[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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117: 全日本人 [age] 2014/10/21(火)00:30 ID:7K9ALAkF(1) AAS
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は蓮祖聖人である。
118: 38 2014/10/21(火)05:53 ID:BayvN82M(1) AAS
>117
少しでも池田先生や大聖人を知る人なら、こんな事は言わない。
アンチの工作にしても、工作にもなってない。
ジョークのつもりなら面白くないから死ね。
この板は、変質者ばっかりだな。
おい、そこの嬉そうにコテ付けてるバカ、おまえのことだよ。
2ちゃんでコテ付けて能書き垂れるとか、この世で一番恥ずかしい行為だろ。
なあ、山椒くんよ。あんまり母ちゃんを泣かすなよ。
119: 2014/10/21(火)06:14 ID:Isi+EEGY(1) AAS
↑
これ典型的な学会員
120: 2014/10/21(火)07:49 ID:gumdeLXF(1/4) AAS
> 少しでも池田先生や大聖人を知る人なら、こんな事は言わない。
学会員キモすぎwwwwwwwww
121(1): 2014/10/21(火)08:10 ID:lwzhsUig(1/2) AAS
>>113
日蓮自身が行きがかり上、持ち歌が法華経一曲しかなかったからでしょう。
>>114
それは御指摘の通りですね。
>>116
護摩の起源はバラモン教のホーマでしょうね。べつに古代ペルシアのゾロアスター教が起源との説もあるようです。
大乗仏教が後期にヒンズーと習合して密教の修法として取りいれられたものとされています。瑜伽護摩軌に詳しいようです。
ですから「とげぬき地蔵」や「水かけ不動」や「銭洗い弁天」だとか、経典上の根拠にないものは、民間信仰の「おまじない」ですよ。
お寺がやっていようと神社がやっていようと、それは正式の修法ではない。大衆が喜ぶサービスでしょう。それはそれでいいことです。
日蓮の門弟らが比叡山で受戒したならそれは天台僧になります。受戒するというのは授戒する師の法脈を継承することです。
省8
122(3): 38 2014/10/21(火)09:51 ID:7hox3ak+(1) AAS
>120
そりゃこっちの台詞だ童貞( ・ε・)
ネットで宗教叩きとか、犯罪者予備軍か?
123: 2014/10/21(火)20:01 ID:gumdeLXF(2/4) AAS
>>122
>ネットで宗教叩きとか、犯罪者予備軍か?
「ネットで宗教叩き」と「犯罪者予備軍」が観念連合してるあたり本当にキモすぎwwww
124: 2014/10/21(火)20:06 ID:gumdeLXF(3/4) AAS
AA省
125(2): 2014/10/21(火)20:52 ID:lwzhsUig(2/2) AAS
>>116
121の続きになりますが、今までのやり取りで、山椒島さんと私との間で事実関係の認識については大差がないとわかり納得しました。
つまるところ伯耆公御房消息の日蓮の行為を教義に基づく化儀に類するものとみるか、「おまじない」に類するものとみるかの違いでしょう。
これは各々の日蓮観、もっといえば仏教観という根本的な問題にも関係してきそうですからここで徒にレスを消費するには及びません。
ところで密教や禅宗で受戒・相承を重視するのは、法華経のように経典の受持や読誦や広布より、内的体験を重視する教義のゆえでしょう。
また密教においてはオウムのような邪な曲解に利用されかねない法門が多々ありますから、なおさら受戒・付法には厳格にならざるを得ません。
日蓮系は日蓮以来、折伏には熱心ですが、内面的な部分に無関心で、それが世間からともすれば冷ややかな評価を受ける所以ではないかと思うのです。
126: 2014/10/21(火)21:00 ID:gumdeLXF(4/4) AAS
