくつもの事例において類似した関係にあることが観察できるということ、
 そして、これらすべてのことが、知性の作用から独立で、それに先行するということを、先に述べたのである」
 (木曾好能訳「人間本性論」第一巻 法政大学出版局1995年刊 198-199頁)
906
(1): 2014/07/06(日)10:49 ID:geNPbocp(3/5) AAS
おすすめの久米暁「ヒュームの懐疑論」において引用されている、
1745年のジョン・スチュアート宛の手紙でも、ヒュームは以下のように述べる。

「あることが原因なしに生じうるというような馬鹿げた命題を私は決して主張しなかったと言わせて下さい。
 私が主張したことはただ、その命題の誤りに関する我々の確信は、直感や論証からは生じず、
 ある別の源泉から生じるということです。カエサルが存在したこと、シチリアという島が存在すること、
 これらの命題に対してわれわれは論証的なあるいは直感的な証明を持たないと私は断言します。
 それらの心理やあるいはそれらの確実さまでも私が否定してると思います。
 確実性にはさまざまな種類があります。そして、それらのいくつかは、ひょっとすると、
 論証的な種類の確実性と同じようには完全でないにしても、精神にとっては満足のいく確実性なのです」(81-82頁)

のように、自然的存在の因果関係を否定していないこと、その認識も否定していないこと、
省1
907
(2): 2014/07/06(日)10:52 ID:geNPbocp(4/5) AAS
その他調べた本でも、ヒュームが自然的存在の因果関係自体を否定していると書いた本は見当たらなかった。
「一方でヒュームは、人間の行動等も含めて、自然を支配する因果の確実性を、蓋然性を超えた強度のものと考え、
 この点で自然の斉一性を必ずしも疑っていない。」(杖下隆英「ヒュームの因果論」お茶の水書房刊「デイヴィッド・ヒューム研究」67頁)

「ヒュームの議論はピュロニズムの議論ではないということである。
 セクストス・エンピリコスの述べているピュロニズムや、モンテーニュの「レイモン・スポンの弁護」における懐疑論は、
 『何ものについても、如何なる真なる証明も存在し得ない』という趣旨のものである。
 しかしヒュームは、われわれが物事を理解する仕方を二分(詳しくは三分)したのである。
 すなわち、(絶対的)知識(knowledge)と蓋然的知識(probability)を彼は分けた。
 このことは、すくなくともある種のアプリオリな知識をヒュームが認めていたことを意味する。」(神野慧一郎「ヒューム研究」368頁)

「自由と必然との伝統的な二項対立図式を乗り越えようとするヒュームの『調停プロジェクト』は、
省5
908
(2): 2014/07/06(日)20:11 ID:geNPbocp(5/5) AAS
>>881
>哲学が自然科学から脱落したのは、比較的最近の話です。
>19世紀の物理学者マッハは、感覚の分析』(1886年)や『認識と誤謬』(1905年)など、
>認識論の著作があります。

問題は、ヒュームの時代の話でしょ?

『人間本性論』の副題は、「実験的な推論法を精神の諸問題に導入する試み」となっている。
当時、哲学を、現代の自然科学に相当する「自然哲学」(natural philosophy)と、
人間精神に関わりのある諸問題を扱う「精神哲学」(moral philosophy)とに、二分する習慣があった。(中略)
副題に見られる「精神の諸問題」(moral subjects)とは、この意味での精神哲学に含まれる諸問題、
すなわち人間精神に関する諸問題のことである。」(木曾好能「ヒューム『人間本性論』の理論哲学」前掲木曾訳383頁)。
省11
909
(1): 2014/07/06(日)23:34 ID:AZL3rT6F(1) AAS
信頼するに足る根拠がない、の「信頼する」の主語が難癖ちゃんひとりだとすれば
「お前が信頼できないならそうなんだろう。お前ん中ではな」というだけの話なんだが
他に誰か信頼に足る学者とかで同じ主張してる人いるの?
910: 2014/07/07(月)00:35 ID:zF4Xoqux(1/5) AAS
>>904
話を整理すると、あなたはなぜ「治療効果の判定に作用機序解明が必要」なのか、その説明を一切与えなかった。
それで俺は、上記のあなたの信念(これこそ、疑うべき自動思考)の出所を問題にすべく、因果律とヒュームをもちだした。
明らかになったのは、「医療と科学」「因果関係と観察事実」等々について、あなたの認識にどうやら混同と混乱があること。
他人の信念上の混乱を外から指摘はできるが、収束させる義務はない。

