【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 (555レス)
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407: 2024/08/26(月)06:50 ID:0(407/555) AAS
>>406
ワーテルロー戦役にダヴーがいたらと言う論争に終止符が打たれるなw
408(1): 2024/08/26(月)06:59 ID:0(408/555) AAS
>>406
ダヴーのメンタルを徹底的にえぐりにきてるナンスーティw
409: 2024/08/26(月)09:13 ID:0(409/555) AAS
>>406
元帥になってもおかしくない実力があるコイツらが遂になれなかったのは…
性格に問題がありすぎて敵が多かったからw
これ豆知識な
410(1): 2024/08/26(月)09:36 ID:0(410/555) AAS
ナポレオンの参謀部が現代のそれとは異なるものだったってのはよく知られた話だが
じゃあ具体的にどんな仕事をしていたのかというと、フラーの制限戦争指導論によれば
ベルティエの下にいた参謀長補佐たちは今日でいう主計総監に相当したそうだ
411: 2024/08/26(月)09:40 ID:0(411/555) AAS
ナポレオンが陸軍省の人事を皇帝副官にやらせてた(つまり自分の眼が届くようにしていた)反面
参謀部のほうはベルティエに任せっぱなしだったってのは、要するに興味がなかったんだろう
いや主計総監だって重職には違いないんだが、ナポレオンとしては自身の作戦立案が適切に遂行される限り
その仕事を誰がやっているかは意に介することもなかったのでは
412(1): 2024/08/26(月)09:47 ID:0(412/555) AAS
長谷川ナポレオンで劣勢の軍が「全てを握る主計長が捕虜になりました、立て直しは不可能です」て報告を受けて和睦交渉に入ってたけど
そんなに大事なのか
413: 2024/08/26(月)15:27 ID:0(413/555) AAS
>>412
リソースマネジメントの要だから・・・・
414: 2024/08/26(月)16:43 ID:0(414/555) AAS
>>408
ナンスーティの元上官が高潔な人格者で知られ部下から絶大な人気を誇ったオートポールなのが皮肉
415(1): 2024/08/26(月)19:56 ID:0(415/555) AAS
>>410
ナポレオン期の主計総監的な役割やってたのベルティエの子分たちじゃなくてダリュなはず
まあナポレオン時代の軍政部門ってナポレオン本人の口出しの激しさ&分権への忌避
陸軍大臣だがお飾り気味なクラークや側近の関与で誰に権限あるかコロコロ代わるが
416: 2024/08/26(月)20:41 ID:0(416/555) AAS
ワーテルローで勝ったとしてもナポレオンはそこからどれだけ盛り返せた?
何か最終的着地点はあったんだろうか
417: 2024/08/29(木)15:03 ID:0(417/555) AAS
>>415
ダリュがやってた仕事は軍政レベル、ベルティエの子分たちのは軍令レベルじゃないかな
フラーはオカルトがかった極右おじさんで、個人的にはあまり引用したい人じゃないけどね
418(1): 2024/08/29(木)15:09 ID:0(418/555) AAS
ライプチヒ後に「ライン川とアルプスの自然国境で手打ちしよ」と言われてたのを蹴ったんでしょ?ナポ
ワーテルローで勝ってもライン川で止まる気がないのなら、早晩破滅しそう
419: 2024/08/29(木)15:55 ID:0(419/555) AAS
百日天下時代は議会がそろそろ講和しろって言ったら従いそうだけどね
良くも悪くも
420: 2024/08/29(木)20:20 ID:0(420/555) AAS
>>418
蹴った原因の一つは国務長官マレの進言が大きいと言われてるな
タレーランやフーシェばかり目立ってオミットされがちなナポレオンの文官側近の一人
421: 2024/08/30(金)13:29 ID:0(421/555) AAS
ラファイエット「戦争で国民を苦しめる皇帝はいらないと追放したら、絶対王政を信奉するブルボン王家が復古したでござる……」
422: 2024/08/30(金)13:59 ID:0(422/555) AAS
七月革命において若手の共和主義者達が「オルレアン公は反動化するのでは?」と危惧したけど「君達はまだ若いからオルレアン公をよく知らないのだ。オルレアン公については私がよく知っている。オルレアン公は反動しないと保証しよう」と大見得を切ったラファイエット
ラファイエットのバックアップを受けて即位したオルレアン公がどうなったかというのはその後の歴史が語る通り
423: 2024/08/30(金)14:07 ID:0(423/555) AAS
ラファイエットは1814年や1815年にもオルレアン公を擁立できないかと思っていたが
オルレアン公は父親が革命中にかなりブルボン王家と対立していたのでしばらくの間は大人しくしている必要があった
しかも百日天下ではルイ18世について行かずイギリスに亡命する独自の道を選んだので第二次王政復古でも評判はよくなかった
それでもオルレアン公とラファイエットは七月革命までずっと自由主義王党派の象徴ではあった
424: 2024/08/30(金)15:26 ID:0(424/555) AAS
ラファイエットはなんというかやる事が空回りしているって印象だな
しかもマイナスな方向に転がっていくという
本人は100%善意なのがタチ悪い
425(1): 2024/08/30(金)15:37 ID:0(425/555) AAS
シャン・ド・マルスで共和派の平和的な嘆願署名を銃撃で追い散らしたのが善意なはずないだろ
426(1): 2024/08/30(金)16:49 ID:0(426/555) AAS
>>425
軍隊に投石した市民を鎮静化させようとパリ市長が威嚇発砲をやらせたところ、市民がかえってパニック状態になって押し合いへし合いになったのが実情
死者は多くて15名しかおらず、しかもパニックに巻き込まれて圧死だったのが判明している
だから今では虐殺でなく単なる威嚇発砲による事故だと扱われている
これがどうして虐殺とされたかというと、情報が錯綜した中で3000人が虐殺されたと誤報が広まり、みんなが信じ込んでしまったから
一説によると、共和主義者達がラファイエットをはじめとする立憲王政主義者を陥れるために、わざと大袈裟に喧伝したのだともいわれている
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