紀州【中上健次】熊野 2 (440レス)
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146(2): 2022/07/04(月)21:06 ID:6aWFGM6b(3/3) AAS
>>145
やっぱり、NAMでしたか。
中上健次はなぜ、社青同解放派と接点が無かったのか、
という疑問がある。柄谷も中上が部落出身であることを
長らく知らなかったらしいが。中上の芥川賞受賞作を読
んで直ぐに、高校時代に部落解放運動を経験してた俺の
友人は直ぐにピンと来て、大学の学園祭の講演者として
中上を呼び、鋭い質問を発して中上を狼狽えさせた。
それは、中上の故郷に対する思いについて尋ねたのだっ
たが。
147: 2022/07/04(月)21:49 ID:iioa4Qpx(5/6) AAS
>>146
プルードン→ソレル→ファノン→中上
なるほど、深読みすれば、NAM的には、↑のように言いたいのですかね。
148: 2022/07/04(月)22:45 ID:iioa4Qpx(6/6) AAS
×ヴァイオランス
〇ヴィオランス
149: 2022/07/07(木)13:20 ID:+8wLWZ7s(1/3) AAS
>>146
社青同解放派は、ローザ・ルクセンブルク主義的で、レーニン主義にたいしては批判的だっただろう。
だとすると、本源的(原始的)蓄積は、資本主義の成立時の一過性のものではなく、
資本主義社会においても継続しているプロセスだという考え方をとっていたはずだ。
150(1): 2022/07/07(木)13:30 ID:+8wLWZ7s(2/3) AAS
中上文学には、「路地」=内国植民地という見方があるだろう。
「ポスト・コロニアル資本主義と移民の自律性」
北川眞也
「植民地主義とは暴力であり,その質については様々であるが,特に以下の2点が強調されてきた。ひとつは法外の暴
力(ファノン1969,ンベンベ2005),もうひとつは本源的蓄積の暴力(マルクス1973,ルクセンブルク2001,Mezzadra 2008)
である。双方を厳密に分離させるのは困難ではあるが,本報告は主として後者から問題にアプローチする。
『資本論』第1巻でマルクスによって論じられた本源的蓄積は,生産者と生産手段を切り離す過程として,自らの労働
力を売ることでしか生存を維持できない賃労働者をつくりだす「資本の前史」として位置づけられている(「血と火の文
字で人類の年代史に書き込まれている」(1973:933))。この暴力的過程を経て,労働力商品の存在と売買が自明視される資
本主義社会が成立するとされた。
省7
151: 2022/07/07(木)14:44 ID:a303S2Q8(1) AAS
マルクス主義理論を中上文学にはめこもうと必死だな
時代遅れで、カワイソス
152: 2022/07/07(木)14:52 ID:+8wLWZ7s(3/3) AAS
019.12.24特集
講演 交換様式と「マルクスその可能性の中心」
文:柄谷行人
文學界12月号
そういうことは柄谷行人先生に言ってください。
153: 2022/07/07(木)21:55 ID:5jLmKT2o(1) AAS
柄谷はあと数年しか生きられない年寄りだから放置でいい
マルクス主義と生きた人生をもう否定できはしない
問題はいま40歳前後のマルクス主義者で、転向するなら最後のチャンスだ
154: 2022/07/07(木)22:29 ID:aL/WaULN(1) AAS
マルクスという意味という病
155(1): 2022/07/08(金)07:41 ID:yZmr/3fI(1/3) AAS
>>150
>>中上文学には、「路地」=内国植民地という見方があるだろう。
その一方で18世紀西ヨーロッパのロマン主義のgeopoeticsの高山への憧れの反対が路地と
いう気も捨てられないw少なくとも、中上は路地にロマンを抱いていた。
路地は植民地というよりも、縄文という先住民族の居住地の残存ではないか?
156(1): 2022/07/08(金)08:30 ID:yZmr/3fI(2/3) AAS
>>155
自己レスだが、路地を近代人の眼で見て、「路地は強者に追い立てられたマイノリティ弱者がいやいや住まわされた場所である」
という考えには疑問がある。
古代のトロイとギリシャが戦ったトロイ戦争だが、ヨーロッパで迷路のことをtorojaborgトロヤンブルグともいうが、迷路は嫌われる
場所ではない。
157: 2022/07/08(金)08:39 ID:yZmr/3fI(3/3) AAS
>>156
付け加えると、迷路は路地の典型としてある。
158(1): 2022/07/08(金)08:52 ID:aEHo38jq(1) AAS
というか中上の実父と母は生粋の新宮の同和地区出身じゃなくてどこかから流れて住み着いた人たちなんでしょ?
159: 2022/07/08(金)23:33 ID:21CgDAS/(1/2) AAS
絶対的非暴力は結局のところ、すでにでき上がった世界、それもうまくでき上がった世界という観念に立脚している。」
「われわれは純粋さと暴力のあいだで選択するのではなく、多様な種類の暴力のあいだで選択するのである。われわれが受肉している限りで、暴力とはわれわれの宿命なのだ。」
(メルロ₌ポンティ「ヒョーマニズムとテロル」)
160: 2022/07/08(金)23:34 ID:21CgDAS/(2/2) AAS
×ヒョーマニズム
〇ヒューマニズム
161: 2022/07/09(土)13:11 ID:l12ogm4P(1) AAS
いちいち訂正しなくてもわかるわバカ!
162(1): 2022/07/10(日)14:21 ID:jmOGTJYL(1) AAS
>>158
?部落民じゃないってこと?
163: 2022/07/11(月)12:33 ID:MqLo3DUA(1) AAS
高山 文彦 著 『エレクトラ―中上健次の生涯』
外部リンク:kmoto.exblog.jp
健次は母ちさとにとっては、六番目の子であった。父親は戸籍上木下勝郎となっているが、実父は鈴木留造といい、背中に荊の刺青をしているところから「イバラのトメ」と異名を持つ荒くれ者で、背丈は百七十センチあまりあり、筋骨隆々とした体つき、指の関節はごつごつして木の節のように太かった。「三度の飯より喧嘩好き」と自分からも言っている。
鈴木留造は三重県の南有馬の被差別部落出身の私生児で、戦後直後の混乱期に流れ者のようにして新宮にやってきた博徒であった。またちさとも八人兄弟の末っ子として生まれ、戸籍上の父親は丸太を曳く馬の下敷きになって死んだ後、母親が別の男と出会って生まれた私生児だった。
ちさとは木下勝郎と所帯を持ったが、夫を失って終戦前後四人の子供を食わせるために行商人となり闇市に出入りしていたときに留造と出会った。ちさとはまだ二十八歳の女盛りで、留造と夫婦同然のように生活をしていた。
しかし留造は自分の男ぶりにものを言わせてよそに女を二人もつくり、一人の女に子を孕ませた。ちさとがそれを知ったのは健次を身籠もって半年を迎えた頃だった。ちさとは自分から留造に三行半を突きつけた。
つまり健次は母親も父親もよそ者の私生児の血を引く「部落の落ちこぼれの子」だったのだ。
164(1): 2022/07/12(火)08:07 ID:6+7wja9g(1/2) AAS
>>162
貴種流離譚もありますよ、ぐらいで良いんじゃ?
165(1): 2022/07/12(火)10:45 ID:3lZ7mZdQ(1) AAS
>>164
?
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