以上。

今後、素人目でヒュームの解釈や解釈の引用をしても意味がない。
ask.fmなりで専門家をつかまえ、自分の解釈が正しいか尋ねてほしい。
911
(1): 2014/07/07(月)00:36 ID:zF4Xoqux(2/5) AAS
>>904
色々と書いてありレスしない後味の悪さが残るので、できるだけ答えてみたい。
もちろん専門家でないので内容を信じても責任はもたない。

> この文章は「想念、観念(notion)」の話であって、「ヒュームが自然的作用の因果関係を認めている」という俺の主張の反論にはなっていない

俺の『ヒュームの懐疑論 (久米、2005)』の理解によれば、ヒュームは、それまで信念体系の原理とされてきた因果律(や帰納法、外界の存在)が、
実は、観察と理性による推論では基礎づけされない、正当化されないものであることを提示した。
徹底的懐疑の末に外的事物を棄却したデカルトとはちがい、ヒュームは最終的に日常的な知覚認識と折り合いをつけたという意味で、
緩和された懐疑主義というそう。

ヒュームの人生におけるその採否は措くとして、彼の考察の結論は、自然的作用の因果関係の知覚を認めていない。

それを説明せよ、というのは良い問いではない。
省8
912: 2014/07/07(月)00:37 ID:zF4Xoqux(3/5) AAS
>>905
因果関係の認識とは、”対象がたがいに隣接と継起の関係を持つ”ことに必然性を認めること。

ヒュームは原因と結果があることはよろこんで認めているし、
原因の定義も行っている。
913: 2014/07/07(月)00:38 ID:zF4Xoqux(4/5) AAS
>>906
ヒュームの手紙のここでの引用意図は、

”事実に関するアプリオリな知識を想定する「合理主義」を批判しようとヒュームが考えていたからである。”
”ヒュームが、因果律や個別的な因果推理が直観や論証に基づかないと論じることで批判しようとしたのは、
それらを無理にアプリオリな知識として理解しようとする「合理主義」的見解であり、
それら因果律や因果推理そのものではない。”
(ibid., p82)

と続いて書いてありますが。

> 自然的存在の因果関係を否定していないこと、その認識も否定していないこと、
> その因果関係はある程度まで満足させれば認識論としても論証は確実である
省2
914: 2014/07/07(月)00:39 ID:zF4Xoqux(5/5) AAS
>>907
ヒュームには、因果関係を認める心の働きの原因を明らかにする目的があります。
上に書いたように、久米本では「従来の解釈」として因果関係の信念を否定しています。

また、外的事物の存在を是とする原理について、その理性的な基礎づけを疑うことから、
彼は外界存在についての懐疑をしめしています。

”基礎づけ主義的懐疑論解釈”(ibid., p28)

知覚のみが存在するとしたら、知覚されない因果関係はその実在性(自然的存在の因果関係)の足場を失うでしょう。

> 「自由と必然との伝統的な二項対立図式を乗り越えようとするヒュームの『調停プロジェクト』は
省4
915
(1): 2014/07/07(月)00:41 ID:yEZfHC3A(1/2) AAS
>>908
ヒュームより少し後の時代でも、
マッハのように優秀な自然科学者が哲学的考察を著すのは自然であった
といいたいわけです。
このことから、当時の科学の思考態度から哲学の影響を排除するのは難しいでしょう。

