[過去ログ] 太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (1002レス)
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97
(1): 03/17(日)21:37 ID:JtVU7Tx90(1/2) AAS
>>81
やっぱりアメリカの裏口参戦説はガチっぽいな
当時、ソ連はドイツに敗北寸前だったし、
チャーチルもスターリンもアメリカの参戦を待ち望んでいた
98
(1): 03/17(日)21:47 ID:vi4yRNVe0(2/3) AAS
>>78
石原が参謀総長として全力で開戦に反対してくれればまあ負けてはいないだろう

開戦後は誰が参謀総長やろうと敗北必至
そもそも陸軍はそれほどまずい戦をやったわけではない 主要な戦で陸軍に大きな責任ありと言えばポートモレスビーやインパールくらいだろう

ほとんど全て海軍のやらかしたツケを払ってばかり ガダルカナルもブーゲンビルもマリアナもフィリピンも全て海軍の不誠実と虚言によって陸軍が振り回された
本来制海権のない島嶼戦で勝てるわけがない 弾薬なく糧秣なく増援もない 艦砲と空爆で叩かれ放題の状況であれだけ戦えた陸兵の敢闘は鬼神も泣く

参謀総長に海軍の指揮権がない限りハンニバルだろうとナポレオンだろうと孔明張遼だろうと勝てはしない
99
(1): 03/17(日)22:17 ID:JtVU7Tx90(2/2) AAS
>>98
陸軍のやらかしたツケが日本を日米戦争に巻き込んだんだろ
陸軍が被害者ヅラするな
100: 03/17(日)22:27 ID:vi4yRNVe0(3/3) AAS
>>99
開戦前は陸軍が問題児だが開戦後は海軍が問題児
いずれにせよ最大の被害者は、問答無用で徴兵された一兵卒の陸兵たち 戦死者のほとんどが彼ら兵隊さんなんだから
101: 03/17(日)23:05 ID:kX0k+PaS0(1) AAS
開戦した時点で負けは決定だろw
いくら戦略を練っても、何しても無駄。
むしろ、ギリギリのところで負けつつ陸軍の続戦勢力を説得させ、なんとか敗戦を納得させるのが正道
102: 03/17(日)23:26 ID:Qki5UA6j0(4/4) AAS
>>0093
ベルサイユ-ワシントン体制下で共産主義はほぼ抑え込まれていた。
共産国はソ連とモンゴルしかなく、中国共産党は国民党に追い詰められていた。
その体制を崩し、共産主義を拡大する機会を与えたのが、日独伊である。
壁どころか、共産主義を助長する存在だったのが枢軸だ。

>>0098
日中戦争の時と同様に、あんた(石原)の真似をしていると言われて沈黙するのがオチだよ。
103: 03/18(月)07:05 ID:1uMjIOKo0(1) AAS
>>97
つまり自ら真珠湾と南進をやった大日本帝国のマヌケはガチ
104
(1): 03/18(月)10:07 ID:DOAnUIQR0(1/4) AAS
今の時代も天才の真似をアホがうわべで真似てよく失敗してるだろw
満州事変と日中戦争は事前の構想が全く違うw
105: 03/18(月)10:09 ID:DOAnUIQR0(2/4) AAS
>>96
三国同盟を組むころにはドイツがソ連に攻め込むのはヨーロッパのスパイたちは周知の事実だったらしいぞ大島w
106
(1): 03/18(月)11:38 ID:kjCSRuwf0(1/4) AAS
>>104
で、それを論破も制止もできなかった石原莞爾は本当に天才だったのかって疑問に思うのだが。
最終戦争論にしても、戦争を以って戦争を養う主義にしても、満州事変にしても、自分の都合のいいように論を組み立ててるだけで、失敗した際の挽回策とか次善策とか全く語られてないんだよなあ。
現に、満州国からして石原の構想通りになってないわけだし。
107
(3): 03/18(月)12:15 ID:cMr5eiC50(1/7) AAS
それにしても22万の張学良軍が1万5千以下の関東軍
に敗れて満洲から追い出されるとは、張学良軍弱すぎ。
108
(1): 03/18(月)13:32 ID:cMr5eiC50(2/7) AAS
>81
グリア号事件(予備知識)
(九月四日の)アイスランド沖の事件は、米海軍駆逐艦グリア号が、英国軍機と共同で対潜作戦を実施した結果、発生したものであった。爆雷を水中投下して、ドイツUボート(U652)を追尾していたのである。追い詰められたUボートが魚雷により反撃した。それにも関わらずルーズベルトは、ドイツに非があると一方的に避難した。彼は国民にラジオ(いわゆる「炉辺談話」)を通じてそれを訴えたのである。サンボーンは、ルーズベルトの態度はドイツに最初の一発を撃たせるために計画された挑発そのものであったと断じた。しかし、ドイツはこの誘いに乗らなかった。豪を煮やしたルーズベルトが、ドイツ潜水艦は発見し次第、攻撃せよと命じたのは九月十一日のことであった。
出典:『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(ジェフリー・レコード著 渡辺惣樹訳 草思社)p.134