>>125
>日蓮系は日蓮以来、折伏には熱心ですが、内面的な部分に無関心で、それが世間からともすれば冷ややかな評価を受ける所以ではないかと思うのです。
まあ、内省的な日蓮信者って見事なまでに見たことないもんな。
127: eco ◆Smw69BiSBo 2014/10/21(火)21:28 ID:CziYcY+9(1) AAS
>>122
相変わらず ハラスメントと言う言葉に無頓着な方なんですね
自分は加害者だと自覚がないし
コミュケーション能力のなさが顕れているんだけれど
まだ自覚がないようですね
外部リンク:dictionary.goo.ne.jp
そのくせ、外部にはコミュケーション能力ない嫉妬さ ・・・から
相手を見下して 自己顕示を示し、反知性主義になるわけで
その姿が 全世界にも晒されているんだけれど 器から外されるプレッシャーなどから
何故か認めたくないわけだよな
省10
128: 38 2014/10/21(火)23:35 ID:xO3RiTVR(1) AAS
>124
相手した俺が悪かった。
そうだな。おまえはイケメンだよ。
129(4): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/22(水)00:27 ID:mCW3zKGC(1) AAS
>>121・>>125 さん
なるほど、そうですか。私はむしろ逆に、事実認識がかなり異なるのが原因なのかもと感じていました。
私の浅識では、三戒壇と聞けば東大寺・下野薬師寺・筑紫観世音寺ですし、真言律宗など、いわゆる鎌倉仏教は
基本的に南都・比叡山などの既成仏教に対する反発から起こり、各地で独自の戒壇や作法が数多く生まれたという
認識でいます。当の叡尊がそう(自誓受戒→西大寺他の戒壇建立)ですし、忍性も合流以降は同様の立場です。
道元は比叡山で受戒しましたが、官寺でないため中国では僧とはみなされず、改めて中国曹洞宗の印可を受けました。
ところが帰国後、今度は叡山から否定され弾圧されます。これまた根拠を失うわけですが、道元の偉大さはゆるぎません。
が、それらの「厳格な宗派」も、室町以降は世俗化、形骸化、分派とか内紛とか事件とか犯罪とか、まぁ色々です。
しかしながら、偉僧・傑僧も出ているわけで、これらが私が受戒や潅頂、相承などにさほど意義を見いだせない理由です。
そんなこんなを、揚げ足取りや論破目的などと思われないよう、上の方では出来る限りやんわりと書いてきたのでした。
省2
130: 38 2014/10/22(水)01:12 ID:gA0TiJKn(1/2) AAS
山椒コラ
なにが矛盾か言ってみろコラ。
おまえのレスは仄めかしばかりで、掴み所がねーんだよ。
バカが賢ぶってるようにしか見えんぞ。
ハッキリ言えやヘタレが。
つーか失せろおまえ。
殺すぞおまえ、ホンマ(*´∀`)
131: 2014/10/22(水)01:26 ID:iM4eaFR/(1/2) AAS
キンマンコ信者乙。
132: 38 2014/10/22(水)01:53 ID:gA0TiJKn(2/2) AAS
ネット左翼乙。
言論や思想だけで世の中が変わると思ってるユトリ乙。
おまえらネラーの言論など言論ですらないが。
ただの暇潰しのくせに、いっちょまえに抜かすなアホ。
133(1): 2014/10/22(水)08:11 ID:/RdBBOmd(1/2) AAS
>>129
山椒島さん、私が事実関係の認識で大差がないといったのは、伯耆公御房消息にある日蓮の教示が経典上の根拠を欠くということです。
このため私は「おまじない」に類するとしましたが、あなたはこれに対し、燃やしたのが法華経だから「おまじない」ではない、他宗にも似た化儀がある、
燃やした灰にも薬効があったはず(102)とか、当時は医学や科学だった(106)とか、日蓮は病気についても色々書いているから、仏説として意識
していたはず(109)とか、とげぬき地蔵でも地蔵の絵を飲む(116)とか仰いました。こららはいずれも私の問題としているところではありません。
