[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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97
(2): スチールカン 2014/10/14(火)20:18 ID:BD+5c+mW(1) AAS
>>90山椒島さん
その薬王品からの「二十八字」の前文には、

『善哉善哉、善男子、汝能く釈迦牟尼仏の法の中に於て、是の経を受持し読誦し思惟し、
 他人の為に説けり。所得の福徳無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わじ』

と、薬王品の功徳を説いているんですね。
なんですか、そのすぐ後の文を燃やすとは、嫌味にも思えるのは私だけでしょうか。
それと、精進川って大石寺より西山に近いのですね。

「喉にネギをあてる」って昔はよく聞きましたね。
一ヶ月で二回近く熱をだし、扁桃腺が弱い私は手術で取っちゃいました。
それを10年ぐらい苦しんだ私ながら、「ネギ」は試すことはなかったでしたねw
省1
98
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/14(火)23:48 ID:Hkbjl3FY(1) AAS
>>97 スチールカン さん
私もかつて、「一字一句が皆仏」とか、「賢者は仏と観、愚者は文字と観る」みたいなことを書いているのに
その「仏」を焼いて良いものなのだろうかと不思議に思ったことがあり、それが>>90の「確実な書なら」にも
つながっているのですが、既述の通り、当時は一般的にも「有り」だったようで、そういうものですか、と。

もともとが中国発祥の風習でしょうし、しかもおそらくは中華仏教ではなく、道教あたり?のものでしょうから、
経典のルーツ以上に、遡ってゆくほど辻褄が合わなくなるのも、ある意味仕方の無いことだろうと思います。

そんなこんなを踏まえた上での>>46でした。

日蓮も、(日興を含む)直弟子・孫弟子達も、「仏は釈尊・経は法華経」で一貫していますからね。
99: 38 2014/10/15(水)05:44 ID:7aLiEnCL(1) AAS
ウザ(´・ω・`)
100
(1): 2014/10/15(水)07:23 ID:UyZJBIQr(1/2) AAS
>>83
私のことかどうか知りませんが、私も法華経最勝論の大元は五時八教説を立てた天台大師だと思っていました。
すると天台大師の真意としては、それぞれの経典の区別を説いただけで、特にそれらの序列を設けたわけではないということですか。
天台の門弟らがそれを歪めて法華経最勝論を導き出して、結果、時を隔てて日蓮が尻馬に乗ったということですね。
いずれにしても興味深い御意見です。今後の研究課題とさせていただきます。
>>84
うーん。あなたのいうことはわかるのですが、日蓮というのはそういう実証的論理的に結論を導くようなタイプではないように思えます。
つまり法華玄義の解釈から法華経最勝論を導き出したのではなく、逆に後者のこじつけのネタを前者に見出したのではと思います。
日蓮は最澄のように他門の学僧を相手に論争したのではなく、弟子か在家信者相手の説法ですから、経文も箔付けの切り文で用が足ります。
しかし日蓮なりの考えの道筋としては、あなたの言う通りかもしれません。
101
(2): 2014/10/15(水)08:01 ID:UyZJBIQr(2/2) AAS
>>92>>94
89さんではありませんが、御教示ありがとうございます。参考になります。
>>93
富城入道殿御返事を読みました。たしかにおっしゃるような記述がありますね。
>>91>>97>>98
民俗学上の淵源はともかく、日蓮の場合、単純な土着的民間信仰というか、よくある「おまじない」の類だと思いますよ。
おまじないだって、それなりに作法はあるわけですから。というか作法がなければ「おまじない」にもなりませんよね。
ただ法華経の経文を燃やした灰を飲ませて病気平癒を祈願するというは日蓮オリジナルではないでしょうか。
正宗や創価も布施や財務をたかるより、こういう素朴な化義を継承すべきですね。もっとも日蓮時代のように純粋な和紙と墨でないと有毒物になるかもしれません
102
(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/16(木)00:04 ID:79eLjaIz(1/3) AAS
>>101 さん
いえ、日蓮にとっては法華経こそは仏説の頂点であり、真実の金言・真理であり、世の中の出来事のすべては
法の働きの顕れですから、「法華経を用いている」という事実が、単なるおまじないでないことを意味しています。

