[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
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346(3): 2014/09/07(日)00:12 ID:zDsmlkKX(1/4) AAS
>>339山椒島さん
有難う御座います。
「唱法華題目抄」ですね。・・・わかりました、読んでみます。
ちょっと私には疑問なところがありまして、
不軽菩薩が法華経話を聞いたのは廻りの人達に謗られた後の命が尽きようとする寸前みたいなのです。
もしも、この菩薩が前以って法華経を知ったうえで、内容を敢て説かなかったとすれば譬喩品と辻褄があいますし、
どうも解釈がはっきりいって難しいところなのです。
どうも不軽菩薩は日蓮がいうような毒鼓の縁にて地獄へ堕としてから思い知らせるとは思わないのです。
つうか、これって例えば、
悪事を働く者に対して、もっと罪を重くさせるようなものであって、泥棒さんを殺人者に誘導させるようなものではありませんか。
省6
347(1): 2014/09/07(日)00:48 ID:jDyP1uv7(1/5) AAS
>>341
>「あなたが言っても」ではなく、天台・妙楽・日蓮が揃って言っていることです。
それは、「但し」の前の文章のことでしょう。種脱相対の根拠は、「但し」と続けられた文章の部分ですよ。
「但し」と前置きがされた以降の文章は、それ以前の文に対して、条件や視点により例外を説明したり、以前の文そのままでは無い
ことの説明が行われるのですから、「但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」は、そのまま読めば、
前の文とは異なる観点で「彼」と「此れ」を分け、比較(相対)しています。
>私が知らないのなら一通り知ってから検討します。オリジナルでないという根拠を挙げて下さい。
あなたの話があなたのオリジナルでないという根拠を挙げていませんよ。
「但し」の前の文章の、一品二半=題目の五字は「一同に純円」というのは、あなたの主張と私も同じです。
課題となるのは、「但し」以降の文章ですよ。
省2
348(1): 2014/09/07(日)00:49 ID:jDyP1uv7(2/5) AAS
>>342-343
>その時期に釈迦が姿を現すのではないのですか。
過去に釈迦が説いた法を継承しつつ、末法とういう時期でも衆生が仏と成れる法を説いた日蓮が
末法に姿を現した「釈迦」と言うのが、日蓮本物論を主張する宗派の主張するところでしょう。
また、教主釈尊の常住不滅が事実であるならば、末法という時期に姿を現す釈迦は誰か?と言う話になるでしょう。
>そこで、法蓮抄の日蓮云く
あなたの話では、「この文証の“底”の69384字以外に何の字が隠されているのでしょうか」の問いに対して日蓮が引用した部分を
答えているかのような話ですが、あなたの言うような「問い」がありませんが?どこの部分を言っているのでしょう?
>貴殿は以前から「末法には法華経は無益!」といっている
正像末の概念から言えば、始成正覚の釈迦が説いた法華経は、存在していても、末法の衆生を仏にすることは出来ないのですから、
省1
349(1): 2014/09/07(日)07:45 ID:sqKtH1wX(1/4) AAS
>>336
>方便で滅してから○○年という設定でしょう。カウントダウンが始まらないと言う根拠にはなりませんね。
つまり法華経信者のいう末法は釈尊が方便で死んだフリをしてから○○年に始まると言う話なのですね。わかりました。
しかしそうすると次のふたつの疑問が生じます。
1.釈尊の入滅は方便なのだから、その滅後に想定される末法説は方便に立脚していることになり、それ自体が方便説であることになる。
2.そもそも釈尊は露骨に常住不滅だと人々が安心して修行をサボるから、人々を励ますために意図的に死んだフリをするというのが法華経。
ところで末法説は逆に末法では人々が堕落し、正しい仏法が廃れるという状況を想定している。これは法華経から見れば二つの可能性しかない。
A.人々は堕落しているようで実は真面目に修行に励む人々がいるのを釈尊はよく承知しておりこれを励ますために、未だに死んだフリをしている。
B.人々は実際は釈尊が常住不滅であるとタカをくくって安心し、在家も出家も遊び呆けている。
しかしBでは釈尊の意図が奏功していないことになり、かなり仏としての適格性が問われることになり、結局はA説を採るしかない。
省1
350(1): 2014/09/07(日)07:54 ID:sqKtH1wX(2/4) AAS
>>336
>では、あなたが問題の無い方の前提に立った解釈をすれば、あなたの問題の全が解決しますね。
つまり一切の経典の有効期限が切れたあとで「南無妙法蓮華経」が正しいとする根拠は「日蓮は本仏だもの」しかないわけですね。
むろん、それがわかれば、「なぜ日蓮が本仏と言えるか」などという野暮なことは今さら言いません。そのお答えで結構です。