原注:サンボーン:Frederic R. Sanborn 歴史家、法律家。セントジョン大学法学部教授などを歴任。
109: 03/18(月)15:11 ID:cMr5eiC50(3/7) AAS
≻102
≻ベルサイユ-ワシントン体制下で共産主義はほぼ抑え込まれていた。共産国はソ連とモンゴルしかなく、その体制を崩し、共産主義を拡大する機会を与えたのが、日独伊である。

そうかな。ワシントン体制は「1922年(大11)年のワシントン諸条約によって確立された太平洋における平和の枠組み」(『平和はいかに失われたか』p.6)
のことでしょ。

≻中国共産党は国民党に追い詰められていた。

国民党が反共に転じたのは1927年(昭2)の四・一二クーデターからで、それまでは毛沢東の瑞金の根拠地を野放しにしていた。1936年(昭11)12月の西安事件以後の第二次国共合作ではソ連からかなりの武器支援も受けている。

≻その(ワシントン)体制を崩し、共産主義を拡大する機会を与えたのが、日独伊である。
省4
110: 03/18(月)15:22 ID:cMr5eiC50(4/7) AAS
>91

モンゴルの赤化
>1924年の話で直前とは言えんな。

では、「直前」を「前」と云い直そうか。

≻赤軍の支援もモンゴル人民革命党の要請を受けてのもので、モンゴル人自身の決断だ。

こんなもの、ソ連軍進駐の単なる言い訳でしょ。「モンゴル人民革命党の要請」が、モンゴル人の総意に基づく決断と言えるのかい?
1956年のハンガリー動乱も、ハンガリー政府の要請だとか抜かしてソ連軍戦車部隊はブタペストを制圧して民衆に銃をぶっ放したよな。こういう理由づけは自作自演のニセ旗作戦と変わらず、問題の本質を矮小化するものだ。
省1
111
(1): 03/18(月)17:50 ID:kjCSRuwf0(2/4) AAS
>>107
張学良直属の部隊は華北に出張中。留守部隊は基本的に対ソ警戒で動けない。
そんな状態で各部隊をつなぐ中枢である奉天を抑えられた。
奉天の部隊は、張学良と蒋介石に日本との交戦を禁じられており、錦州に後退。後にはその錦州も攻撃され後退することになる。
黒竜江省軍や吉林省軍は分断され、日本とソ連に挟み撃ちに近い状態に置かれた。
吉林省では省長に熙洽が日本の後援で着き、日本に服属。従わなかった軍の一部は朝鮮軍の来援を受けた日本軍に討たれた。
黒竜江省では後に満州国総理になる張景恵が省長に着き、日本に服属。馬占山も黒竜江省長の座を譲る事で懐柔した。

朝鮮軍の速やかな来援があった。
主力の留守を狙い、中枢を抑え留守部隊の通信連携を断ち、、孤立し対ソ警戒で動けない部隊を各個撃破&トップのヘッドハンティングで懐柔した。
共産党と交戦中だった蒋介石が、外交的解決を図ろうと抗戦を禁じていた。
省1
112: 03/18(月)17:51 ID:cMr5eiC50(5/7) AAS
109だが、文章が一部おかしいので、その部分を書き直す。

X「ワシントン体制ができた頃はソ連共産党のロシア革命から5年くらいしか経っておらず、まだ揺籃期だった。」

〇「ワシントン体制ができた頃はロシア革命から5年くらいしか経っておらず、まだソ連共産党の揺籃期だった。」
113: 03/18(月)18:00 ID:cMr5eiC50(6/7) AAS
>111

それら全部の要因を含めても弱すぎ。こんな役立たずの無駄飯喰らいどもの軍隊を養っていたとは、満洲の民衆がカワイソすぎる。
114
(1): 03/18(月)18:15 ID:DOAnUIQR0(3/4) AAS
>>107
もう少し権力があったらなw
つか今の中国はモンゴル独立は認めてるのかw
115: 03/18(月)18:16 ID:DOAnUIQR0(4/4) AAS
>>107×
>>106
116: 03/18(月)18:36 ID:cMr5eiC50(7/7) AAS
>114
>つか今の中国はモンゴル独立は認めてるのかw

内モンゴルについては認めていないだろ。最近は地元住民にモンゴル語の使用すら禁じているという報道があったばかりだ。
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