魯粛の天下二分の計はただの失策 (980レス)
上下前次1-新
112: 2021/11/23(火)19:43 AAS
>>111
魯粛伝の記述では長沙・零陵・桂陽の返還を要求しているから
江陵のみの返還要求はあり得ないので江陵含めた荊州4郡が妥当でしょう
孫権が劉備に貸した土地は江陵(+南郡)なのは間違いない
それの認識は当初から一致している
しかし劉備と孫権の交渉過程で江陵貸与は荊州貸与へ飛躍した形で約定を交わしたと推察できる
蜀側・後代の追記の中でさえ孫呉の荊州返還要求は不当であるという話は出てこないので
当時の感覚でもそれだけ孫権からの貸しは大きかったという判断だろう
113: 2021/11/23(火)19:47 AAS
AA省
114(1): 2021/11/24(水)23:49 AAS
飼い殺しを狙う周瑜も呉の別動勢力として劉備を利用しようとする魯粛もそれぞれ別の意味で劉備を甘く見てるという若造というオチ
115: 2021/11/25(木)00:03 AAS
ムシャ
116(1): 2021/11/25(木)08:00 AAS
>>114
劉備に江陵を貸したら、劉備は益州に攻め込んで征服した→魯粛の思惑通り
ここで劉備に江陵の返還を求めたら拒否された→当然のこと(このとき劉備は涼州を取ったら荊州を丸ごと返すと言ってるが、これはむしろ驚くべき譲歩とも言える)
なのでこの時の江陵返還要求は拒否されるのは分かりきってること。なので孫権が魯粛を詰るのはおかしい。
117(1): 2021/11/25(木)14:40 AAS
>>97
当時の魯粛の現状としてはまじでこれだったと思う
嘗めてたら犬に噛まれて焦ったのが関羽とのあれこれよね
118(1): 2021/11/25(木)16:17 AAS
>>117
嘗めてたとは言えるのか?
劉備が益州に攻め込んで征服したのは魯粛としては予定通りだろ
119(1): 2021/11/25(木)20:39 AAS
ちゃんとその後返還すると思ってたこと自体嘗めてたというか甘く見てたってことでいいかと
結局魯粛もぼっちゃんで劉備みたいなヤーさんと取引なんてするもんじゃないってこと
120: 2021/11/25(木)20:46 AAS
>>116
魯粛自体は江陵を返してもらわなくてもオッケーなんてどこにある?
呂蒙が関羽を殺す計画を立てて喜んだこと自体が江陵返還は生前からの呉の計画だろう
121: 2021/11/25(木)20:49 AAS
そして孫権が魯粛を責めるのは全くおかしくはない
魯粛が相手を甘く見てしまった(自分も乗った)ことの後悔だろうよ
122: ジャイアニズム 2021/11/25(木)20:56 AAS
所詮魯粛のような文官に歴戦の武官の劉備の相手は無理ということだ。
孫権ははやく魯粛を処断しておくべきだったのだ!
123: 2021/11/25(木)20:59 AAS
というかそうか江陵は劉備が返還するなんてあるわけないのが常識という前提なのがおかしいんだよ
呉からしたら蜀を劉備のものにするために荊州を攻略するまで援助するって方針だったんじゃないの
つまり荊州自体は呉が土地を与えて雇った劉備が働いただけで取ったあとはスポンサーの呉のものという認識だったんだろう劉備への報酬は蜀そのものこの契約で劉備も動いてた
そこをパクったから拗れたとしたら説明つく
124(1): 2021/11/25(木)21:13 AAS
>>119
魯粛は劉備が素直に返還するなんて思ってないだろ
125(1): 2021/11/25(木)21:43 AAS
>>124
思ってないけど南部三郡くらい返すだろうと思って
長沙・零陵・桂陽を要求したら見事に裏切られたのが魯粛
>>118が言ってる劉備が益州を取るのは想定していたかもしれないが、
益州奪取があまりに鮮やか過ぎた+孫呉の揚州からの北上が思い通り進まない結果
劉備≧孫権くらいのパワーバランスになったのが魯粛の誤算
だから孫権に「何やってんだ魯粛」くらい不興を買った
126(1): 2021/11/25(木)21:49 AAS
魯粛の長所は臨機応変である一方、裏腹に戦略は一貫性が無いともいえる
元々は長江を北限にした割拠政策を孫権に進めたものの、赤壁以後は揚州からの北上を目指しているし
赤壁の際は劉表の遺児と劉備が結託してたら組みましょう、
そうじゃなければ攻めましょうと言いつつも、結局は劉備との同盟を独断で進めている
(これは当時の貴重な戦力を取り込むうえではファインプレーになったが)
特に赤壁での独断専行が上手くいきすぎて
劉備という爆弾を甘く見すぎて荊州では足元をすくわれた
127(1): 2021/11/25(木)21:52 AAS
>>125
>益州を取るのは想定していたかもしれないが
ってか益州をとってもらわないと困るだろ。
劉備に益州をとらせて曹操への対抗勢力を作ることが目的なんだから
128(1): 2021/11/25(木)21:55 AAS
>>127
取ってもらわないと困るけども
劉備≧孫権までになるのは望んでいないのが魯粛の立場だよ
魯粛とすれば孫呉の勢力拡大と同歩調で進んでくれると
孫権>劉備の優位性が維持できたが、それが崩れたから魯粛の外交が行き詰った
そういう意味では劉備の益州奪取はあまりに鮮やか過ぎた
129(1): 2021/11/25(木)22:30 AAS
>>128
益州(ただし漢中は除く)をとったからといって劉備≧孫権にはなってないって
130: 2021/11/26(金)07:16 AAS
孫権が荊州を欲したのは親父と兄貴の悲願でもあったからというのがデカそう
実際に荊州を手中に収めたら孫権が曹操と積極的に戦ったかどうかは分からんが
131(1): 2021/11/26(金)07:56 AAS
215年の長沙・桂陽・零陵侵攻はこんなところ
劉備に江陵返還要求、これは拒否されることは最初から分かってる上で要求。
つまり大義名分作りの工作、実際には江陵ではなく長沙桂陽零陵に侵攻。
怒りに任せたのではなく、計画的行動。
この時、曹操が漢中に侵攻・占領した時期であり、それを見計らった上での行動だろう。
劉備は益州でも曹操と隣接することになるので呉との本格的な対立は避けたい状況になっている。
呉はそれを利用している。
で、長沙桂陽零陵を占領した後には呉蜀が和睦、つまり外交的決着をつけている。
双方ともガチギレにならないように気をつけている(呂蒙の後年の荊州侵攻はこの点の配慮なし)
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