351(1): 2014/09/07(日)08:14 ID:sqKtH1wX(3/4) AAS
>>336
>天台や日蓮が「正法華経」を否定し、「妙法蓮華経」のみを用いていたとする根拠が無ければ、単にあなたの問題ですよ。
天台や日蓮がことのほか固執し、針小棒大に触れ散らかす「一念三千」の根拠は羅什訳の十如是です。これは羅什訳以外に成り立ちません。
翻訳者が違い、翻訳する言語が違えば内容に大差はなくても多少の異同は出てくる。十如是は羅什訳しかなく、羅什の創作である可能性が高い。
英訳や仏訳もサンスクリット語からの直接訳などで同様です。ちなみにこちらのほうは、他の訳の五如是どころか、私には一如是に見えます。
あなたが日蓮教が羅什訳に固執するものではないというなら、日蓮の教説が羅什訳以外のどの訳でも普遍的に成り立つことを示す必要があります。
352(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/07(日)08:36 ID:KC/+76X2(1/5) AAS
>>346 さん
「唱法華題目抄」、該当部が長いので引用しませんでしたが、全体も結構な長さでしたね(汗
後半部分の「されば譬喩品には仏舎利弗に告げて言わく」以降に書かれています。すみません。
不軽菩薩は釈尊の前世だそうで、ということは大通智勝仏の時点から既に法華経を知っているはず。
でもまだ修行中だから自覚無し?延命時の様子を見ても、とても知っていた風には読めないですよね。
一方、私のような者には、成仏の記別というのは仏のみの権能ですから、「皆さんは仏になりますよ」と
断言するのは越権行為、言われた人達が怒るのもある意味当然なのでは、と下衆な考えも浮かんだり。
Wikipediaには威音王仏後の像法期と書かれていますが、何かの本で末法期と読んだこともあります。
いずれにしても下種善根の衆生が少ない時期ですから、不軽の礼拝行も正当化されるのかもしれません。
>>346さんの例えを借りるなら、「強いて説く→いずれ恩赦有り。説かず→仮釈放すら無し」みたいな。
省1
353(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/07(日)08:38 ID:KC/+76X2(2/5) AAS
>>347 さん
こちらの質問には答えずに反問ですか。
いまザッと検索した限りで、顕本法華宗の本多日生師が私と同様の見解を述べられています。
また日蓮宗においても、早坂鳳城師が種脱相対論を「日寛の己義」と批判されています。
種脱相対論は日蓮正宗系固有の、日蓮本仏論を構成する為の義なのですから当たり前です。
そして日蓮本仏論では、文上脱益の釈迦仏法と文底下種の日蓮仏法とは「別物」です。
創価学会員であれ日蓮正宗信徒であれ、五重の相対は研鑽初期に叩き込まれる基礎教学です。
にも関わらず、そんな常識レベルの大前提を覆すような論を繰り返すから、根拠を訪ねているのです。
挙証出来ないのなら以後のレスは不要ですよ。私も堂々巡りには付き合えません。無駄ですから。
354(1): 2014/09/07(日)09:10 ID:kRKcgzhU(1/2) AAS
>>331
これだな、
(法華玄義)
並脱並熟並種番番不息。
脱と熟と種が、ランダムかつ排他的に現れるのか、はー。
熟の意味はその前に、
調伏長養而成熟之。
悪い考えを捨てて、長い期間その感覚を養う、みたいな。
脱はこうだな、
省10
355(1): 2014/09/07(日)09:22 ID:kRKcgzhU(2/2) AAS
一品二半って、天台文献にはないね。
経典にもなくて、三つの御書にしかないローカルなオリジナル用語。
これは題目じゃなくて、文章通りに、
法華経経典の、迹門本門の両方か、
または本門編のことを一意に示すんでしょうね・・。
というか末法に通用するのは、本門だけとか言ってるのと、
「末法の始」みたいな新たな分類を思いついて、
本門編の文章を過去に追いやろうとしてるんだな、
よーやるわ・・。
そこで日寛さんの、題目が正行、方便品と寿量品が助行みたいに、
省1
356(1): 2014/09/07(日)09:34 ID:dDJHoEH9(1/3) AAS
いい感じだけど
「度脱」の度は回数じゃなくて至るってことじゃないの
(お釈迦様は成道した後、法輪を回し続けるわけですが)
357(1): 2014/09/07(日)09:40 ID:dDJHoEH9(2/3) AAS
ニチレンのいうところの白法隠没も成り立ってないよね
いつ隠没したというのだろうか
ホッケ経以外が隠没しているなら
そもそもニチレンさんが批判する
対象そのものが存在しないわけで
358: 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/07(日)11:54 ID:KC/+76X2(3/5) AAS
>>354-355 さん
そうですね。それを妙楽が釈し、更に日蓮自身が引いた上で重書しているというのに。