>>79に記した通り、仏教他宗派でも神道でも、こういった風習は正式な教義・化儀として取り入れられており、
仏教伝来の頃まで遡ることが出来るそうです。また文献的にも、和漢の様々な典籍で確認出来るとのこと。
その辺りのことは、たとえば「神符」「護符」などで検索してみると、(玉石混淆ですが)色々と出てくるようですね。

あわせて、日蓮の教説には密教の影響が色濃く残っており、虚空蔵求聞持法を修したり、不動・愛染感見記を
書き遺していることなどからも、>>91に記したような伯耆公御房消息の記述との関わりが窺えたりしたわけです。
また、灰自体も、古来より除菌・消毒・下痢止めなどで広く使われており、科学的根拠も皆無ではないようです。

もちろん、あくまでも「当時としては」という前提の上での話です。ただ、現代では法律との絡みが難しそうですね。
103
(1): スチールカン 2014/10/16(木)00:36 ID:18/L0k7J(1) AAS
>>98山椒島さん
伯耆公御房消息を読んでみても、なんですか違和感は確かにわいてきますね。
たとえばですが、
「此の経文をあそばし候て」・・・と、
「このきやうもんをはいにやきて」、
の文にしても、漢字と平仮名で書かれているのはどういうことなのでしょうね?

また、次に出された法華証明抄には、御符の事など全然触れてないのも変な気もするのですね。
かつて薬王品得意抄では、
「然れば此の薬王品は方便品等の八品並びに寿量品を修行す可き様を説きし品なり。」
と、そのような思いが日蓮にあったとするならば、いくら二十八字といえども燃やすということができるであろうか?とも思ったりもします。
省11
104
(1): 2014/10/16(木)08:06 ID:Rkn4B6JR(1) AAS
>>102
山椒島さんの意見に違和感を覚えるのは初めてですが、「『法華経を用いている』という事実が、単なるおまじないでないことを意味しています。」
というのはどうでしょうか。私にはそれこそ「おまじない」である証明と考えます。なぜなら法華経にこの経文を燃やせとの記述はないからです。

たしかに古来、医術と呪術は混淆しています。最近の医学でも精神と肉体を統一的にみる立場が注目されてますから、これはあながち迷信とも言えません。
仏教でも初期経典の律部などでは栄養学、薬学から外科手術までの記載があるようです。しかし概ね地水火風の四大不調から病気が起こるとされています。
密教では主に陀羅尼の読誦と、それによって加持された「薬物」の服用が治療法とされています。たとえば陀羅尼集経には黄疸や喘息の症状への処方として、
具体的に6種のハーブやスパイスで丸薬を造り、それを密教僧に陀羅尼で加持してもらって空腹時にひとつ服用するよう教えているようです。
ここにはなぜ病気になるかという病理学的な認識があり、患者の具体的な症状にはどの薬物のどういう処方が有効かという理論的裏付けがあります。
これが単なる「おまじない」と言えるようなものではないことは明らかだと思います。日蓮の治療法は、そういう医学的認識も理論的裏付けもありません。

また日蓮が密教の作法や用語を取り入れているのは明らかですが、それは日蓮が密教を修したことにはなりません。なぜなら日蓮は正式の付法を受けていないからです。
省3
105: 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/16(木)23:01 ID:79eLjaIz(2/3) AAS
>>103 スチールカン さん
そう、他にも「御乳母」表記といい、判形が日朗であることといい、細々と引っかかる点が多いんですね。
本当に日蓮がそのようなことを書かせたのか、日朗代筆というのは本当に確かなのだろうか、という疑問はあります。
あるのですけれども、"ひかりもの"のように、明らかにおかしいと思えるほどの矛盾は無く、扱いに困る書です。

閻魔は日蓮文書にもそこそこ出てくるサブキャラですね。地獄の獄長的なイメージですが、正確には裁判長といった
位置付けで、時として「まだ死ぬのは早いぞ」と、死者を娑婆に追い返すようなこともあると考えられていたようです。
これもまた、和漢の異教・風俗との集合の過程で、本地だ垂迹だなどと取り込まれていったものなのでしょうね。
106
(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/16(木)23:03 ID:79eLjaIz(3/3) AAS
>>104 さん
ですから、それらはいずれも「現代の視点」から観たものであるわけでしょう。
その論でいけば、当時から近世に至るまで、国家レベルでも行われていた多種多様な加持祈祷の大半は、
「単なるおまじない」で片付けておしまい、ということになります。もちろん、蒙古調伏の祈祷などもそうです。

