魯粛の天下二分の計はただの失策 (982レス)
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925(1): 2023/09/17(日)14:22 AAS
>そもそも劉備が劉表の勢力を奪って、荊州のほぼ全部を領有し、益州に侵攻して三国鼎立する目論見だったので
お前の理屈から行くとこれも、曹操の肥大化を予見できず初手から頓挫したことになる。
こんな失敗くらいで諸葛亮の評価は下がらないと思うが、まさか、お前はこの諸葛亮の失敗も問題視するのか?
何を言ってるか分からないが・・・諸葛亮の戦略の下は新野の劉備を三国の一角まで飛躍させた。
魯粛の達成率0%に近いゴ〇策とは全く異なり部分的成功ではある。
諸葛亮だって完全成功ではないが、提言当時から考えると物凄い飛躍。一緒にするな
>より弱い劉表を狙うのは、妥当な戦略だろう。
できてないから妥当ではない。そもそも全然国力が上がってない。
>魯粛の天下二分の計と言われてる進言は、201年春ごろ。曹操は官渡の前哨戦で袁紹の侵攻を撃退してる頃。
>孫権に初めて謁見した時なので、官渡の戦いの決着がついた10月よりは前なのは間違いない。
省3
926: 2023/09/18(月)00:17 AAS
>>925
諸葛亮が最初に劉備に示した天下三分の計は、初手の方法として劉表政権を乗っ取って自立する策なので、
その初手は失敗した。
魯粛の天下二分の計の、初手の曹操の隙を突いて荊州を奪う策が失敗した事をもって魯粛を100%否定するお前が、
これを理解できないのはおかしい。
まあ、そんな本質から外れた事で諸葛亮の天下三分の計の価値が下がるわけではないのはお前も分かるはずなのに
頑なに本質から外れた領土拡大の話ばかりしてるのは愚かすぎる。
魯粛の天下二分の計は具体的な方策は失敗した。領土拡大も出来なかった。
にもかかわらず、同時代から現代まで高く評価されてきた理由を少しは考えてみたら?
領土でしか成果を語れない無能には分からんか。。。
省5
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