[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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200: スチールカン 2014/10/28(火)00:16 ID:V0RINOWE(1/2) AAS
時光の病の原因は“鬼神”が身に入ったことによって起きたのだと、
伯耆公御房消息と法華証明抄は、このような言いまわしをされていますね。
薬王品にも、これと同じような内容が、
『此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、
断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ』
と、このことでもあろうかと思いますが、
その様にならない為に、
『汝当に神通の力を以て是の経を守護すべし。』
と続いています。そんでそれは何故か?ということが、次に続くのですが、
『此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病あらんに是の経を聞くことを得ば、
省13
201(1): スチールカン 2014/10/28(火)00:17 ID:V0RINOWE(2/2) AAS
>>196さん
処方するのは日興なのでしょうから、本当に日蓮指示であるならばタメライなく出来たんじゃないでしょうか。
ただ、二十八字も六萬九千三八四字も真仏の身体で有りましょうから、その一部の臂のつもりだったかもしれませんね。
本来は一切衆生喜見菩薩キャラを誰かが演出してみればよかったのではと思います。
それとも日蓮が臂を焼いたもんだから、日朗に書かせたってことにも考えてしまいますしw←これなら日蓮らしくありませんか。
>>197山椒島さん
「大日本国法華験記」とは初めて聞きました。
奈智山の応照法師という者が本生経の兎のような事をしたようですね。
何年か前にチベットの僧侶が焼身自殺したのがテレビで放送されてましたね。確かモザイクがあったようでしたが、
普通に焼け死んでしまいますよね。
省2
202: 全日本人 [age] 2014/10/28(火)07:22 ID:G7L3v6hl(1) AAS
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は蓮祖聖人である。
203(1): 2014/10/28(火)15:54 ID:714aTO7r(1/2) AAS
>>182
これってまさに「禅」ですね。なるほど!そこに真実があったのかあ!うーん、
戦後の日蓮宗が狂信に陥らずに仏教に踏みとどまったのこの修行を修したからだったのかあ。
「永平寺にいくと日蓮さんに会えるよ」っていう、菅野さんに言われた
南無の会の人の言葉って、たぶん本当かもしれないね、いずれはお題目を繰り返し
唱える行法から卒業して、最後は禅の修業に移行することで仏道修行が完成する、
ってことじゃないかな。この改善型の行法で創価や正宗の人もやって行ったら
いいんじゃないかな、と。そうしないと結局狂信のまま終わっちゃうだろうし、
ナントカ先生とかの今じゃ認知症でご家族からも見放されちゃった人を
偶像崇拝してる哀れなカルトで終わっちゃうんじゃないの?
省1
204: 2014/10/28(火)18:25 ID:hLN4i4Vh(2/2) AAS
196某女性と、山椒島氏・スティール缶両氏の、微笑ましい男女仏教談話を、
楽しく拝見しております。しかし、よく些末な話題で飽きませんね。
205(1): 2014/10/28(火)19:58 ID:Xe0kP3/Q(1) AAS
>>203
日蓮さんは死ぬ間際まで立正安国論に拘っていたっていう伝承あるけど、
その方は日蓮さんが林下十年夢、湖辺で一笑してる姿に辿り着いたのかな。
実際どうだったかはわからないし、そうでない可能性が高い感が否めないが笑、
その方が丙丁童子になって火を求めたことはすでに日蓮を離れたことを意味しているし、
仏に成ったんだなと感じました。
もっとも、ご本人は自身を仏だとは認識していないでしょうが。
丙丁童子ですから。
大哉心乎ですね。
206: 2014/10/28(火)20:54 ID:714aTO7r(2/2) AAS
>>205
不立文字、教外別伝の禅語ですね、勉強になります!道元禅師の弁道話!!
その境地は本当は難しいものではないのでしょうが、バラモン教に類する仏教に
してしまった系統からすると、逆にそれこそ外道だとか言ってしまいがちな話だったのですね。
しかしやっぱりその「微妙の法」こそ本来の仏教なのではとも感じます。
その辺、正宗的、創価学会的なニーチェの超人志向みたいな仏教理解あるいは
誤解がもたらした害悪は、たぶんとてつもなくでかいものになってしまったのかも・・・。
創価学会とかが、一応は伝統仏教の側面も持ってはいるような日蓮正宗に
取り付いて伝統仏教の顔をしてしまったことがたぶんとても悪影響したのかなと。
はじめから今の新興宗教ナントカさん教スタイルでやってたら、たぶん
省3
207: 2014/10/28(火)21:25 ID:AywxRRuF(1) AAS
文がなげーよおまいら
ナマポ貰ってないで働けアホ
208(2): 38 2014/10/28(火)22:34 ID:M6PakxkZ(1) AAS
207がいいこと言った。
>206
つーか、なんでおまえに仏教が分かるんだよ?
