[過去ログ] 日蓮って ver.28 (841レス)
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17: 2014/06/04(水)22:38 ID:j/+KBEzH(3/3) AAS
>>12

『其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。
是の諸の菩薩は身皆金色にして、三十二相・無量の光明あり。』

これ、涌出品からなのですが、
必ずしも三十二相は仏の特権ではないみたいですね。
この説からしてみて、日蓮があの木絵二像開眼之事と照らし合わせて考えてみるのも面白いかも。
「法華を心得たる菩薩さえにも心法があれば三十二相を具える」と解釈ができますね。

>>16
特殊体質な皮膚呼吸の相が具わっているのかもしれませんね。
18
(1): 2014/06/05(木)07:00 ID:EbyaxM7u(1) AAS
>>14>>15
それはそうですね。日蓮系といっても誹謗中傷に熱心なのは日蓮本仏論系です。
しかし四箇格言をいわない方針てのはどうなんですかね。都合が悪いからって無かったことにしとく、みたいな。
それならむしろ日蓮を担ぐのをやめるべきではと思います。この点では正宗系はガラが悪いが正直かもしれません。
19: 全日本人 [age] 2014/06/05(木)11:51 ID:8az2d6ig(1) AAS
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。

池田大作先生は蓮祖聖人である。
20
(2): 2014/06/05(木)12:02 ID:DaeSHU0J(1) AAS
>>9
@常住は信じているが、具体的にどこにどうしているかは知らんという意味だ。
無情なのか、娑婆世界のどこか他の国土で法を説いているか、その他…。
もちろん、釈尊=妙法蓮華経であり、もちろん法は常住であるから、この地球上でも釈尊は常住。
(分身散体だから、全く問題ない。)
ただし、妙法蓮華経は少なくとも末法の地球上に流布する法ではない。
もし、末法に流布すべき法であるならば、今まで登場した釈尊の仏法と縁が深い迹化の菩薩に任せるのが筋である。

A大聖人の述べられた言葉のすべての裏が取れるわけではない。
例えば、来世に関する記述などは、理論として納得はできても、凡夫は自分が生きている限り本当にそうであるかどうかは確かめるすべがない。
こういうところは、大聖人を信じるかどうかだけで決まる。
省12
21: 2014/06/05(木)12:04 ID:FnA3vER1(1) AAS
>>18
臨終にあたって「転向」を遂げた日蓮に置き去りを食わされながら、それを受容できた
のがノーマルな日蓮宗系となり、それを受け入れられずアブノーマル化したのが日興門
流系となったでしょう。
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(1): 2014/06/05(木)22:03 ID:GLIEGGoX(1) AAS
>>20
>@とAと「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」

貴殿等の観念には日蓮が常住する処はどこでありましょうか?
御書を拝読するところに日蓮像が現れてきてはいませんか。
法華経を説く釈迦の常住する処も、是と同じ観念にて存在し常住説法をしているというのが法華経物語なのです。
そうしますと爾前の経の中にも釈迦が沢山います。そこでどの経の釈迦が本物か?ってことでもないのですが、
爾前経は対告衆の機根に合わせて説いた説法であって、法華経の教えを聞ける者は、そこに執着しない者達が聞ける場所、
所謂、霊鷲山であって、日蓮が真意の南無妙法蓮華経とは霊鷲会への薦めではないでしょうか。

今や創価学会が解釈に、「大石寺の大御本尊にお目通りしなくても何も問題ない!本門戒壇はここにある」
と同じ発想から考えれば、日蓮が云う末法の白法隠滅とは法華経を読む人達が薄れてしまう時代であるから、内容を説く
省9
23
(1): 2014/06/06(金)07:18 ID:tff01sXm(1) AAS
>>20
法華経には帰依していない、って、「南無妙法蓮華経」って「妙法蓮華経に帰依します」ということでしょ。
釈尊の真説と日蓮が断定する法華経で釈尊が常住不滅なら、仮の教えの他の経で説かれた末法など方便にすぎないことになります。
なのに末法説を採用して、いきなり法華経も無益、でも「南無経法蓮華経」と唱えろ、でも帰依はしないって支離滅裂すぎます。
またその日蓮遺文を普通に読めば、そこでその信徒にそういう言い方をした日蓮の真意がどこにあったかわかりそうなものですが。
24
(2): 2014/06/06(金)11:15 ID:WU2uEFSo(1) AAS
>>16
「せーの、それ!」って掛け声をかけて地中から出てきたのだよ。
もちろん地上から近い方からどんどん湧き出てね。
深いところにいた菩薩は出てくるまでちょっとは時間がかかったみたい。

それにしても、大きな数字は1×10のべき乗で表すのが普通なんだけれど、6はどこから?
25: 全日本人 [age] 2014/06/06(金)12:20 ID:9vRKvNh1(1) AAS
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。

池田大作先生は蓮祖聖人である。
26
(1): 2014/06/06(金)14:58 ID:f2H5i3V5(1) AAS
創価以外の日蓮教の人がまざっているから
話がごちゃごちゃになっているのか

立場を明確にして欲しいな
自分の宗派を書いて欲しい
27: 2014/06/07(土)00:23 ID:kmqLx7pQ(1/6) AAS
>>24
その涌き出る菩薩達が全部出てくるまでの間は五十小劫ですって。
そんで、一小劫とはどんだけの長さなのか調べてみたところ、創価学会では千六百〜二千年位とは言っておりますね。
その五十倍の長さが五十小劫ってことになろうかと思いますが、
仏滅後二千余年に一小劫が経過し日蓮という上行菩薩が最初に涌き出て、まだ、たったの八百年も経っていませんですね。
後の残りの年数はと計算してみますと、軽く見積もっても24小劫×1600年=38400年まで菩薩達が出で来るみたいです。
それまで釈迦は 『黙然として坐したまえり』 なのですから、この間はとりあえず休憩しているってところですかw
ところで、「釈迦の音声を聞いて涌き出た菩薩達」なのでして、決して日蓮の音声ではないのですね。
たとえ日蓮が引き連れた菩薩達であったとしても、涌き出尽くした38400年後の菩薩達は釈迦に、このように『問訊して言さく』なのですね。

 『世尊、少病少悩にして安楽に行じたもうや不や。度すべき所の者教を受くること易しや不や。世尊をして疲労を生さしめざる耶。』
省6
28: 2014/06/07(土)00:37 ID:kmqLx7pQ(2/6) AAS
あっ、間違えた!

