[過去ログ] アイヌの歴史 Part8 (1002レス)
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74: 2021/05/23(日)09:46 ID:0(74/1000) AAS
>>73
これら全てと矛盾なく整合する、北海道アイヌの起源についての仮説モデルはどのようなものでしょうか。
現在、大きく分けて二つの仮説モデルが存在しています。
一つ目は、アイヌは樺太以北のどこかで民族を形成したというものです。それが、1264年から始まったモンゴルによる攻撃を逃れるために北海道にそっくり居住地を移したというもの。
これが私の動画で呼ぶところの「長浜仮説」です。
もう一つは、「北海道が起源だとするあいまいな仮説」です。
北海道アイヌ文化が樺太以北のオホーツク文化の影響を強く受けていること自体は確定的であり、異論が存在しません。
しかし、北海道アイヌ文化の形成については、「オホーツク文化と擦文文化が融合して生まれた」とのみ説明されるのが定番です。
しかし、この説明においては、アイヌ文化の担い手がどのような人々だったのかは曖昧にされているように思えます。
これは、三つの可能性を想定できます。
1・オホーツク文化の担い手である「樺太アイヌ」と呼ぶべき北方の民族が北海道に大量に移住してきた。
彼らは擦文文化と交流することによって文化が部分的に融合、変質し、北海道アイヌ文化を形成した。
これは、事実上長浜仮説と同一です。
2・北海道に住んでいた擦文文化の担い手たちが、「樺太アイヌ」を含むオホーツク文化の担い手たちと、交流、交易をするうちに文化面での影響を受けることで、北海道から居住地を移動することなく、擦文文化から北海道アイヌ文化へと「文化のみを変質」させた。
3・これに加え、上記の1と2の中間的な仮説が考えられます。
つまり、一部の人々は樺太以北から移住してきて、元々住人だった人々と交流混血し、両者の文化が融合しあって生まれたのがアイヌ文化であるというものです。
恐らく、殆どのアイヌの起源についての説明は、このような形を想定しているのだろうと思います。
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