あと、本尊抄の原文は漢文調です。中でも、この板的にもっとも有名なのが以下の節、
「此時地涌千界出現 "本門釈尊為脇士" 一閻浮提第一本尊可立此国」
""内を、「本門の教主釈尊 を 脇士と為す」と読ませるのが日蓮本仏論最大の特徴ですね。
>>356-357 さん
度脱、解脱、得道、済度 etc. 色々ありますが、厳密な違いがあるのでしょうか。
白法隠没は法が隠れると言いますか、法益を喪う、という風に理解していたと記憶しています。
存在して、いくら流行っていても、無意味どころか法華を誹謗をする害悪!という主張だったかと。
省1
359: 2014/09/07(日)12:37 ID:iQb30vjI(1/2) AAS
勘違いしちゃいけんよ
天台はナンミョウしたら解脱できるなんて
書いてないからね
360(2): 2014/09/07(日)12:46 ID:jDyP1uv7(3/5) AAS
>>353
>こちらの質問には答えずに反問ですか。
あなたが私の見解に対して回答せずに、「他に言っている人がいるのか?」と論点をずらした質問をしたのですよ。
あなたやあなたと同様の見解を述べている人達は、「一品二半も題目の五字も一同に純円だから差異は無い」と、
「但し」の前の文章で、「但し」の後の文章を無視しているだけでしょう。
例えば、「自転車も自動車も同じ乗り物」「但し」「自転車は人力で、自動車はエンジンで走る」というように、
「但し」以降は、「乗り物」という同じ概念のものでも、そこに差異があるような場合に使われます。
このため、文章をそのまま読めば、「但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」は差異の主張であり、
そのような比較をわざわざする以上、比較したどちらかの優位性を主張していると解釈するのが、「文章をそのまま読む」ことに
なり、優位性を主張したいのは「此れは種なり」「此れは但題目の五字なり」と解釈するのが普通でしょう。
省5
361: 2014/09/07(日)12:47 ID:iQb30vjI(2/2) AAS
天台を騙る癖に源空を誹謗している己が無明を恥じ入れよ
動機が不純だからそんなこともわからんのだろ
362: 2014/09/07(日)13:34 ID:4q6eoGKr(1/2) AAS
そら下痢糞塗れで死ぬはずですわ…
363(2): 2014/09/07(日)15:25 ID:jDyP1uv7(4/5) AAS
>>349-351
>それ自体が方便説であることになる。
「嘘も方便」と混同し、「虚偽説」と言う意味でしょうか? そもそも「方便」に「嘘」と言う単純な意味はありません
「嘘も方便」と言われるのは、「嘘」であっても「方便」(教導)として有益な場合がある。と言うだけですよ。
>しかしBでは釈尊の意図が奏功していないことになり、かなり仏としての適格性が問われることになり、結局はA説を採るしかない。
あなたの言うA説もB説も、寿量品では「仏が長い間この世にとどまっている場合」に表れる状況ですよ。
寿量品の話では、仏がこの世に現れたり入滅する理由として、「仏に会う事が難しい」と言う事を説き、
仏に会うことを渇望させて善の資質を植えるためであり、常住でありながら、この世に現れたり入滅するという話です。
「方便現涅槃」だけを読み、「方便」を単に「嘘」と勘違いしている人は、仏は「死んだフリをしている」と勘違いしていますが、
「方便」というのは「教導法」の事ですから、久遠の仏(久遠実成の釈迦)から言えば、教導法(方便)として、
省9
364(1): 2014/09/07(日)16:52 ID:zDsmlkKX(2/4) AAS
>>348
>教主釈尊の常住不滅が事実であるならば、末法という時期に姿を現す釈迦は誰か?
貴殿の↑での疑問文の通り、末法という時期に姿を現す釈迦は釈迦です。
『如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、
或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す。』・・・寿量品
思うに、貴殿及び日蓮本仏論を主張する宗派が、この寿量品で釈迦が言われてる、
『諸の薄徳の人は無量百千万億劫を過ぎて、或は仏を見るあり、或は見ざる者あり。
此の事を以ての故に我是の言をなす、諸の比丘、如来は見ること得べきこと難しと。』・・・寿量品
省7
365(2): 2014/09/07(日)17:14 ID:zDsmlkKX(3/4) AAS
>>352山椒島さん
威音王仏も威音王仏も、物語の中では共に、
『過去無量無辺不可思議阿僧祇劫』・・・化城喩品
『古昔無量無辺不可思議阿僧祇劫』・・・不軽菩薩品
と、同じ時期ですね。現代読みからしても釈迦滅後の正像末三時の中にこれら仏を置きますと、ややこしくなってしまいますねw
まぁ、仏は仏でしょうが法華経での釈迦は堅物ではないようですねw
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