> 自然科学の方法を精神哲学(特に神への信仰)に持ち込むと
> 因果性はアプリオリなものではなく、懐疑せざるを得ない

形而上学の対象である因果律を認識学の問題として取り上げた、
という意味でも因果性がアプリオリであることに否定的ですね。

> 自然科学の因果関係の存否
省7
916
(1): 2014/07/07(月)00:55 ID:yEZfHC3A(2/2) AAS
これ以上何いっても仕方ないだろう。

あなたは何か専門性がありそうな人だ。だが分野と見方をかえれば、まるで、
魔女の箒を頭脳の神棚に飾り、先端技術を駆使する航空パイロットのような滑稽さがある。

実績ある立場なら、あなたはまわりに自分の信念を吹聴するのだろう。
それも、金持ちが富を自慢するのと同じく滑稽だ。
リアルでは、あなたみたいな連中の神託は、拝聴してにっこり冷笑・黙殺するが。
できることならもうレスは慎んでほしい。
917
(1): 2014/07/07(月)19:25 ID:E1lmXY8X(1/3) AAS
お前の主張は、
「ヒュームが因果関係を事実の間にわれわれが認めるものとしつつも、それは心の習慣に過ぎない」
俺の主張は、
「ヒュームは自然的存在の因果関係を認めている」ということだ。

で、俺は、
@ ヒュームは「自然的作用と自然的作用を観念する知性の問題を峻別し、
自然的作用の因果関係の存在を前提としていることは以下の文章で明白。」と指摘した(>>905)

「言われるかも知れないこと、すなわち、自然の作用がわれわれの思惟と推論から独立であるということについては、
 私はこれを認める。それゆえに、私は、対象がたがいに隣接と継起の関係を持つということ、
 類似した対象がいくつもの事例において類似した関係にあることが観察できるということ、
省10
918: 2014/07/07(月)19:27 ID:E1lmXY8X(2/3) AAS
B そしてヒュームは、「自然的存在に関する因果関係」については、
  「知覚に関する因果関係」に係る論を適用していないことを示した。(>>907

「一方でヒュームは、人間の行動等も含めて、自然を支配する因果の確実性を、蓋然性を超えた強度のものと考え、
 この点で自然の斉一性を必ずしも疑っていない。」(杖下隆英「ヒュームの因果論」お茶の水書房刊「デイヴィッド・ヒューム研究」67頁)

「ヒュームは、われわれが物事を理解する仕方を二分(詳しくは三分)したのである。
 すなわち、(絶対的)知識(knowledge)と蓋然的知識(probability)を彼は分けた。
 このことは、すくなくともある種のアプリオリな知識をヒュームが認めていたことを意味する。」(神野慧一郎「ヒューム研究」368頁)

「自由と必然との伝統的な二項対立図式を乗り越えようとするヒュームの『調停プロジェクト』は、(中略)
 その内容は、@あらゆる出来事は例外なき因果法則によって全面的に決定されている、
 Aこの決定は人間の自由および道徳的必然と全面的に両立する、という
省5
919
(3): 2014/07/07(月)19:28 ID:E1lmXY8X(3/3) AAS
なお、久米氏の本は、ヒュームの因果論に関する指摘はほとんどなく、あまり参考にならなかったので、
手紙の部分しか引用しなかったが、もう一度読み返してお前の指摘にちゃんと答えるようにする。

せっかく参照するよう指摘されたので、ちゃんと疑問に答えないと失礼だし、
この本は持ってるようだから、ちゃんとした話になるかと思うので。
920
(1): 2014/07/07(月)23:36 ID:qh8EiwNS(1) AAS
女子のウィンブルドン優勝の選手は、今回はスポーツ心理学のスペシャリストを
チームに入れて、効果があったそうだ。
ワールドカップのサッカーでも、どの国だったか同じ話を聞いた。
想像超えるプレッシャーを抱え、毎試合を良い状態で臨むのには
有効だったということ。

ただ彼らは健常者。つまり、予防と言う意味で、心のケアを施したんだと思う。
ここんとこ、予期不安などの対処の参考にしたい。
921
(1): 2014/07/08(火)07:33 ID:W0kbHHqv(1) AAS
AA省
1-
あと 80 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.021s