紀州【中上健次】熊野 2 (440レス)
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141(1): 2022/07/04(月)15:41:46.66 ID:iioa4Qpx(2/6) AAS
「俺、それまで大江健三郎の影響をものすごく受けていて、戦後民主主義の路線にとらわれていた。そうなんだ、平和と民主主義をほとんど鵜呑みという感じでね。それが、あの一〇・八でゲバ棒を持ったとき、一八〇度転換した。無茶苦茶に殴りかかってくる機動隊に対して、自衛のために棒を持ったわけだろう。その棒一本で、完全に大江健三郎の言ってることなんかが引っくり返った。
要するに、暴力に対してどう思うか、暴力をどんなふうに位置づけるかということなんだ。
それで、いろんな本を読んだよ。その中で、なるほど、これじゃないかと思ったのがフランツ・ファノン。暴力には二種類ある。権力をフォルスと言う、それに対して抑圧された者が押し返す力をバイオレンスと言う。これが暴力なんだとファノンは言うわけね。だから、暴力というのは、弱い人間にふるうものとは違うんだ。弱いからこそ打ち返すんだという暴力論が、俺たちの間で信念となっていた。
目がさめた気がしたね。あっこれなんだと思ったんだよ。それで俺は大江を超える、大江の文学論からの呪縛を超える。それは同時に、戦後民主主議を超える論法を身につけることなんだ。そうすると、俺は自前で考えなくちゃいけない。それで、二十二ぐらいのときに初めて、自前でものを考えるということが出てきた。
そうだね。その頃、すでに書き始めていたから、そういう考え方はぴったり俺の書くものにくっついている、そうだろう。しょっちゅう機動隊に殴られていたんだよ、それまで。それで自衛のために棒を持って打ち返した。そのとき、打ち返さなくちゃいかんという」論法に転換したんだよ。」
(つかこうへいによるインタビュー。『中上健次発言集成5』p138-9、及び『現代文学の無視できない10人』所収)
↑の中上健次の言うことには、どうやら記憶違いがあるらしく、「弱いからこそ打ち返す暴力」云々というのは、
ファノンではなく、ジョルジュ・ソレルの著書の書いてることなのだそうだ。
ただ、著者について記憶違いがあったとしても、論旨は変わりないだろう。
144: 2022/07/04(月)20:16:32.66 ID:iioa4Qpx(3/6) AAS
>>142
関根洋司という人が書いていた。どういう人なのか知らないが、
この方のブログを読む限りでは、かなり知識が豊富な人なので、
間違いはないだろう。
ソレルの「暴力論」では、暴力には二種類あって、
ひとつは体制側のフォルスとしての暴力、これは軍事力・警察力など国家の暴力装置の働きの全般、
もうひとつはヴァイオランスとしての暴力で、これは労働者の意志からの自然発生的なものであり
必ずしも物理的な力の行使ではなく、たとえばストライキやサボタージュのような
むしろ平和的な形をとって現れるべき暴力ということだ。
確かに中上健次のいったこととだいたい同じである。
170: 2022/07/12(火)21:07:49.66 ID:xuWiZptx(1) AAS
松根東洋城 - 俳人。侯爵・伊達宗城(武家華族)の孫。
吉井勇 - 歌人。伯爵・吉井幸蔵(勲功華族)の長男。1926年5月15日 襲爵。
白洲正子 - 芸術評論家、随筆家。白洲次郎の妻。伯爵・樺山愛輔(勲功華族)の次女。
鶴見俊輔 - 哲学者、評論家。伯爵・後藤新平(勲功華族)の外孫。
川本三郎 - 評論家。子爵・西四辻公堯(公家華族)の外孫。
省2
191: 2022/07/25(月)14:47:21.66 ID:rP8w80n8(1) AAS
?
193: 2022/07/25(月)21:00:55.66 ID:ir3+zJ+o(1) AAS
>>179
>>192
詳しくどうもありがとう!
259: ホプキンス ◆hxaYiGe.B6 2022/08/04(木)23:01:28.66 ID:e4Nj5y4v(1) AAS
言われてみてみるとガチャピンたしかにかわいいね!
手足が短いのと困った目してるとことか
285: 2022/08/09(火)18:30:42.66 ID:Ucs0bvaF(1) AAS
「物語こそ、わたしの議論のかなめであり、わたしの基本的な観点とは、探検家や小説家が世界の未知な領域について語ることの核心には、物語がひそむこと、また物語は、植民地化された人びとが、
みずからのアイデンティティとみずからの歴史の存在を主張するときに使う手段ともなるということである。帝国主義における主要な戦いは、土地をめぐるものであることはいうまでもない。
しかし、誰がその土地を所有し、誰がそこに定住し耕作するのか、誰が土地を存続させるのか、誰が土地を奪い返すのか、誰がいま土地の未来を計画するのかが問題になるとき、
こうした問題に考察をくわえ、異議をとなえ、また一時的であれ結論をもたらすのは物語なのである。ある批評家が示唆したように、国民そのものも物語である。物語る力、
あるいは他者の物語の形成や出現をはばむ力こそ、文化にとっても帝国主義にとってもきわめて重要であり、文化と帝国主義とをむすびつける要因のひとつともなっている。
きわめつけに重要なこと。それは植民地世界では、解放と啓蒙という大きな物語が、ひとびとを動員して、帝国主義的隷属に対してたちあがらせ、帝国主義を打破せしめたことであり、
その過程において、多くの欧米人もまた、そうした物語や、物語の主人公たちに心うごかされ、平等と人間の共同体をめぐるあらたな物語のために戦ったことである。」
(サイード著大橋洋一訳「文化と帝国主義」)
304: 2022/08/27(土)00:42:15.66 ID:2B+BiEkR(1) AAS
よし、『文藝』編集長頼むわ。実現したら久しぶりに『文藝』買うから。
361: [さげ] 2023/06/13(火)08:15:02.66 ID:8OW5y167(1) AAS
>>357
エンタメ小説は同時代に売れても結局後世に残らない
国語便覧の文学史を見てもエンタメは入っていない
娯楽として一時の退屈しのぎになるだけで、
それ以上の価値はないのがエンタメ
岩波文庫の緑にエンタメは入らない
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