おまけに、人の信仰をドヤ顔で批判しちゃってるんだよ?
ニッポンがひどい国だと思うなら、おまえが変えて見せろよ。
「どんな馬鹿でも、批判し、非難し、不平不満を言うことはできる。
そして大抵の馬鹿はそうする」 デール・カーネギー
俺もそう思うわ。
209: 2014/10/29(水)00:24 ID:zW9y9m/N(1) AAS
>>208
だからまず悪くしてる元凶を取り除かないと。。。
ところで「09年ロシアでロシア芸術アカデミー賞」でググると、オモシロいこと
がわかります。・・・たぶん、禅をきわめると「こういう・・・事はしない」人になる
かなとは思います。
まーまさか創価学会信仰で超人にまでなった方がこんなことをやってまで、何ごとか
したかったのだ、とは考えておられなかったはずとは思いますが・・・いえまあ、
お分かりになってるとは思いますが・・・
世界も日本もこれ以上悪質で始末に負えないモノにしないように、その出元で
自戒のほどをよろしくお願いします。なにぶん当事者ご本人様がたでないと
省4
210(1): 2014/10/29(水)07:45 ID:f+USUZml(1/2) AAS
>>198
山椒島さん、仰るところの文書にせよ、山椒島さんが電話で質問した金沢文庫職員の応答(>>180)にせよ、文脈次第で意味が変わります。
「また、これも>>180の繰り返しになりますが、信徒発願説についても同様にお尋ねしています。回答は既述の通り。」というのは以下の文でしょう。
>時代的・立地的に考えて、檀家・信徒が絡んだ可能性はほぼ無い。(>>169-170と同様の話をされていました)
おれはまったく意味不明な話です。これが文字通りの意味として論理的に成り立つためには、
1.柿経の埋められた時代、極楽寺に檀信徒は存在しなかった。
2.あるいは存在したとしても追善供養や祈祷の依頼を寺では受け付けていなかった。
3.そもそも境内、特に請雨池は檀信徒の立ち入り禁止区域で、厳重に警備されていた。
などが証明される必要があるでしょう。それとも、あるいは柿経を実際に書写したのが僧侶か檀信徒か、という問いかけに対する回答なら、
たとえば家を実際に建てたのは大工だというのと同じ意味で、何をかいわんやという話でしかありません。
省3
211(1): 2014/10/29(水)08:16 ID:f+USUZml(2/2) AAS
210の続き
山椒島さん、元々この件は、196で示したように、私が伯耆書の記述を日蓮のおまじないと評したのに対し、山椒島さんが異議を唱えられた
ことに端を発しています。私は経典や教義上の根拠を欠くものは「民間信仰のおまじない」に類するものと、自分なりの定義を示しました。
山椒島さんは仰る通り、特定の宗派の見地にこそ立ってはおられませんが、行きがかり上、他宗派の祈祷も経典上の根拠がないと主張したい
動機が鮮明で、そのため際限なく話を敷衍してこられたと私には思えます。
いずれにしてもこれまでのやりとりでお互いの主張と基本スタンスは理解できたと思いますから、これ以上の応酬は生産的でないとおもいます。
しかし、新たな考証や史料や知見があったら、お互いに改めて検討しなおしたいと考えます。
今までのやり取りで、私は日蓮や忍性や法華経について特に自分の見解に影響は受けませんでしたが、柿経について色々と考えたのは
自分なりに興味深いことでした。山椒島さんの「雑な私見」に対抗するつもりではありませんが、以下にアンカーや「続き」という断りを付けずに、
私なりの「雑な柿経私見」を書きます。今晩か明日になると想います。なお日蓮関係については引き続きご指導を賜りたいと願います。
省1
212(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/29(水)09:08 ID:/0ebbbAv(1) AAS
>>201 スチールカン さん
鎌倉期ではなく平安期の説話集でしたね。すみません。
むかし法華経を読んでいた頃、漢訳という点を考慮しても、いかにも臣下が皇帝に捧げる礼賛文のようで
中国的という印象を抱いていたのですが、臂を焼いたり身を投げたりという話は梵本にもあるのでしょうか。
検索すれば出てきますかね。人数や時間などの記述は翻訳過程での創作っぽいですよね。
>>210-211 さん
そうですか。私にとっては、今回行った検索や電話は、過去に聞きかじったことの再確認のようなものでした。
>>210さんの一連の御意見は、祈祷などの詳細な知識の有無は別として、かつての自分を見るようでした。
その辺のことについて、話の流れの中で、日蓮門下と天台との絡みなどで書きかけたのですが、やめました。
私も以後は触れませんし、書かれても読まないと思います。が、内容以外のことでも、得るものは多くありました。
省1
213(2): 2014/10/30(木)15:41 ID:VZrMJih3(1) AAS