たとえば、密教では護摩行の際に出た灰を飲むことがあるそうですね。空海を騙った詐欺まで横行したとか。
仏経典についても同様で、切片やそれを浸した水、また焼いた灰を飲むことはあったそうです。経典ではなく、
諸仏諸菩薩の絵の場合もあるそうで。神社の御札もそう。これだけでも既に日蓮オリジナルではないですね。

そういったものが、当時は民間信仰レベルでなく、国家的にも科学や医学として認識されていたということです。
著名な医学書に、泥とか砂とか、動物のフンとか、得体の知れない物が良薬として載っていた時代ですので。
ですから私も、「これは日蓮が正しい。法華経を焼いて飲むのは妥当だ」などと言うつもりは、さらさらありません。
省1
107
(1): 38 2014/10/17(金)01:44 ID:PXGheLhV(1) AAS
山椒コラ(´・ω・`)

>あるのですけれども、"ひかりもの"のように、明らかにおかしいと思えるほどの矛盾は無く、扱いに困る書です。

まだ抜かすかこのアホ。
もう一度やるか?
何が矛盾なのか言うてみんかい。
人をナメたら承知せんぞこのガキ。

はよ言わんかい!
おのれみたいなボケナスは、いっぺんシバキ回さなアカンのじゃ。
言わんかい?コラ
108
(1): 2014/10/17(金)07:39 ID:wDujBlCT(1) AAS
>>106
山椒島さん、なんとなく、「おまじない」の定義如何の話になってきましたが、
国家的な加持祈祷はそれを行う導師や宗派の作法に即して行われる組織だった儀式で、それなりの教義的根拠があります。
ですからそれは素朴な民間信仰の「おまじない」とは本質的に異なったもので、同一視できないと思います。

なるほど。私が101で「日蓮オリジナル」と言ったのは、護符を燃やしたり、灰を飲んだりという呪術作法の創始者が日蓮だとの意味ではありません。
あくまで法華経を中心にする宗派で、法華経の経文を燃やして灰を飲むという教示をやってのけたのは日蓮が始めではなかったかという意味です。
真言や神道での御指摘の例は私は知りませんが、いずれも各々の化儀に則ってやっていると思われます。日蓮のはそういう根拠があるとは思えません。

経典の記述の妥当性や日蓮の有資格性は別の話どころか、その点で正式な仏教の化儀か、民間信仰のおまじないレベルかのメルクマールでしょう。

そもそもこれが日蓮が教義的根拠をもってやったことなら、他の信徒や自身についても継続的にやったはずだと思いますが、その形跡はありません。
だからこそ、この伯耆公御房消息がどこまで史実かわかりませんが、日蓮に批判的な私にもなんとなく微笑ましい逸話のように感じられます。
省1
109
(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/17(金)22:30 ID:EmlmgbwB(1) AAS
>>108 さん
と言うより、書かれていることを私がよく理解出来ていないのだろうと思うのですが(すみません)、
たとえば、忍性と日蓮の祈雨勝負が頼基陳状の記述通りに実際にあったことだとして、忍性の祈祷は真言律宗の
教義化法に基づいた根拠あるものだけれども、日蓮のそれは何の根拠の無いおまじないだ、ということでしょうか。

また、>>90で挙げた可延定業書では、富木尼御前に対して「名前と年齢を自ら書いて使いの者に持たせなさい。
(治病と延命とを)日月天に申し上げておきましょう」と日蓮は言います。これもこのままの形では残っていないでしょうが
逆に護符という点では、その継続性はまちまちながら、現在でも特に日蓮宗系において様々な形で残っています。

病との関連についても、確実な文書で様々な記述が残ります。そこで日蓮は法華・涅槃などの経や天台妙楽の釈を
挙げてその根拠を説きます。また死について、この伯耆書では「定業」といい、別の書では「無情」と言い臨終の大事を
述べています。こういった記述から、日蓮自身は尚さら「仏説」という確たる根拠を意識したのだろうと私は思うのです。
省2
110: スチールカン 2014/10/18(土)21:02 ID:pOyDkOxU(1) AAS
>>107の38さん
横山やすしさんみたで面白い。
111: 全日本人 [age] 2014/10/19(日)23:58 ID:FZ472SAG(1) AAS
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。