49小劫×1600年=78400年
ですね。失礼しますた。
29: 2014/06/07(土)00:48 ID:kmqLx7pQ(3/6) AAS
連投ですが、ふっと弥勒菩薩のことを思い出したのですが、
この弥勒菩薩は後10万年後に仏になると予言されてますね。

五十小劫×千六百年=10万年

になるのですが、涌出品とは関係ないのかと思いまして、またレスをしてしまいました。
30: 2014/06/07(土)00:59 ID:kmqLx7pQ(4/6) AAS
おいおい!また間違えとるわ。

8万年でしたぞ。
31: 2014/06/07(土)08:26 ID:NqIj11qo(1/3) AAS
前すれ>>916
所破借文はもとは日蓮さんがやらかしたミスで、
迹門編を否定しながら、方便品読むことのムジュンについて
後世の弟子がいいわけしてる話でしょ、ぜんぜん高尚ではない、
ただのウンコの後始末よ。

所破借文が、迹門編の文章を否定する意味と言いたいなら、
否定した迹門の文章また借りて来るとか、アホですか?

所破所有が寿量品なら、その文章否定する所破もまたムジュン。
末法に役立つのは本門だけという設定だったはずだからな。

よーするに、方便品と寿量品は両方ともオマケ扱いで否定してるのに、
省5
32
(1): 2014/06/07(土)08:40 ID:NqIj11qo(2/3) AAS
前すれ>>917
お釈迦様の寿命とその法の効き目が別の話、というのは
大石寺オリジナルの思い込みだから、
勝手にデタラメなへ理屈を力説すればいいけど、

末法思想は日蓮御書によれば、釈迦滅年を数えはじめの年にして、
正法千年、像法千年のあと二千一年目からの一万年が末法で、
ただの数の計算にすぎんわ。

だから「寿命無量」「常住不滅」という
お釈迦さまが死なない不滅であるという話があれば、
釈迦滅年がないことになって、数え始めることができないから、
省4
33: 2014/06/07(土)08:51 ID:NqIj11qo(3/3) AAS
>>前すれの終わりごろ

道元禅師の末法観は、こう書いてるのだ。

「いま末代惡世にも、修行せば證をうべしや?」

「教家に名相をこととせるに、なほ大乘實教には、
正像末法をわくことなし。修すればみな得道すといふ」

※宗派でいろんなことを言うけれど、大乗の教えでは正像末を
分けることはなく、修行すれば末代悪世でもみんな道を得られますよ。
省9
34: 2014/06/07(土)15:10 ID:kmqLx7pQ(5/6) AAS
釈迦の音声を聞き、地から涌き出できた菩薩達以降の釈迦の法は無利益であるとの見解の創価学会。
日蓮がその釈迦に呼び出されたという末法の上行菩薩と言っているようですが、100歩譲ってその日蓮を
上行菩薩としましょうか。

涌出品にてまずこの地涌の菩薩(上行菩薩も含む)とはいかなる者達であるかと弥勒が釈迦に質問したところ、
釈迦が昔に教化した菩薩達であったという話のながれでありますね。
ところが、弥勒及びその場にいた菩薩達も釈迦の出家以降の説法時にこのような菩薩の存在は見渡らなかったとの疑問であります。
そこで釈迦が従地涌出品でいうところの、『我久遠より来 是れ等の衆を教化せり』 なのですね。
このことについては次の章の寿量品で詳しく説明されていくのですが、大半の方々は内容は御存知でありましょうから説明は除かせてもらいます。
そしてこの寿量品の次の章、分別功徳品にて諸々の対告衆達は釈迦の久遠実成なることを聞いたことにより、利益及び功徳を具えたと記述されてます。
これをですよ、末法に日蓮(上行菩薩)が現れて、「釈迦の説法には功徳や利益が無い」とは見当違いもいいところです。
省10
35
(1): 2014/06/07(土)15:55 ID:9EF8lOiw(1) AAS
>>22
>日蓮が真意の南無妙法蓮華経とは霊鷲会への薦めではないでしょうか。
大聖人の目的は、人々に修行をさせて即身成仏させること。

> 百聞は法華経二十八品を読んで(帰依)解るというものです。
大聖人は、修行に方便品寿量品以外の妙法蓮華経の読誦を取り入れていない。
これは、末法には役に立たないからである。
(教学としては重要だが、それはあくまで大聖人の仏法を理解するためのものであり、釈尊の妙法蓮華経を理解する事が目的ではない。)

> もし、“仏宝”などと敢えて決めるのであるならば、やっぱ「釈迦牟尼佛」でしょう。
釈尊は、南無妙法蓮華経などという法門は、それこそ一言も説いていない。
したがって、法宝を南無妙法蓮華経とするなら、仏宝を釈尊にすることはできない。
省9
36
(1): 24 2014/06/07(土)18:44 ID:sf8uX333(1) AAS
元学会、元正信会です。
ここではアンチと言うんですね。
無宗教というより、神や仏などは絶対に存在しない、という原理主義です。

日蓮やってる人がかわいそう。。
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