毎度毎度大変ですね。お疲れさまでした。
214(1): スチールカン 2014/10/31(金)07:40 ID:ELlTqFUl(1) AAS
>>212山椒島さん
ジャータカなる言葉はアシュカ王以前には見当たらないようですね。
前生物語といえば、法華経でのエピソードでも満載ですね。
こども向けのお伽話としてはありでしょうね。
>いかにも臣下が皇帝に捧げる礼賛文のようで
まったく同感な思いをしながら読ませてもらってます。
215: 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/11/01(土)06:43 ID:YO9lbt70(1/2) AAS
>>213 さん
ありがとうございます。今回書かなかったことなど、もしまた機会があれば触れてみようと思います。
>>214 スチールカン さん
雪山童子が身を投げた途端、羅刹が帝釈天に変わって受け止めた、という話なら良いのかもしれませんが、
他にも、そのまま食べられたとか、延々と臂を焼いたとか、大勢の子供をさらって食べたとか、我が身も家族も
揃ってとか、代々生まれ変わる度にとか、ちょっと子供には聞かせたくない話もたくさんあるじゃないですか(笑
中国の古典を読んでいると、身を削って親にとか、妻子を殺して客にとか、孝や礼という意味でそういう話が
良く出てきますが、中国周辺地域の発祥とされている仏経典は、さらに強烈な表現が多いように思います。
そういった捨身求法とか不自惜身命などの概念が、古今の苦行・荒行などの遠因のひとつでもありますよね。
で、法華経の梵本はどうなのだろう、と。中華製のようでもあり、むしろ逆に表現が和らいでいるようでもあり。
216(2): 2014/11/01(土)08:45 ID:lGPNMMMT(1/3) AAS
>>180
元天台僧て、破門僧か? それじゃなくて、
弟子が身延から叡山遊学した、という話のことね。
比叡山は官寺だから、「得度」の資格が必要で、
坊さんにも戸籍システムがあってさ、、、
日蓮教の学者さんたちは、公立図書館に気軽に立ち寄って
おべんきょするイメージみたいなこと主張してるけど、
叡山遊学は、多数の身分証明書とか、役所の記録が残るはずで、
かなり堅苦しくて厳密な手続きが必要と思うよ。
独立宗派であるはずの日蓮法華宗が、
省2
217(2): 2014/11/01(土)08:57 ID:lGPNMMMT(2/3) AAS
で、日蓮さまの叡山遊学もおなじことで、。
(破良観等御書)
叡山薗城(三井寺)高野京中田舎等処処に修行して・・
比叡山と高野山って絶縁状態じゃんね、行き来できんの?
で、比叡山と三井寺もまた犬猿の仲で抗争中だしな。
「比叡山から来ました 」って言って高野山行けば門前払いされて、
そのまま三井寺行ったら、殴り倒されるのか・・。
この三井寺の件、以前このすれで聞いてみたら、
大聖人さまは命を賭けて修行されていたからだ、とか答えがあって、
言うだけなら、どんなアホな理屈でもまかり通るのが日蓮教、、
省1
218(1): 2014/11/01(土)09:03 ID:lGPNMMMT(3/3) AAS
>>208
カーネギーは、鉄鋼王よりも、慈善事業の代名詞
みたいな人として有名なんでしょ。
カモネギ信者さんからダマし取った現金を
一円たりとも出したくない守銭奴の創価とは
正反対の人やん。
言葉だけ便利に無断でパクっておきながら、
肝心の慈善事業はゼッタイやりたくないから、
御書にある良観批判を巧妙に慈善事業批判に
すり替えて、会員さんたちをダマしてるんだよね。
省2
219: 2014/11/01(土)09:23 ID:6tXX3GSX(1/6) AAS
柿経(こけらきょう)に関する雑な私見
柿経についての記事はネット上にも多い。検索すれば各地の出土例の報告やそれに関する論文などが容易に得られる。
それらを概括すれば、柿経とは以下のように説明されている。
1.主に木片に書写された経文、あるいは経文の書写された木片。
2.寺院のほか、沼沢や河川など水辺の遺構からの出土例が多い。
3.主に追善供養、罪障消滅、後生安楽、逆修業などを目的に行われた。
まず3の追善供養などであるが、これらの目的で行われるのは柿経に限ったことではなく、通常の写経・納経、板塔婆供養
なども基本的に同じである。また2のうち寺院に奉納される場合、通常の紙による写経・納経のほうが一般的であるはずで、
換言すれば、追善供養で奉納された紙の写経と柿経を区別するのは、それが紙でない木片であるということだけである。
したがって柿経は本来、ある程度の耐久性を持って水辺に流す目的で作成されたものであると推論することができる。
省5
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