池田大作先生は蓮祖聖人である。
112
(1): 2014/10/20(月)07:28 ID:6GW5hblX(1) AAS
>>109
レスが遅くなりました。私も山椒島さんの仰る意味について混乱してきましたw 思うに山椒島さんの趣意はこういうことでしょうか。

1.「おまじない」というのは宗教的な観念と関係のない、かといって科学的根拠もない気休め的な呪術行為の謂いである。
2.しかし日蓮の行為は本人の宗教信条に基づいて真面目に意識的にやったものである。したがっておまじないではない。
3.宗教信条に基づいてやる祈祷が「おまじない」なら、国家護持の祈祷や忍性などの祈雨の祈祷なども「おまじない」である。

私のいう「おまじない」は、本人の真剣度と関係なく、教義の相承や経典の教義的根拠を持たない呪術行為という意味です。
どんな「おまじない」でも何らかの宗教的観念に関係しているでしょうが、それらのルーツは曖昧で、宗教的な儀式とは別と思います。
忍性は16歳で東大寺戒壇院で受戒し、また潅頂を受けて戒律と密教をともに修する立場でしたから、祈祷は正式な儀式です。
日蓮の場合、法華経の経文を焼いて病気平癒を祈るという呪術行為は、経文に根拠がなく、「おまじない」と言えると思います。
日蓮の門弟らが日蓮を真似て法華経の経文を燃やす呪法を化儀としたとしても、それ以前の経典に根拠がなければ同じことです。
省7
113
(3): 2014/10/20(月)21:16 ID:8TnIqjq4(1) AAS
横から失礼するが、なんで日蓮教、殊に興門系は法華経に拘る?
仏になるには法華経を絶対としなければならないのか?
先日京都大徳寺の孤篷庵に行ったのだが、
小堀遠州の晩年好んだ句が「忘筌」ということを教えてもらった。
魚を得るという目的に筌を使うのだが、魚を得てしまえば筌は無用になる。
魚を獲るためには筌だけでなく他にも方法はあるだろう?
釣りでもいいし、網でもいい。
なぜ法華経でなければならないのだ?
114
(1): 2014/10/20(月)21:55 ID:eAzxKFOu(1) AAS
>>113
少なくとも大石寺教学は法華経に拘ってないだろ。
法華経の本文引いてどうこうとかそもそもまるでないし、
「南無妙法蓮華経」は「法華経」では全然ない、というのが教学の中心だからなw

「修多羅に依れ」って遺文にあるのを根拠に
「御書第一」とかいっちゃうバカどもですよ。
115: 38 2014/10/20(月)23:21 ID:s5IGOw0R(1) AAS
>113
仏になるって、つまりどういうことよ?
目的を知らずに手段を論じても無意味だろ。
116
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/21(火)00:28 ID:GVVZCtbN(1) AAS
>>112 さん
>>106で挙げたうち、密教の護摩行は、ルーツをたどればバラモン教あたりに行き着くのではないでしょうか。
とげぬき地蔵尊の高岩寺は曹洞宗の寺院ですが、地蔵菩薩の絵を飲みます。浅草寺や川崎大師などでは
境内の香炉から出る煙を浴びれば御利益があるといいます。が、私はこれらの経典上の根拠を知りません。
また神道に至っては、経典類はおろか教義すら無いと言います。もちろん付法も相承も潅頂もありません。

ひるがえって、私は日蓮本人の相承や潅頂などに関する議論の結果は知りませんが、日朗・日昭らの直弟子や
後世の門下には、比叡山などで受戒した者も多くいたと聞きます。また他の仏教各派においても、受戒した者や
付法を受けた者が破門されたり、新宗新派を開くなどした場合は、それらの「資格」の扱いはどうなるのでしょう。

由緒ある寺社が領地を構え、荘園を運営し、私物私財を集め、僧兵大衆を抱え込み、強訴争乱に明け暮れ、
また座主や管長・住持などの要職も、公家・武家あるいは身内の様々な事情によって容易に左右されてきました。
省2
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