しかし経典上の根拠があれば日蓮に詳しいあなたがそれを知らないはずはありません。、そこで「経典上の根拠はない」という事実認識においては、
双方大差はなく、それを私のように「おまじない」と見なすか、あなたのように正式な化儀と見なすかという評価の違いとしたのです。
134(1): 2014/10/22(水)08:15 ID:/RdBBOmd(2/2) AAS
133の続き
三戒壇については浅識どころかお詳しいです。ただ私は121で「日蓮当時は」と言いましたが、下野薬師寺はそれ以前に機能停止していたのです。
したがって日蓮当時は東大寺、筑前観世音寺、比叡山延暦寺の三か所だったのです。また叡尊の自誓受戒については以前も書きましたが、
すたれた戒律を復興する趣旨で授戒する師がいないため、東大寺戒壇院で行われたものです。受戒をいかに重視していたかが読み取られます。
また道元が比叡山延暦寺で受戒したのは事実ですが、中国でそれが通用しなかったのは延暦寺が「官寺ではないため」ではありません。
延暦寺戒壇はれっきとした国立戒壇でした。中国でそれが通用しなかったのは東大寺以外は大乗の菩薩戒しか授戒しないからです。
当時の中国では菩薩戒のみの受戒は認められていなかった。このため道元を連れた明全は国家公認で東大寺の戒牒を偽造して入宋しました。
道元はそこで清浄で緊張した曹洞宗に触れ深く感動し、厳しい座禅修行に励み、師の如浄に認められるにいたりました。しかし帰国してみれば、
山椒島さんが116で仰るように、日本の仏教界の堕落ぶり、荒廃ぶりはさらにひどいものでした。そこで道元は疎んぜられたのです。
宗派が乱れ、無戒・破戒が蔓延し、受戒や潅頂が形式化したのは仏教界の堕落の結果であって原因ではありません。
省3
135(2): 2014/10/22(水)22:01 ID:iM4eaFR/(2/2) AAS
そういえば、日寛の六巻抄を読み返したが、改めて見ると天台本覚に想を得て、その行き着いたところは
念佛ではなく唱題であれど、西山浄土宗とほぼ同じなのだな。まさに700年経て漸く、である。
要は九識心王真如の都すなわち佛性はあらゆる有情に備わっているのだから、
下種佛法の下すところの佛種は既にあらゆる有情に元初から下されているのであって、
廣宣流布は久遠の昔に終わっているのである。そのことを覚らないところにこそ無明があり、
その自覚を促す自行化他が、唱題行という事行であって、それはまさに未然の行ではなく、
已然の行、(浄土風に言えば報恩行)なのだ。
136(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)00:06 ID:oXSV7oc/(1/5) AAS
>>133ー134 さん
教義・化儀・作法・相承・受戒・潅頂と、色々と話しは膨らみましたが、とどのつまりは経典上の根拠だとのことですので、
どうしても分からない点を改めて教えて下さい。その余についても参考にさせていただきます。色々とありがとうございます。
忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)の経典上の根拠はどこにあるとお考えでしょうか。
灰を飲む、池に投げ込む。他には、私が知る限りでは、蔵にしまいこむ、地中に埋める、海や川に流す、などがありますが、
直接的な経典上の根拠が「無い」と言えばありません。が、たとえば写経の延長線上と考えれば「ある」とも言えます。
さらに、「仏様は素晴らしい」「お経はありがたい」などといった観念、まぁ菩提心でも何でも良いですが、そういったものから
派生したと考えるなら、仏舎利信仰や胎内仏信仰などといった慣習と同列に観ることも出来るのかもしれません。
私の素人感覚では、焼くのも投げるのも埋めるのも流すのも、「経典を粗末に扱っている」感が満載、違和感バリバリです。
「阿弥陀像の中に法華経を納めるなんて意味不明」だなんて思ったりもします。ですが、当時は「そういうもの」だったそうで。
省1
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